☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
パーティ報告81(2)

前、軸足と浮き足がリーダーシップとパートナーシップどうたらという、難解すぎて誰の役に立つんだよという話をしたのだが(→これ)、以外にこの話がウケがよくて、ひとしきり盛り上がった。
まじめにいうと、たとえばバレエや社交ダンスのようなものは、基本的に貴族のするものであって、貴族のするものであるから、そのモチーフは愛であったり恋であったり、神話的なものであったりする。
一方で、ストリート系のダンスというのは、貴族のするそれとは違い、もっと「フラストレーション」があるのだ、むしろフラストレーションが根源だと言ってもいい、ストリートで踊るからストリートダンスなのではなくて、「おれたちにゃダンスフロアなんて立派なものは与えられない」というフラストレーションがストリートダンスだ。
僕はこのところ、「満足」ということについて話している、よって貴族のダンスは、貴族の憂鬱と倦怠がダンスの中でどう満足に昇華されるかという問題になり、ストリートのダンスは、フラストレーションの不平と炎がダンスの中でどう満足に昇華されるかという問題になる。

「シャウトの中に満足が現出するなら、それはロック音楽になりうるが、不満で叫んでいるだけなら、そりゃモーレツな夫婦喧嘩と同じになってしまうな」と僕は話した。
「意味のあることをしないといけない」と僕は話した、「ダンサーが、あるいはラッパーが、空間をキックし、何かを言い立てることの中に、フラストレーションの昇華を見る、この瞬間だけ『おれっちは満足なんだ』というふうにさ、だから、それは若い人たちにとって、『おれたちの代弁をしてくれている』と感じるのさ、だからそれを見に行く・聴きに行くというのは意味のあることになる」。
その先は、こまごま話さなかったが、われわれは「満足」している瞬間のみ、そこを「魂の還る場所」とすることができる、なぜなら「満足」の中にだけ、われわれは永遠に住めるからだ。
われわれは、別にダンサーではなかろうが、それぞれに貴族の憂鬱と倦怠か、もしくはストリートのフラストレーションを抱えている、この中でどのようにして「魂の還る場所」を作れるだろうか? われわれが「そこに永遠に住んでもかまわない」と思えるような場所をだ。

満足がないなら、反省会はしないほうがいい。

満足なしに反省をすると、その反省は必ず「否定」にしかならないからだ、そして否定というのはダメなことのダメさを反芻するだけになるので、ダメージを負うだけであまり意味が無い。
物事のレベルでいうと、たとえば「ハンバーガー屋」はレベルが低いだろう、だがビッグマックで満足するか反省するかは人の選択であって、反省しながらビッグマックを食う奴は、消化にも悪いだろうし、次第に闇に落ちていくことになる。

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パーティ報告81
ーティは楽しかった。
今回のパーティは、特に「楽しさ」が純粋に高かったように感じる。
そして、楽しければ、「また来月も〜」と誰だって浮かれて思うので、そうして「また来月も」と思ってもらえたら、パーティは成功となる。
今回は、やたら音楽と踊りと、あとはお笑いの話がウケたな、音楽と踊りと笑いと忍者が当パーティのメインコンテンツかもしれない、忍者については説明が面倒くさいので説明しない。

われわれに(別にパーティに限らないわれわれに)必要なことは、さしあたり「消費せず楽しい」ということだ。
消費せず、といっても、メシや酒ぐらいはガンガンやらせてほしいが、そういうことではなく、動画やまとめ記事をえんえんクリックしたり、マンガ本やスケベアニメや芸能人のスキャンダルを追いかけてばかりで「楽しい」というのでは、もはやただの消費マシーンだし、それはやがて消費できるコンテンツを食い潰し、あとは極めて無能な己という肉塊が残るだけだろうということ。
消費せず楽しいということは、本気で考えるとむつかしいものだ、よく深夜にガラの悪い車が重低音をドゥンドゥン鳴らして走っているが、あれはドゥンドゥン鳴らさないと楽しくない(もしくはさびしさが紛れない)のであって、そうした人たちが深夜にドン・キホーテに行くのは、何がなんでも消費に触れていないと退屈でしょうがないということなのだ、「消費せず楽しい」というのは真剣に考えるととてもむつかしい。
「楽しい」というのは、大騒ぎするから楽しいというのではなく、楽しくてつい大騒ぎになってしまう、というのがよいと思う、そりゃ誰だってそう思うだろう、そして「消費せず楽しい」というのは、音楽や踊りや笑いや忍者、あるいは男と女や、言葉や、歴史や物語といったすべてのものが、「思っていたのとは違う真実の姿を現してくる」というのが楽しいのだと思う、この世界に本当にあるものがrevealされていくことが楽しいのだ。

オンザビートを「表示」すると、「うわスゲェ!」という声が上がった。

われわれはテレヴィや街角のあちこちで「ダンス」を見ることがあるが、そのダンスがオンザビートの「表示」をくっきり実現していることはごく少ない(事実僕は見たことがない)、そしてそうしたものを追究することは「消費」ではないので、そうした楽しみに没頭しているうちは、われわれは不毛な散財をしない。
消費とは異なる楽しみを得てゆけるという確信は、生きていく上で思いがけない自信になるものだ、「消費しないと楽しめない」というのはひとつの地獄みたいなものだから/本当には楽しくないことを、「楽しい」と偽ることは、いくつかの場面でやむなきことではあるけれども、後になって大きな負債になってしまう、だから本当に楽しいことのほうをしたたかに追究していくべきだ。
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第81回Quali's Party[6月16日(土)]無事盛会!

