☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
WS報告015(5)/Word, 3L, dawn
贈チームの勢いは水面下におびただしく、わたしの乞うたMicrosoft Wordは、ただちに十数名の有志により購入され、寄贈された/今すでに、メインのPCにインストールされ、いつでも起動できるアイコンになって表示されている。
あわせて、3LサイズのTシャツをよこせと言い立てたところ、タンスひとつぶんというような大量のシャツが、プレゼント用にラッピングされ、持ち込まれてきた、「誰がここまで大量によこせといった」、笑いながら、しかしこれは実際に助かるのだった。
わたしは身近に起こる尊いことを、感謝の一言で終わらせたくない、未だ見放してはならないのだと、不遜なことを考える/彼らは正しくあるのが明らかで、また誤ってあるのも明らかだ。
愛の聖霊を――知らぬわけではない、知らぬならとっくに消え失せていよう、知っていても異なったものが、習慣づいて身のうちから出る、これの本当の仕組みは何? たった数千年のうちに、似たような人が似たようなことに気づいて何かを言い残そうとした。

その昔、聖書によれば、エヴァという女が、己の信じる先を輝ける神ではなく、弁を弄する蛇に切り替えた、信仰をシフトしたエヴァは青年アダムも誘い込み、共に蛇の国に転生した、以降二人の身には蛇に帰依した者の功徳が証として現われることになった。
この地上に生まれている以上、われわれはもとより、 "生え抜き" の蛇教の信徒たちだ、生え抜きという言い方はわかりやすかろう?/あまりにもそれは純粋な生え抜きであるため、自分たちの身に起こるすべてのことは、当たり前の本能のように思われ、疑いをもたない。
一方で、蛇教の義に沿わない理知や行いは、自分にとって縁遠く感じられる、「なんか実感がないんすよね、目の前で見ているとわかるのですが」、それはまるでクリスチャンが神社でかしわ手を打つようなことだ、教義を逸脱しているのでいまいち身に証が現われてこない。
実感のないままに、しかしわたしの手元には大量のシャツが贈られ、大勢の人からMicrosoft Wordが贈られた、数ヶ月前や数年前には、ありえなかった話、考えもつかなかった話/わたしが蛇教の証をごく薄くしか身に現してこなかったのは、わたしに信仰心がなかったからだ、わたしはみんなよりずっと不真面目な者だったから、信仰でなく理知と学門を一人こっそりとあてにしていた。

日曜の朝、わたしは星の爆発――dawn――を見ていた。

他のみんなが、何を話し込んでいたのかは知らない、わたしは一人で、夜明けを見ていた、「まるで星が爆発したみたいだ」「そうだ、星が爆発しているのだ」「こんなものが毎朝来るようでは」「そのとおり、太刀打ちのしようがないな」/青空の向こうにはまだ宇宙が透けていた、みんなが何を話していたのかは知らない、彼らは正しくあるのが明らかで、また誤ってあるのも明らかだ。
Microsoft wordと、3LのTシャツを大量にありがとう、感謝するようなガラではないので、感謝の代わりにあの日dawnを見たことを特別にお話ししておく。
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WS報告015(4)/力のトリニティと、愛のトリニティ

とえばパチンコ屋があったとする、パチンコ屋は、フツーのパチンコ屋であってはならないので、エンチャント(魔力付与)されていなくてはならない、魔力のないパチンコ屋なんてつまんねーだろう。
魔力付与を受けるためには、カミサマやデーモンから力を賜るしかない、よってパチンコ屋はギャンブルのデーモンに帰依し、ギャンブルのデーモンを賛じ、奉ることになる、そういう照明や映像や音響や店構えがパチンコ屋を飾り立てることになる。
こうして魔力付与されたパチンコ屋に、プレイヤーが誘い込まれると、プレイヤーはただパチンコ屋にいるのではない、デーモンのblessを受けることになる、プレイヤーの元にデーモンが降臨するわけだ、ここで「誘い込まれる」という向きを矢印で図示するとこのようになる、[(デーモン) → プレイヤー → パチンコ屋 → (デーモン)]、デーモンの存在は視認しづらいのでカッコ付で表記した。
このトリニティの構図を理解せよ、プレイヤーがデーモンのblessを受けていることを明視せよ、このときデーモンを経由してトリニティを形成する材は「力」というエーテルであり、つまり「財力」という力であるカネを媒体にしてトリニティは結合し、収束に向かっている、よってプレイヤーは、財力を投げ込むほどblessを受けられるという霊的体験の中にいるのだ、だからこそ「金銭的には損をするとわかってはいるのにやめられない」という状態が続いてしまう。