6/18 Quali tweet> マスター「サッカー? 今日は、どこかとどこかの試合です」 pls entry

joined: ひろみ、ゆか、かなみ、あきら、しおん、ともこ、やじま、ゆうさく、トム、かず、くおり
日時:2018年6月16日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


おかげさまで無事盛会でした! 次回もよろしくお願いします!
今回はいつも以上にウケたし〜おれは生まれてこの方スベったことないから〜
九折


キラキラ次回(7月21日[土])加エントリはこちらから!キラキラキラキラキラキラ


費用男性5000円 女性3000円
参加資格ブログorサイトのファンであること
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コラム[No.379] やさしさと首飾り

掲題のコラム、本サイトにアップしました。



No.379 やさしさと首飾り


―― なぜなら、この「やさしさ」という現象は、人の業から現れるものではないからだ。


どうぞよろしく。九折

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No.378 女たちは、僕とセックスがしたくてしょうがない(pdf追加)

掲題のコラム、本サイトにアップしました。

No.378 女たちは、僕とセックスがしたくてしょうがない
(→pdfファイルはこちら)

―― 僕の主体が認められ、僕の主体が愛されるということは、実際的にはほとんどない。


どうぞよろしく。九折

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パーティ報告80(4)

4時間超えのパーティ、その最後で、僕は一時間ほど眠りこけてしまったが、これは僕にしては珍しいことだ。
そういえば、パーティの前日も、やたら長時間寝たしな、それも僕にしては珍しいことだ。
昨日から今日にかけて、牛肉を大量に食べている、何か妙にハラが減っているのでな……と、ここまで来てようやく気づいたが、わかりました、僕は風邪をひいています!! 計ってみたら微熱あるじゃん!!
みなさん夏風邪に気をつけてね、「ここしばらく夏風邪が流行っているらしいね〜」と堂々と話していたのに、今気づいたよ、「オメーのことだよ」だった!! どおりで何かどこか支配力が不十分な感じがしていたのだ!!!!

「自分が三階にいて、四階に行きたい、という話はとてもわかりやすい、でも、三階にも四階にも自分がいる、という話はとてもわかりにくい、三階にも四階にも、屋上にも、地下にも『わたし』がいる」。
この、何の役にも立たない話が、最終的に役に立つ、最終的には逆にこの話しか役に立たない。
夢多き麗しき佳人たちから、「あなたっていつも明るいわよね」と呆れたように言っていただく、その身分に到達するまでにどれだけの苦労をしたか/僕にだって人には言えない苦労があるのです、しくしく、まあ全部ウソっちゃウソですけど……
さしあたり報告できることとして、パーティは、次回もあるし、次々回もあるし、その先もまだずーっとあるぜということなのだった、そりゃおれがやめねー限りは続くよ、どうだ恐れ入ったか。

話が終わらねーから続けている、つまり、ずーっと続くだろう。

あなた’sパーティがないのは、あなたがゼロ回目からあきらめたからだが、ゼロ回目から話が終わっているということはよくあるだろう、つまりゼロ回目から「すべてママの言ったとおり」なら、確かに初めから話は終わっている。
これは、何の話だったかというと、よくよく考えてみたらおれは風邪を引いていたという話だった、そしてまた次回のパーティもよろしくということで、しかもそれはパーティのみならず、僕の話そのものがずーーーーーーっと続いているということなのだった、さしあたりこの先の八百年ぐらいは、一段落という意味でさえ終わる見込みはない/さしあたり八百年をメドにするなら、第9681回パーティまでよろしく!! そこまでいけば一つの値打ちにはなるだろ。

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パーティ報告80(3)「カルマを超えた夜」
ういえば、珍しく就業中に小林ニキ(マスター)が、厨房で泥酔していた、揺り起こしても起きなかった(それでわれわれはコンビニにウーロン茶を買いに行った)。
「カルマを超えた夜」をずっと探している、生まれたときからずっとだ、カルマの内側で楽しい夜なんかむさぼってもしょうがない。
「バドワイザーのネオン看板が光っているだろ、あれらは全部『カルマを超えた夜』だ、わかったか」と僕はメチャクチャを話した、だいたい正しいことというのはメチャクチャだ。
女の子が両脇に寄り添う、「あんなんうらやましいじゃないですか」と誰かが言った/僕は「ただしこんなことでカルマが盛(さか)るなら、絶対にやめといたほうがいい、カルマを盛(さか)らせるならキャバクラに行きゃあいいんだ」と言った、実際僕は女なんかよりカルマを超えた夜のほうがよっぽど大事だ。

「カルマを超えた夜」のことを、空想しなくていい、だって「夜」は目の前にあるからな/ここにありもしないヨソのことへ話をすり替える必要はない。
矛盾するようだが、「極意は、ここにあるものなんか見ないってことだ、カルマを超えるってことは、つまり『何もしない』ってことなんだから」と僕は話した。
「何も起こりませんでした、っていうのがベストなんだ」。
目の前にあるものに引きずられるということは、世界が見えなくなることなんだ、「またワークショップでもやろうかなあ」なんて話をして、一同が「おっ」と反応した、それで「えっ、そんな反応なん、そんな反応されたら、マジでやらなあかんことになるやん、そんなのイヤーン」と、まあ僕はまともに考えていないのだった、見失わないためにはそれが必要だから。

われわれの空間は、カルマ vs 世界だ。

われわれみたいなモンには、悪魔もわからないしカミサマも目に見えたりしない、実際にどういう形で得られてくるかというと、悪魔はカルマとして得られてくるし、カミサマは「世界」として得られてくる、実際的にはカルマディスクが回転し始めると世界が見えなくなるというだけだ/「な? 今こうされると、原宿とか五月とかを忘れたろ? われわれは原宿の五月に居るのに」と僕は話した、それは何度実験しても毎回同じようになるカルマ vs 世界の現象だ。
「世界なしでセックスなんかしちゃいかんぜ、まあしゃーないけど」と僕は話した、「われわれはなかなか、自前で世界にはつながれないもんだよ、だから誰かの『国』を通して、世界につながるというのが現実的みたいだな」/「お前の称える名前は何だ、並べててみろよ」と僕は話した、「どうしてもアインシュタインは、プルシェンコのように近くないわ、記号みたい」と誰かが言った。
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パーティ報告80(2)
マジメな話、人間の心身やカルマについて、本当に正しい知識がいる。
正しい知識がないと、なぜかヤベー感情が湧いてきて、ヤベー不安に取り憑かれて、ヤベー目つきや声になって、ヤベー挙動が出てきて、ヤベー運勢になるのだが、それらが「なぜ」なのか、本当にわからないのだ。
このブログにしたって、どうやら多くの人が、もはや日々の精神安定のために摂取しているという向きさえある(だから毎日更新しないといかんと思ってガンバっているのでもある、褒めよ)。
なぜか勉強が頭に入らないとか、なぜか仕事が異様にダルいとか、なぜか万事にキョーレツなモチベーションを意識しないと動けないとか、なぜか自ら人間関係に毒を撒いてしまうとか、わけのわからない大ピンチに、人は陥るのだ/誰か心身とカルマについて正しい知識を教えろよと僕は思っており、別に僕が教えて回りたいわけではないのであり、僕はただいい気分でヘイヘイ飲んでいたいだけなのだった、一日も早くその日よカモン、誰か優秀なヤツがゴリゴリ教えたらそれで全部済むだろ。