何が聖なるもので、何が邪なるものかなど、わかったものではないが、さしあたり一般則として、「力」を融通するのはデーモン(悪魔)のほうだということになる、「権力」であったり「魅力」であったり、単純な体力や腕力もそうだ、「力」というのは霊的にはデーモン(悪魔)に借りるものになる。
デーモン側に帰依する場合、主題は「力」であり、だからこそパチンコや競馬のプレイヤーは、その遊びを「当たった」とか「外れた」とかではなく「勝った」「負けた」と表現する/およそ、パチンコに関心がゼロの人は、その日の収支のプラスマイナスを「勝った」「負けた」と表現することが感覚的にわからないはずだ。
それは「力のトリニティ」であるからこそ、結果が力の勝負として「勝った」「負けた」と感じられることになる/物事を「実力」と捉えて「勝った」「負けた」に分類すると、所属するトリニティがデーモン側に規定されるのだ、たとえばM−1グランプリのような形式で「勝った」「負けた」の "実力勝負" にすると、本来は人々を笑わせるはずの漫才話も、デーモンに帰依する不穏なトリニティに転属する(だからこそM−1グランプリは、大きな財力となる "賞金" を目立って必要とした)。
デーモンのトリニティを融通させているのが「力」であり、聖なる何かのトリニティを融通させているのが「愛」なのだ、だから愛を受けるためには「力」を放棄する必要がある/神社や寺院が賽銭箱(喜捨、浄財)を設置しているのは、わずかでも力を「捨てさせよう」という装置であって、また祭りになるとわざわざ重い神輿を人力で担いでいくのも、そこに「力」を使い果たさせようという装置なのだ、力のトリニティに所属しているうちは愛を受けることはできず、力を捨てた分だけしか愛のblessは受けられない。

内心で力を求めた、そのたびに、愛のトリニティからは隔たれていった。

これが愛と力の性質なのだ、聖書に「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」と書かれているのは、「力のトリニティに誘い込まれてはいけない」という警句なのだ/とはいえこれは、すでに力のトリニティに取り込まれた人にとっては、なかなか脱出不可能というのが実情だ、知力や権力や経済力、あるいは魅力や迫力や表現力というのでさえ、「力」に帰依した人はすでに十分なblessを受けており、力のトリニティから脱出はできない。
大きな権力と財力を手にした人が、たとえばツイッター等で、マウントの取り合いに毒を放ち合っている、まるで蛇に取り憑かれたように……そういう事実があることを、われわれは現在進行形で目撃しているところだ、大きな力の「勝負」に勝ったはずの人でも、所属が力のトリニティである以上、愛のblessは受けられない、それが悪いということではなく、それが性質だということだ、どれだけ力のblessを受けてきたものか? 今さら捨てられるわけのない巨大な帰依があるのだから、考えてみればつじつまは合っている/われわれにとって、力に帰依するか愛に帰依するか、その「帰依」というのはとても身近なことであって、むしろ第一に自己を決定する要素なのだった。