心身とカルマについての、正しい知識は、基礎レベルにおいてさえ、「んな発想になるわけあるかw」というような意外さだ、こんなもん教わるまでぜってー気づかねえよというたぐいだ。
第一に、まともに(一般的な頻度で)神社や仏閣や教会に参詣していること(初詣とか)、第二に「おかげ」という理を知っていることだ、すでにこの二つで過半数が脱落しかねない情勢なのだが、第三はもっと奇想天外だ、第三の方法は「イケイケの人をさらにいい気分にしてさしあげる」なのだ。
自分が大ピンチや大不調だと、誰だって当然自分が助かりたいと発想するし、自分の気分を恢復したいと発想する、また、自分が誰かを助けるというときも、ピンチや不調の人を助けると発想するはずだ、イケイケの人を助けるという発想はしない/しかし本当に必要なことはイケイケの人をさらに助けることなのだ、これはふつうどうしても発想の枠外になる。
仮に、橋本環奈ちゃん(仮名)が不調だったとする、そのとき僕が環奈ちゃんを助けても、環奈ちゃんは恢復しないのだ、で、不調の環奈ちゃんが好調の僕を助けると、環奈ちゃんが恢復するのだ/極端にいえば<<救われないヤツが救われているヤツに奉仕する>>ことが必要なのだが、これはいわばカウンターチャリティだと考えればいい、世間に居させてもらうにはチャリティが不可欠だが、世界に居させてもらうにはカウンターチャリティーが不可欠なのだ。

人が神像を掃除するのであり、神像が人を浄化はしない。

ご存じのとおり、田舎の広い家なら仏間ぐらいどこにでもあるだろうが、そうした家の住人が必ず救われているなんてことは決してない、救われる者があるとすればその仏間と仏壇をなんとなく掃除しているヤツだけだ、救われないヤツが救われているヤツ(ホトケサマ)に奉仕するとはそういうことだ/人はカルマディスクが回転し始めると必ずこの逆の発想をする、「誰かがわたしを助けてくれないと絶対無理」という発想に必ず陥る。
僕だって、血も涙もない冷血漢というわけではないので、ややピンチに陥っているところの女性に、「お前のことはどーでもいいからオレに気分よく酒を飲ませろ、オメーはそのためのツマミでありオプションでしかない」などと言い放つのは、それなりに心苦しいのだ、平気の平左で言っているわけじゃねえよと、この場を借りて全力弁解しておこう。
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パーティ報告80

曜日の19時から始まって、帰宅したら日曜日の23時だった。
もうこの報告はいいかげん飽きたぞ! だからやっぱりこれはただの一泊二日じゃねえかという話。
何はともあれ、面白かったし楽しかったのではないかと思うが、まあさらなる充実はありえるのかもしれない……と思いながら、これ以上の充実というと「いやいやいや」と否定されそうな気もする。
新しい人も来てくれたし、新しい人は二名とも素敵な方だったし、まあ途中飲み過ぎてダウンする人もあって、もっとお話を聴いたほうがよかったかなとか、あれこれ思わんでもないが、まあなんというか、万事おれが悪いわけではまったくないと勝手に思うことにしよう、世の中が悪いのであっておれさまは超絶ステキである、特に根拠はないがこれまで物事に根拠などあったためしはない。

「げっ、こいつマジで見抜いてやがる」という感じだったが、特に新しい人にとっては、僕が何の情報もなく「この人は○○で〜」「この人は○○だわな〜」と見抜くと、やっぱりけっこう驚かれる様子だ。
僕は何も超能力を使っているのではなく、その人の優れたところや、トラブルの起こりがちなところを、目の前の姿や身や声や眼差しから判断しているだけで、本当は何も特殊なことはしていない、むしろこの場合はアタリマエの性質をそのまま観るためには、立場や経歴などの情報は視力を妨害するノイズになってしまう。
初めっから見抜いているというのは、単純に便利だ、なぜなら「打ち明ける」という必要がない、打ち明ける以前に「初めっから見えてまっせ」ということなら、まあ話が早くて済む/それはなんというか、ある種の技師がエンジン音を聴いただけで、そのおおよそのエンジンの性能とタイプと順調・不調のありようを看破できるということにすぎず、何も珍しいことではない。
「男にちやほやされて、その瞬間はオッと盛り上がるが、その後は三週間もせず飽きるというか、逆にイライラしてくると笑」ということを、わざわざ打ち明けてもらう必要がないのはラクでいい/「なんでわかるんですか笑」と、驚いてくれるのは愉快だが、実はおれがホントに観ているのはそんな浅いところじゃなかったりするヨーと言い出すと、もっと驚いてくれるのだろうか、僕は趣味でそんな観察をしているのではまったくない、わりとまじめに、僕に何ができるかということを考えるため、視力を全開にして考えている。

肉で吸収すべし、筋を通すべし。

「筋肉」という言い方があって、人間の身には「筋」と「肉」があるのだが、筋はつらぬくもの、肉は吸収するものだ、筋が通っていなければ人は愚かになってしまうし、肉が吸収しないと人はアホでありつづけてしまう/筋は粗暴さへの危険を持っており、肉は犯されることの危険を持っている。
筋は精神的で、肉は霊的だ、人は霊的に学ばないといけないし、同時に精神的に伸びないといけない、まあわりとアタリマエのことなのだが/筋に偏る人は霊的に学ぶことが不得手になる、肉に偏る人は精神的に伸びることが不得手になる、これを自覚的に捉えてケアすることは単純にとても有効なのだった、僕はこうして学門をもって人の幸福に寄与することしか念頭にない(それ以外に僕のできるまともなことが何一つない)。

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第80回Quali's Party[5月19日(土)]参加者募集!