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WS報告015(3)/「誘い込む」法、ハローグッバイ法

の距離感、および「Go」と「Come」は、実は物理的なものでもなければ、気分的なものでもなく、ナゾの「風向き」で変わっている。
この「風向き」の現象は、「誰が気づくんだよこんなこと」という現象であって、しかし気づいてしまうと、意外に簡単に操作できる現象なのだ/この現象は例外的に、「まず気づかないが、気づいてしまうとカンタン」なタイプだ、ふつう逆だけどね、「気づいてはいるけどむつかしすぎる」というのがほとんどの現象なのに(まあこれは、単純な「(大)気の流れ」だからな……)。
このように実演する、僕が誰かに向かって(全員に向かってでもいいが)、手を振る、そして僕が僕自身から見て「追い風」で手を振ると、その手は「ハロー」に見える、次に捉える風向きを逆にして、僕自身から見て「向かい風」で手を振ると、その手は「グッバイ」に見える、手の動作はまったく同じなのにだ、これはやられてみると誰でも「ホントだ!」と不思議にわかるものだ。
僕が誰かに正対して、僕が「向かい風」を捉えているとき、僕の正面にいる人にとっては、その風は「追い風」ということになる、だから僕の正面にいる人にとっては「Go」が掛かり、僕自身にとっては「Come」が掛かる、これによって「誘う・誘い込む」という現象が成り立つのだ/「誘い込む」という風向きの中で、僕が「フライドポテト食べてくるわ」と言うと、それだけで「誘われている」という現象がはっきり生じる、風向きを逆にすると「誘われている」という感触はまったく生じない。

図示してみると、「あ、そりゃそうか」と、実はカンタンな話なのだった、図示A[→人→僕→]なら僕が「誘っている」ことになるし、図示B[←人←僕←]なら僕は「追い払っている」ことになる/矢印が「風向き」なのだから、想像してみれば当たり前だ。
しかし、この簡単な原理が、気づかれるかというと、気づかれづらさはエクストリームなので、人は平気で逆をやってしまうのだった、つまり「おれについてこい!!」というふうに、自分の追い風で「発信」してしまうのだ、そうなると、人は癒着的にしか「ついていく」ということができなくなる/それがまた、癒着的な人ばかりを呼び込んでしまうのでもあった。
この構造と図式は、カンタンでクリアで、希望にあふれたものだが、ひとつのテーマに切迫させるものでもある、というのは図示C、[→人→僕→X]としたとき、風向きの果てにあるX、つまりこの場合でいうと、「僕自身は何に誘われているのか?」ということが問われるのだ、僕自身の行く先がなければ人を誘い込むことはできない。
ここで、最近ワークショップでよく言う、トリニティの問題が出てくるのだった、風向きが三角形の循環を取ると捉えたとき、僕はXに誘われ、人は僕に誘われるわけだが、そのときXから人に差し込む風がある、つまり誘う僕に正対する人が受けている「追い風」は「Xからの追い風」だというのが真相だが、このXからの風のことをさしあたり「祝福(bless)」と呼んでいる/この祝福の主体Xが、誘い込まれる人のこれまでの帰依と異なるとき、人はこのトリニティから脱落するのだ、この祝福の追い風をキックした人は、別の追い風の中へ吸い込まれていくことに、強制的になってしまう。

X bless you!

けっきょく、人の行き先は、この「bless」で決まってしまう、聖のblessを受ける人は聖のトリニティに収束してゆき、蛇のblessを受ける人は蛇のトリニティに収束していってしまう/聖書のシーンを例に出すとわかりやすいが、アダムとエヴァと蛇がいて(トリニティ)、蛇がエヴァをそそのかし(誘いこみ)、そしてエヴァはアダムを誘い込んだのだから、アダムは蛇のblessを受けることになる、このトリニティによって、人は楽園を追放されて地上に落とされたと聖書では伝承しているはずだ。
X bless you ということだが、より差し迫っては、 "You are blessed by X" あるいは "You must be blessed by X" と捉えるべきかもしれない、このときワイルドカードXが、人によってまちまちで、取り替えが利くのか利かないのかも、よくわからないのだ/ここの根源的な仕組みを指して、「ここが一番ヤバイ」「九折さんは動いている原理が他と根本的に違う」と、われわれは割と大マジメに悩んでいる。