5/21 Quali tweet> ♪どこまでもいける〜。 pls entry

Recent entry: ゆき(新)、しおり(新)、ひろみ、こりん、りさ、ゆか、あきら、ともこ、しおん、ゆうさく、かず、つかごん、くおり
日時:2018年5月19日(土)
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


おかげさまで無事盛会でした!! 次回もよろしく、さらに盛り上がっていきましょうぜええええ。九折


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No.377 僕は今日を生きている

掲題のコラム、本サイトにアップしました。
 

No.377 僕は今日を生きている

 

――<<「時間」と「国」が相反する>>





どうぞよろしく。九折

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パーティ報告79(6)

っきょく、また、こうやってパーティで起こったことを書こうとしても、起こったことが多すぎて、書くのが追いつかんじゃないか!! もうテキトーに書いておしまいにしておこう。
「まともな男の胴体がそばにあれば、女がメロメロになるのは当たり前であって、このことはまだ色恋沙汰とは関係ない、ただの男女として当たり前アンド日常のことだ、ここでいちいちスケベごころを起こすやつは男も女もどうかしている」
「目の前のすべてに、無条件で情熱的であるべきだ、特別にイヤなものは退けてかまわんがね、それ以外のすべては基本的に無条件で情熱的に向かうしかない、そうでなきゃ万事『話にならん』のだよ!!」
「他のすべてのことに情熱的でないのに、目の前の女にだけ、あるいは男にだけ、急に『本気なんです!!』って、そんな偏りが認められるわけねーだろ、目の前のすべてに情熱的だから、目の前の異性にも情熱的であることが『そりゃそうよね』と認められるだけだ、そんなことにテクニックなんか存在しない」

「相手のことが『わかる』ということは、相手の感触を受けて、相手の身を通して『体験』することだ」と僕は言った。
するとある人が即座に、「あ、これは、ハイレベルなやつです」と言った、僕は「えっ、これってハイレベル?」と訊くと、「はい、ハイレベルです、フツーできないやつです」と明言されてしまった、僕は「うーん、ハイレベルなのか……」と今さら困惑した(アホか)。
たとえば、岡本太郎が、思いつめて暮らしたパリで、初めてピカソの絵に出くわしたとき、そこにどれほど壮絶で、絶望と希望にあふれる体験を得ただろう? そこで岡本太郎を通して<<わが身が震える>>ぐらいでなければ、われわれは岡本太郎という人のことを少しでも「わかった」「知った」とは言えない(そういうストーリーだったかはっきり覚えとらんが)。
そうして、誰かの身を通して己の身に体験するようでなければ、いったい人は何のために本を読み、何のために映画を観るんだ、「ベトナム戦争はつらい」という情報だけなら人工知能だって持っているだろうよ、だが人工知能がその苦しみや悲しさを体験することはないじゃないか、誰か人のことを「わかる」というのは、情報を把握する知能のはたらきじゃないんだよ、体験を分与で引き受ける知性のはたらきなんだ。

ベトナム戦争が客観的につらかったのは情報で誰でもわかる、だが主観的にどうつらかったのかは体験でないとわからない。

誰かと一緒に歩いていたとする、犬を連れていてもいい、すると犬はリードをぐいぐい引っ張る、その感触が「この犬」だ、そして男は空を見上げて歩いていて、女はブティックを覗き込んでいる、そのときそれぞれの、退屈そうな呼吸、あるいは弾む胸/人それぞれが主体的に「体験」をしている、その体験を己の身に分け持つようでなければ、だれか「人」のことをわかるようにはならない(目の前の犬のこともわからない)。
「僕なんか、目の前の人が持っている、当人では自覚しようのない菩提心にアクセスしようとすることが常の感覚なんだが」と言うと、一同は「レベル高すぎて草不可避www」ということだった、うーんしかし、ハイレベルかもしれんけれど、<<相手の身を通して体験分与を引き受け、その人のことが「わかる」ようになる>>というところぐらいまでは誰しも行こうや、そのためにはパーティ継続アンド新しい人も遊びに来てね〜♪ ということなのだった、うーんこんな勧誘じゃ誰も来ねえよ!! どうぞお越しください!!(脅迫)

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パーティ報告79(5)

「男なら、『好き』という感情が、高等な感情じゃないということを知っていないといけない」
ある男性が、「好き、という感情に、どうしても引っ張られるじゃないですか? それはどうすれば」と言った。
「それについては、明快な回答がある」と僕は言った。
「その女のことが『好き』だというなら、その女が愛している男のほうへ、その女が幸福になるほうへ、堂々と送り出してやることだ、そのことさえわかっていれば、どれだけ自分がのたうちまわっていてもかまわない」

「逆に、その女が愛している別の男のところへ行くのが、絶対にイヤでどうしてもダメだというのなら、その女のことが『好き』だと言い張ってはならない、そこは取り下げるべきだな、好きといわず我欲において『欲しい』というだけなのだから、『好き』と言い張ってはならない」
「『好き』という感情は、強烈で甘やかだけど、高等な感情というわけじゃないんだ、本人は気持ちいいけれど、あくまでレベルとしては高等じゃない、子供でも持てるワガママ感情だ」
「その感情がどれだけ強烈でも、上位の感情と『濫(みだ)るなかれ』だ、上位の感情を上位に据えたままなら、いくらのたうちまわってもかまわんよ、ただこの上下を違(たが)えると、またロクなことにならないんだ」
……と、エラソーに僕は言ったのだが、この正しいことを、僕だって必っっっっ死で履行しようとしているのだ、余裕綽々のフリをしているのはただの意地でしかない、業の炎で焼かれる心地がいつだってしているもんよ/その煉獄のここちを、僕は「我慢」しているわけじゃない、「正当だ」と引き受けているだけだ、もともとおれみたいなモンが泣き苦しまずに生きていけるわけないんだから、初めから「もっと来んかい」と引き受けているだけ、そしてどれだけ焼かれても「曲げるのはいやだね」と突っ張っているだけだ(だから全員おれにやさしくするように)。

「目の前に女がいると、ドッカーンと愛してしまう、ただそれだけなんだ」というと、目の前の女が、「あなたは本当にそれだけですね」とほほえんだ。

好きな女のことを考えると、そのたび内臓がでんぐり返りそうになるよ、それをまさかのまさか、我慢ではなく制御で解決しているだけだ、たぶん想像をぶっちぎるほどのレベルでな/その制御はほとんど、「いついかなるときも野垂れ死にしろ」と身に命じているようなものだから、まあ一般的には正気の沙汰のたぐいではない、あげく野垂れ死にがトラブルになることも許されないのだから、もうめちゃくちゃだな、初めから死んでいる人間のようであるしかないような話だ。
僕はすてきな女性が通りすがるたび、その女性をこころの底からドッカーンと愛して、そのまま見送っているよ、それを失恋にカウントしたらもう何億回も失恋していることになるな、わりと冗談でなく……/「好き」という感情は強烈だが、どれだけ強烈でも、それを上位の感情に違(たが)えてはならない、自分に上位の感情がなかったとしても、なお上位の感情と違えてはならない、「自分の最上位のキモチです!!」ということで、これまで愛を為したすべての人を足蹴にして自分がトップに立つようなことがあってはならない、そんなところに立てる身分ではないのだから。

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パーティ報告79(4)

「最近……だけではないのかもしれないが、女性自身が、自分の具有するヴァギナを、快く思っていない、グロテスクに感じている、ということがある。しばしばいるし、しばしばあるだろう? 女性が自分のことを女だと認めたがらないということが、誰にでも」
「それによって、現在、セクハラというトラブルが、大きな割増しの不快感で生じているところがあるんだ、どういうことかというと……女性自身、自分のヴァギナをグロいと感じているところがあって、そのグロいところを狙って言い寄られるから、ますますゾッとする、耐えがたい、ということがあるんだ」
「たとえば太ももに、黄金で描かれた綺麗なタトゥーがあったとして、それを『見せて』と言い寄られたとき、『どーしてあんたなんかに見せてあげなきゃなんないの』ってなるだろ、それはそこまで不快なことでもないじゃないか」
「一方で、もし太ももに、醜いブツブツが生じていたとする、それをわざわざ『見せて』と言い寄られたら、これは耐えがたいほどキモチワルイじゃないか/こういうふうに、女性自身が自分のヴァギナをグロいと感じることで、それに言い寄られることが割増しでキモチワルイと感じる現象が起こっているんだ、これはキツい話だから決して世間のメディアでは言われないことだよ」

「女性が、なんとなく落書きで、男性のペニスを描くことはあったとしても、わざわざ自分のヴァギナを描いたりはしないだろ?」と僕が言うと、一人の女性が、「うん、それはすっごいキツい」と言った。
「うん。だから、ヴァギナというのは、女性自身にとってもあまり気持ちのいいものではないわけだ、だからこそ女性は、この人にならそういうキモチワルサは一切通じないんじゃないか、という男の人に身を与えるのが一番いいことになる」
「つまり、『この方に求められて、この方に使われる分には、わたしのヴァギナもおぞましくはないわ』と思える男の人に、求められて与えるというのがベストなんだな/逆に、業の深い男にヴァギナをちらつかせて、あやつって遊興するというようなことをすると、ますます業は深まって、不穏な空気と不穏な出来事が増していく、男をあやつるのは一時的に女をいい気分にさせるかもだけど、やっていることはただ『業に与している』だけだから、たいていロクなことにならないんだ」
「ただ、一部の女性は、男が自分に対して『業に駆られてくれない』と、気分がよくないということがあって笑、その場合はしゃーないな/これはなかなかえげつない話だけれど、現今の情勢下、もう知らないでは済まされない話だ、セクハラの不快感が女の側から割増しになるということが実際多くあるんだよ、それは決して世間では言われないことだ」

ヴァギナ周辺で、不明の「悲鳴」「叫び」「雄たけび」をあげる女性は少なくない。

業に駆られていない男性が、性交に向けて女性の衣服を剥ぎ取ったり、あるいはそのまま性交を進めていったりすると、どこかの時点で「ア゛」もしくは「オ゛」の音色を中心にした、叫び声を<<吐き出す>>ということは、実のところよくある、この吐き出される声には憎悪や憤怒が伴っているのだが、なぜそのような声が出るのかは<<当人もわからない>>のだ、ただこのことは女性当人に「発狂」と近接しているところがあると直感される、それだけ危険なものだ。
実のところ、われわれの暮らしおよび生きていくことにおいて、セックスというのはまったく「必須」のものではない、ただ、本質的に自分の「やること」が見つからないと、その「やること」は下降していって自動的にセックスに行き着くようにできている、だからこの危険な事象を穏やかに解決していくためには、第一に自分の「やること」を確かに見つけることだ、ほとんどの場合はそれで「済む」ものだ/それだけでは済まない場合は、過去にセックスに関連して何か「よからぬこと」をして(思って、言って)きてしまっているのだ、その過剰なツケがある場合、自分の「やること」を進めると同時に、水面下でセックスの償却もしてゆかねばならないことになる、このことはたいへんむつかしくて、徹底した身分の管理ができていなければまともにはこなせないことだ(SM等でガチの「性奴隷」になる人は、身分獲得を求めて行き着いているのだが、それでもなお身分の管理としてはなはだ甘いというような次元にある)。

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パーティ報告79(3)

部の女性が気づいて言及したように、女体には、男性に対する「癒し」の特効がある。
「女性のおっぱいなんて、男に押しつけるためにあるんじゃん」と、女性当人が言うのだから、男の僕が反論する筋合いはない。
もちろん、女性におっぱいを押しつけられたとき、男が業を深めるようなら、その男はまだ女体を与えられる身分に至っていないので、女性は女体の提供を拒絶したほうがいい。
女体(にょたい)という言い方は、ちょっと露骨かもしれないが、正しいし、何しろ女性当人がそういう言い方をするので、ここではそのまま女体という言い方を保存する。

いうなれば、男は洗剤で、女は柔軟剤のようなものだ。
あちこちの古いしきたりは、とにかく女を「不浄のもの」と言いたがるが、そう単純なことではなく、正しくは「まともに成熟した男には営みから魔を祓う(清める)力がある」ということなのだ、だから生魚を扱う寿司職人には男性が圧倒的に多い/男女差別といったって、女性の側にだって「女が握った寿司はいまいち食べたくない気がする」という人が多いのだから致し方ない。
男には、営みを清める力がある一方、その洗剤のような力だけでは、すべての営みは洗いざらしのゴワゴワになってしまうだろう、そこで誰もがするように、心地のよさが求められるものには柔軟剤を入れるのだ、女性にしか創り出せない癒しとやわらかさというものがある/と同時に、柔軟剤が洗剤の完全な代用はできないということを、やはりどこかで弁えているのが得策だ。
たとえば賞金を稼ぎまくってすでに十分な富を得ているF1レーサーが、なおも世界一速い男であろうとして、過酷なコクピットに命がけで座り続けるということがある、そのことには不可侵の清潔さがあるが、その清潔さだけではゴワゴワになりすぎるので、その男を励ましたり祝福したりするのに女体をあきらかにした女が寄り添うのだ/かつて、叶うものならば、アイルトン・セナに勝利のシャンパンを注ぐレースクイーンになることを拒絶する女はいなかった。