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WS報告015(2)/つなぐ・切るの皮膜

ワークショップでは、初めに全身を「つなぐ」ということを教えるし、毎回そこからスタートする、当ワークショップの基本中の基本だ。
全身を「つなぐ」というのは、魂魄(霊魂・気魄)の言い方でいうと、気魄にあたり、YesとNoの性質でいえば「No」の性質にあたる/全身を正しくつなぐことによって、まんべんなく全身が「No」になる、「偏りがない」という状態になる、つまり「何もしない」ということがようやく正しく手に入る、このことは人とのつながりとして「誠心誠意」のことともつながっていく。
一方で、全身をばっちり「つなぐ」と、全身はぐらぐらせず「動かない」という状態が得られる代わりに、それだけでは「動けない」ということでもある、動くためにはどこかを「切って」、ゆるめねばならず、しかしゆるめるのであれば「じゃあもともと、なぜつないだの?」という疑問が残る。
これについて、最終的な結論は、結論としては簡単で、「常にすいすい動く状態になっているのに、ストレスが掛かるとその瞬間に全身がつながって弾くという、そういう身体の状態ができる」ということになる、これは皮膜法とでも呼ぶべきだろうか。

「全身をつなぐ、ということは、もう一部の人は、かなり出来てきているじゃない? それで、全身をつないでいたら動けないわけだから、全身がゆるんでいなくちゃいけない……しかし、ここでひどいインチキがあってね、ゆるんでいるといっても、実は "つながる寸前" 、全身のつながりが完成する寸前でゆるんでいるという状態があるんだ、それがベストの状態なんだよ」
実演するとこんな感じになる、まず僕が足を広げて立っており、誰かが僕の手首をとって、それを左右にゆらゆら動かす、すると何のストレスもなく、僕の腕は動かされるままにゆらゆら動く/このとき「動かされる」のは、感触としてストレスがゼロでなくてはならない。
そして、ゆらゆら動かしているところから、急にバッと、掴んだ手首を押し込んできて、僕をぐらつかせようとする、するとこの瞬間、さきほどまでゆらゆら動いていた僕の腕は、急に全身の隅々にまでつながってしまい、根が生えたように動かなくなる/これは全身をつなごうとしなくても、勝手につながるのだ、「あと一滴で全身がつながる」という、完成寸前のところでゆるんでいるだけだから、そこにバッとストレスを加えたらその瞬間に全身はバッとつながってしまう、それで急に根が生えたように動かなくなる。
これは気魄の、具体の現象なので、僕が狙って操作するものではない、身体が勝手にそういう状態を獲得するということ、だからどれだけフェイントをかけても僕の身体は反応しない、フェイントには反応しないのに、ガッとストレスをかけた瞬間、その直接のストレスに対してはただちに全身が反応してつながる、これは僕の "ワザ" ではなく、身体の "機能" なのだ/これができれば、さしあたり純粋な身体操作としては当ワークショップの目録ということになる、純粋な身体として目指す土台はそこだ。

0℃の水と、0℃の氷が存在する。

水の氷点は0℃だし、氷の融点も0℃だ、0.001℃になればすべては水になるし、-0.001℃になればすべては氷になる、「全身がつながる寸前でゆるんでいる」というのは、ちょうどその0℃のところだ、わずかな流れにも速やかに動くし(水)、わずかな押しにもただちに不動になる(氷)。
最善の状態で「動く」というのは、まったく滞りのない流れ・一調子でなくてはならず、さらにそこにわずかでも変調が掛かった瞬間、変調はただちに弾き飛ばすようでなくてはならない、それにより本人の全身は環境に応じながらも0℃状態(皮膜状態)を継続していくのだ。