F1はレースクイーンを「時代にそぐわない」と撤廃することに決めたが、本来は撤廃する必要はなく、レースクイーンとレースボーイを半々にすればよかった。

F1のコクピットに寄り添うのに、水着のビューティフルおねえちゃんと、水着のケツ筋おにいちゃんを立たせれば、それで男女差別は消失するので問題はなかったはずだ、だからレースクイーンを撤廃する必要はなかった/ただどこかの誰かが、「水着のケツ筋おにいちゃんがサーキットをうろうろしている」という光景に馬鹿馬鹿しさを覚えて、それぐらいならもう失くしてしまったほうがいいと考えたのだろう。
「男に押しつけないなら、この膨らんでいるやつ要らないじゃん」というのは、僕の発言ではなく、ある女性の発言だ……正直なところ、彼女が言うところの「女体」が身近にあるという状態は、僕などにとっては「助かる」の一語に尽きる、女体が身近にない場合、男はひたすらバトルシーンの極限に進み続けるしかないからだ/即身仏も辞さないバトルの極限のみを目指すというなら、いくらゴワゴワになっても知ったことかということなるが、僕はとてもじゃないがそんな境地には至れないので、柔軟剤プリーズということになるのだった、「何もしないなら帰れ」という言い方は、あくまで一般論としてなら十分な正しさがある。

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パーティ報告79(2)
菜ネタがよく似合う彼を、仮にヴェジ青年と呼ぶとしたら、今回はヴェジ青年がメキメキ伸びた。
別に伸びるためにやっているパーティではないがね……ただ誰も伸びてこないのでは、酒を飲むのにツマランのだ、酒の肴として青年の上昇が要求される/僕のスタンド「ゴールド・ハラスメント」もこういう効用があるのでなかなかあなどれないのだった。
なぜヴェジ青年が伸びたかというと、「現代人の態度を持っていなかったから」だ、けっきょくそのことに行き着かざるを得ない/なぜヴェジ青年は現代人の態度を持っていなかったか。
それは、ヴェジ青年が不器用(笑)だったからだが、その奥で、彼のこころを古いハードロックや古いフォークソングが支えていたからだ/彼には未だ恋人がいないが、彼は奥底で愛を知ってはいるのだろう、その愛を実現するにはあと二〇〇〇〇回の合コン出席が欠かせないが……とにかくまあ、このご時世に、よく内心で古い愛を一人で抱えてきたものだと思うよ、おれがエラソーに言うことでもないが、肩の力みもずいぶん下がってきたな(ただしチョーシに乗るとたちまち全部がパアになってしまうので、そのときは全力で笑って差し上げよう)。

見るべき点はただ一点、「こいつが声を出すと、全体が盛り上がる」ということだけだ、これは無慈悲で絶対的なモンなので、いくら不満や疑義を抱いてもしょうがない。
それが徳性というモンなのだ、「ラーメン食いたいっすね」とボソリと言っただけで、何かが(小さくとも)ワッと盛り上がる、ただし自分が盛り上がるのではなく「全体」が盛り上がるのだ、これが徳性というモンで、もうこのことに正しくフォーカスを当てないことにはわれわれの行く先はないのだった。
ヴェジ青年はおそらく、後半で、僕の声の出し方を盗み取りやがったのだが、まあそれはかまわないというかそういうもんだ、声の出し方は隣の年長者から伝染するように学ぶものだ、そしてそういう伝染学習が覚醒的に起こったということは、たぶんなんだかんだ、コイツはおれのことを信頼してやがるのだろう/おれはこういう奴を知っており、そして、こういう奴が基本的に現代人じゃないということも知っている。
まあコイツは未だ、アイスコーヒーに液体シロップではなくスティックシュガーを持ってくる程度には世間知がないのだが笑、そんなことはもう、一回それとなく言われたら二度と忘れない体質に育っている、あとはおれみたいな極端な奴にだけじゃなく、もっと無数のまともな奴からいろいろ学ぶ流れになるといいな、そうしたらまだまだ若い時間に今度はさまざまな草木が生えるだろう。

ただし、今後もおれが一番伸びるけどな!!!!!

間違ってもおれは善人気取りにはならないし、面倒見のいい年長者にもなんねーぜ、年少者の成長なんざ酒の肴にしか認めねーし、おれは年少者に絶望的な差を見せつけるのだけが楽しみだ、お前らが少々盗んだぐらいでなんとかなると思うなよ、そのぶん盗んでいくのは好きなだけ盗んでいったらいい、そんなことされたって絶対に追いつかれないからな!!!
女が男に(まともな男に)メロメロになるのは、まあいってみれば当たり前のことだから、正直そんなことは酒の肴にはならなくて、酒の肴になるのはメキメキ伸びている男のほうだ、特に今回はヴェジ青年を肴に飲んだということがおおいにあるので、次回ヴェジ青年は、さらに肴になるように/合コンに行って轟沈しましたという年少者の話を聞きながら酒を飲むのが僕の幸福なので、そこに寄与して功徳を積んでゆくように、いやあ楽しみだな。
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パーティ報告79

回はどうだっけ……確か開始して前半は、何かフツーのおしゃべりで盛り上がっていたよな! 誰が何を話していたがよー知らんが、まあ楽しかったからよかったんじゃな〜い?
まあ、何事も、あっためてかからんと、冷えたままガンバったりしたら身体に悪いしな、というわけで今回は、「やたら楽しかった」ということで、ひとまずいいと思う、何か全体的に前向きアンド前向きな空気でした。
19時開始 → 終電がすぎても当然イクぜというliving after midnight組(多数派)スタート → 朝5時に「えっもう朝かよ」 → 腹減ったファミレス行こうず(おれはビーフステーキセットにエビフライ二本とコーンスープを追加) → 満腹でえんえんおしゃべり「お前らにはホントのことを教えておいてやる」 → 「なんかカラオケ行きた〜い」(調べて見たら渋谷には二十四時間営業店があるでやんの) → カラオケで三時間「えっもう三時間?」で一時間延長 → 中目黒にコーヒーでも飲みに行くか(こいつらいつ帰るんや……これから秋葉原のゲーセンに行くとか言っている)、というコースで、とにかく力尽きるまで遊びたおした。
よくよく考えると、いつぞやは心療内科に通っていた温室育ちのおねえちゃんが、このゴリゴリ放埒コースに最後までついてくるようになったんだから、すげえことだよな、あと初老の僕が最後までイーャッハァーと遊んでいることも称賛するように、称賛しない者には旅行先が終日豪雨に見舞われるという罰が下るであろう。

力尽きたあとは十八時間眠ったので(さっき起きた)、九時だと思ったらなぜ朝の九時なのか、そしてなぜ月曜日なのか納得がいかん、という感じで煙草をもくもく吸う、「土曜日のパーティの翌日は日曜日じゃねえのかよ」というどうでもいい正論を唱えたくなる(通例)。
そうなんだよなあ、よくよく考えたら、パーティって土曜日に始まってはいるけれど、遊んでいる時間は in 日曜日のほうがはるかに長いじゃねえか、これってつまり「オールで遊びました」じゃなくて真相は「一泊二日」じゃないか(呆れ)、うーんここまで来たらホントに「寝る時間のない一泊二日パーティ」をやってやろうかな、昼からどこかに集まってさ……まあこれは典型的に「歯止めが利かなくなっている」というパターンだからやめよう、若い人はどこかでそうして平和に歯止めが利かなくなる時間を持てるといいな(他人事)。
とことん遊び抜くことでしか、わからないことって絶対にあるし、その中でしか身につかないことなんていくらでもある/第一、まずはそこまでやってみないと、自分の実力がわからないのだ、そして、「この人にはマジで勝てん」ということも、そこまでやってみないと本当にはわからないのだ。
今回、はっきりと知ったのは、ほとんどの人が「身分」という捉え方に、何の不服も違和感も持ってはおらず、むしろ「すっきりする、納得がいく」と感じているということだった/ブランド大学を出ている帰国子女のおねえちゃんが、コイツは口が悪いのだが、それでも「男性にお酒を注がせることは絶対にしない」というところまで切り替わるんだぜ、またそれによってこそ、爆裂遊びコースに最後までついていけるという実際的な身軽さを得るのでもある、それはもう「賢明になった」としか言いようがないのだった、そういうことなら……

じゃんじゃん賢明化しようじゃないか。

遊び抜いて、賢明化するのだ、女は酒を注げよ、それしかないのだ、遊び抜いて己の実力を知り、他者の実力を知るのだ、観念的なものはすべてゴミ箱にポイしていい/人間は、無理をしてはいけない、ただ「無理をせずにこんなことが出来る人がマジでいるのか」ということの違いを知って、人間観そのものを改めるのだけがナイスなのだ。
十八時間も眠っておいて、エラソーなことを言う資格はないと思うが、それでも今の僕の全身を何かの装置で測定してもらえれば、疲労がマジで無いということ、およびマジで全身が「おだやか」だということがわかってもらえるだろう、僕は「じゃんじゃん賢明化しよう」と申し立てているつもりだ/僕がもし、使い果たすのではなく疲れ果てていたならば、それは僕が愚かだったということだし、疲れないように使い果たすことも避けて回ったとすれば、それもやはり僕が愚かだったということだ、そりゃ完全に愚かじゃねえ奴なんてこの世に一人もいないのだから。

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第79回Quali's Party[4月28日(土)]無事盛会!

4/30 Quali tweet>激烈に遊んだ二日後の、全身に流れる清潔感。 pls entry

joined: (新)かず、ひろみ、かなみ、ゆか、こりん、ともこ、しおん、トム、ゆうさく、やじま、くおり
日時:2018年4月28日(土) 場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB

今回もおかげさまで無事盛会でした! なんやこのごろは毎回エライ楽しいなぁオイ。
次回もどうぞよろしくお願いします、みなさまのご参加をお待ちしております!! 九折


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宣伝コラム「パーティへの誘い その1」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その2」はこちらから!
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宣伝コラム「パーティへの誘い その4」はこちらから!
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今月のパーティは28日(土)でーす

れてた、今月のパーティは21日(土)から→28日(土)に変更になります、いつも第三土曜日にやっているのだけれどね、この季節だから店側に大型の予約が入ったらしく……
まあ何というか、遊ぶことだ、今最も幸運のさなかにある或る女性は「遊ぶことですよね!!」とついに覚醒を得てきている。
僕はいいかげん、すべてのスットコドッコイどもの言い分を聴いて差し上げるのに、飽きたのだ、<<身分を発見して遊べるようになる>>ということ、それしかない/今最も幸運のさなかにある或る女性は、このことにまったく同意してくれるだろう。
己の身分を取り違えた者は、物事を上から見るようになる、上からは「重さ」が降り注いでいるので、罪の重さを発見して動けなくなる(緩慢化する)、重さに緩慢化した胴体は、どう工夫しても自壊に向かう、というような仕組みだ/いいかげん緩慢化しているやつが威張るという見るからにアホな状況をやめよ。

緩慢化から自壊に向かう胴体の人は、「充実」「有意義」「楽しんでいる」「評価されるべき」という方向にいく、これは胴体の性質として抵抗できない現象だ。
敏捷化から魂の獲得に向かう胴体の人は、「空っぽ」「離脱」「遊んでいる」「見上げるべき」という方向にいく、だがこれは上から目線=罪の重さを探す目線がわずかでもあると不可能になる。
だからこそ僕は、あくまで「パーティ」という、ふざけた言い方をやめないのだ、有意義なことはもっとどこかの審判者どもがやればいいだろ、おれは決してマジメにはやらない、重さの行きつく先が地獄なのは物理的に明らかなのだから、そういう切符はヨソの誰かにプレゼントだ。
世の中には、いわゆる指示待ち人間の人や、「受け身」というタイプがたくさんいるものだが、それは本当は指示待ちでもなければ受け身でもないのだ、<<病的に緩慢>>なのだ/あなたはいついかなるときも「ササッと何をする」のだ、いついかなるときもササッと何をするか自発的に見えていなかったらそりゃもう病的に緩慢というやつだぜ。