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WS報告015(1)/ミリ秒法

ークショップで毎週、全身全霊を使い果たすので、今になってようやく恢復、まあそのあたりはいつもどおり。
今回は、「けっきょく人の身体ってどうやって動いたらベストやねん」をメインにやった、「ミリ秒法」とでも名付けるべきか。
自分の身体を、まず空っぽ、ゼロにする……ゼロというのは、いわば「超伝導」みたいな状態で、電気抵抗がゼロみたいな状態だ、信号がビュンビュン、劣化や消耗なしに通るということ、もともと超伝導物質ってそういうモンだからそこは単純にググれ。
そして、身体の動かし方としてベストなのはけっきょく、「身体に送る命令のね、99.9%は余分なんだよ、要らないんだよ、自分の身体に、ミリ秒だけ命令を送るんだ、そしてその後、ただちにゼロに戻ってくること! その、ゼロに戻ることの速さが、おれの言っている "速さ" なんだよ」/実際にこのミリ秒の命令で身体を挙動させると、ゼロからゼロに……その中にミリ秒だけ命令シグナルが生じるので、「サ、サブリミナル映像みたい」と見えるらしい、サブリミナル映像というのはなかなか当を得ていると思う。

これまでに何百回も言ったことだが、人の身体は、力を入れると「止まる」ものだ、力を入れたら「動く」と思っているのは原理的に誤った思い込みでしかない/誰だって、ゆらゆら揺れながら、「ふんっ!」と力を入れてみればわかる、絶対に身体は「止まる」はずだ。
ところが、単純な体育や運動やスポーツの発想だと、この「ふんっ!」とするいわば「硬直パワー」を、転用して強引に、人の身体を「加速」させて、動かそうとしている(し、実際にそうやって動かしている)、それは動いているのではなく「力を加えて加速させている」のだ、これだけで身体にはずいぶんな負担になってしまうのだった。
しかし、力がゼロだとさすがに、本当にまったく動かないわけで、「じゃあどうすればいいんだよってことになるよな」、このナゾがずっと残っていて、実は解法は簡単なのだ、「ミリ秒で命令し、ただちに命令をゼロに戻す、そうすれば、筋肉が硬直やヒートを起こす前に動作が完了するんだよ、だから "抜けて動く" ということが実際に可能にになるんだ」。
自分が身体を動かそうとする、神経の「命令」を、当然送っているのだが、そのうち99.9%は本当に余分で、要らないのだ、余分に突っ込まれた99.9%は、筋肉の無駄な硬直と、筋肉の無駄なヒートに使われることになる、それを使っていると、次第にムキムキにはなるかもしれないが、ムキムキになりたい人以外には何の利益もないのだ、ムキムキになりたければなってもいいが、重量が増えたぶんは当然動きが遅くなるし、余分を背負い込んだぶん自分が常にしんどくなるのは当然なのだった。

全身の、全細胞をゼロにするのがまずむつかしく/次に全細胞を瞬間、同時に千にするのもむつかしく/その一ミリ秒後に、全細胞がゼロに戻っているというのが、最後に一番むつかしい。

実際に観察してみるとわかるが、自分の身体に対して「命令前」→「命令」→「命令終わり」→「命令消えて元に戻る」が完了する速度は、僕は一般の人より何百倍ないし何千倍も速い、そりゃミリ秒なのだから何千倍というオーダーになるのが当然だ/なぜかこの発想と訓練はほとんどのところで為されていない、これはもはや「帰依する先が違う」というような方法論の違いになる。
ふつう、人がすばやく動こうとすると、いわゆるウォームアップが必要だろう、筋肉をあたためて、実際は筋肉のヒートアップを準備に使っているのだが、それはロケット燃料でロケットを飛ばすときのように、速さを求めるのに「加速、加速、加速!」という発想をしているのだ、燃料ブッこんで「アチアチ」にしとこうぜという/その加速の果てに得られる速度というのも確かにある、だが加速を得ること自体に時間が掛かるし、力尽くで加速を得ること自体に自他の損傷とストレスがあるのだった、だから僕は違う方法を採って推したい。