身分が低いのは悪夢じゃない、重さに緩慢化していくのが悪夢だ。

単純な話、僕が「このスットコドッコイが」と言いつけると、ますます軽くなる人と、ますます重くなる人がいるのだ、つまり「うへへ、さーせん」となる人と、「……はい、すいません」となる人がある、こんなものどう見ても身分の取り違えから生じているに決まっているだろ。
こんな簡単なことがわからないか? 僕だって年長者に「このスットコドッコイが」と言われたら、「うへへ、さーせん」としかならない、それ以外の現象なんてありえないじゃないか、身分が低いのは悪夢じゃない、どこの悪魔が耳元で「身のほどを知りなさい」ってささやくんだ、悪魔がささやくなら「あなたは世界で一番……」に決まっている、そうすることで人は地獄に落ちていくのだから。
 

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パーティ報告78(3)

「よろしいですか〜みなさん、はっきり言っておきます。男が女に向ける『本気』、『falling love』、『I'm crazy for you』、これ、ぜんぶ役に立ちません。ホンマに何の足しにもならんということを明言しておきます。これ、実は要らんやつなんです」
「よろしいですか〜、たとえば僕は、男なんですから、大前提、<<すべての女性が『好き』で当たり前>>なんです、男は男として生まれてきているわけだから、女の子が好き、女の子がそばにいるだけでハッピーになる、そういう性質のもんです、これを冒涜し汚損するのは、そういう性質を宿されて生まれてきたこの存在と生命そのものを冒涜することです、カミサマの作ったもんに文句言っているのと同じです、そりゃロクなことになりません」
「で、『男なので、そばに女の子がいるだけでハッピー』という、この状態、実はこの状態はまだ、異性愛ではありません、兄弟愛なんです、実はこの段階はスケベ心じゃないんです、いいですかみなさん、わかりやすくいいます、たとえばここにハンバーグとわらび餅と玉子ぞうすいがあったとします、そのどれを食べたいという以前に、全部『うまそう』です、そりゃ大前提として「食べ物」なんだから/それと同じように、男にとっては女の子がいるということで『ハッピー』なんです、食いもんには『うまそう』女の子には『ハッピー』なんです、そういうふうに生まれついとるもんにケチをつけて損傷させても何の意味もない冒涜にしかならない」
「当たり前のこととして、食べ物は全部うまそうなのだから、ハンバーグを食って『うめえ』、わらび餅を食って『うめえ』、玉子ぞうすいを食って『うめえ』です、それと同じで、サトミちゃんがいて『ハッピー』、ユイちゃんがいて『ハッピー』、ツバサちゃんがいて『ハッピー』です、このよろこびが愛であって、兄弟愛なんです、もしこれがないならサトミちゃんもユイちゃんもツバサちゃんも、男の前に<<何をしにきたのかわからない>>という状態になります」

「で、少なからぬ女性から見て、『この男の人、とにかく女の子といると、誰といてもハッピーそうね』と見えるとき、そのときの男のハッピーぶりについては、不快ではないそうです、『そりゃ男の人だもんね』と、むしろ単純な男性らしさに見えてかわいらしいそうです、そしてこの単純な男性らしさが自分にも向けられて、『あっ、サトミちゃんだ! おいでー、かわいい!』とよろこばれる倍、それは不快ではないし、男の人だから女の子が好きという単純なことで、安心していられるそうです」
「女性から見て、おっかないノーサンキューになる場合はこうです、サトミちゃんが来ても無反応、ユイちゃんが来ても無反応、ツバサちゃんが来ても無反応、一人で何か思い耽っている、そこでケイコちゃんが来たときだけ『ドッキューン』『falling love』『本気です』『笑わせてあげたい、幸せになってほしい』、こんな不穏な『本気』など、ケイコちゃん側から見たらおっかないのです、兄弟愛ゼロなのに、恣意的かつ選択的な愛だけドッカーンでは、何かおかしい気配に決まっている」
「目の前にハンバーグがあり、わらび餅があり、玉子ぞうすいがあるのに、それらにはシーンと無反応で、『えびグラタンが食べたい、本気なんです』と、ため息と涙をこぼしていたらおかしいでしょ? 食べものへの普遍的なよろこびが、この身には生まれつき宿されているはず。持って生まれたこの身に宿されたはずの、兄弟愛はどこへいってしまったのでしょう
「ケイコちゃんに声を掛けて、笑わせて、親しみたい、和ませて幸せにしたい、そこに邪心はないつもりですが、うまくいかないですという場合、それをどうしましょうとうことは、初めから破綻しているので、その筋道に解法はありません、正しい解法はこうです/『男なのだから、縁あって女性と同じ場所にいるときは、どの女性に対しても声を掛け、笑わせ、親しみ、和ませて幸せにする、それが無条件でハッピーだからなあということ、そこにケイコちゃんがいたらケイコちゃんとも親しくなるというだけのことであって、普段このたしなみから離脱している人が急にケイコちゃん向けにだけラブパワー発動! なんてことはできません、成り立ちませんしケイコちゃんも怖がって逃げます』。

「持って生まれたこの身に宿されたはずの、兄弟愛はどこへいってしまったのか/そんなもん、自己愛に転じているに決まっているだろ」

「その他の女性に対しては無反応なのに、ケイコちゃんに対してだけはズッキューンという場合、これは愛ではなく『私心』です、私心があってはいけないとは言いませんが、私心を愛と言い張ることには欺瞞があり、この欺瞞は報いを受けます、『己の抑えきれない私心の漏れを、さも尊き心のふうにすり替えて言った』にはそこそこの罰があてがわれてしまう、なぜならそこには『増長』があるからです、ここはササッと『悔い改めて』してしまうのが吉です、『甘い感情に振り回された未熟を愛と言い張るなんてまさに自分が甘かったわ〜』と。なお向かうべき吉相から離反してトクをする人は誰もいません」
久しぶりに基本的なことをドストレートに語ってみたが、基本的なことは意外とモテたな! ある人が打ちのめされて言ったように、これは「理知」であって、あとは理知を真面目(しんめんもく)に受けとるか、顔をしかめて拒絶するかしかない、顔をしかめるのは常に確定事として「凶相」です。

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