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WS報告014(2)/これまでのほーしんと今後のほーしん

「方針」なんてマジメに考えたことはないが、気づけばバッチリ、明確な方針はあるのだった。
こういうの、また近いうちに、ビシッとまとめないといかんね、ウーンめんどうくさい/人間の機能には「Yes」と「No」があって、Yesが霊魂(横隔膜)、Noが気魄(心臓)というのが中枢理論なのだけれども……
とにかくわれわれって、フツーに暮らしているだけだと、全身めっちゃくちゃになるからね、ちゃんと調えて、本当の使い方を知らないといけない、Noは「まんべんな〜く」であり、誠実に「何もしない」ということ、そしてYesのほうは「やわらか〜く」で、「空間」を広く取らないといけない/こんなもん、誰にも習わずにたどり着ける奴はまずいねえよ。
全身を、Onにすると、気魄がみなぎってNOになり、身体は動かなくなる(何もしなくなる)のだが、現代教育、これを逆にしているのはすごくマズいよ、力で蹴って、力で振り回して「動く」と思っているだろ、それだと自分と他人にすげえストレスをかけるんだぜ、しかも「世界」を感じる能力がゼロになってゆき業(カルマ)だけは燃えさかっていくというオマケつきだ/うーん、こんなもん、逆をやらせているのは悪魔の所業じゃねえか、動くのはYesで動くんだよ、やわらか〜くして「空間」の中で動くんだよ。

今後の方針として……ひとまず、進捗というか、レベルの向上はすさまじいものがあるので、今あらためて基礎のほうを、もう一度みっちりやる側面を持ちたい/全身のon・off、つまりまんべんないonと全身に澄み渡るyesが獲得されれば、その先の報酬がグッとでかくなるから、これはそろそろ本格を追求していきたいところなのだ。
あと、今さらだけど、先日「腹式呼吸」をやってみたよね、そうしたら、お前らみたいなモンは、腹式呼吸もまったくできねえんだな、そんなもんどこか生きてくる途中で身につけてこいよぉ/と思って、youtubeで調べてみたが、アカン、youtubeにも正直、腹式呼吸のまともなやり方なんか出ていない、いわゆるボイトレ的な発想の腹式呼吸をアテにしないほうがいい、人間の呼吸って音を出すためのコンプレッサーじゃないんだからさ、<<歌より呼吸のほうが大切ってことぐらいソッコーで気づけ>>、どうして自分が目立とうとする方向にしか発想がいかないのだ、歌がマシな奴になるより、呼吸がマシな奴になるほうが上等だろ、そのへんの発想がヘタなのはよくない。
このところ、全身が「つながる」ということについては、Hさんを筆頭に、もうほとんどカンペキじゃん、という人が出てきた、それだけでもスゲーことだが、これが全身くまなくYesに「抜ける」ということ、またそうしてNoとYesをどれだけ速く・高精度に切り替えられるか、ということに、基本性能の差がついてくる、この基本性能のほうもやっていこうね、何しろ最近はレベル向上の勢いがマジでおかしいからさ……/日常的な動作において、「静かなのに速い」「速すぎてとてもじゃないが絶対に追いつけない」という性能までいきたいところだ。
そして、もともと今回のワークショップをやりだした動機である、「呪縛」から逃れるというやつ、これを本当に「ギリッギリでも脱けられる」「消えたみたいに脱けやがる」「めっちゃ動くのに、めっちゃ何もしていない」という精度まで高めていきたい/こういう二側面を持たないといけないな、つまり片面としては「見当もつかなかったことが、実はできるようになる」ということと、もう片面は、「ざっくり出来ているつもりだったことが、とんでもない精度で出来るようになる」ということだ、そんな感じでまじめに今後の方針について考えてしまった。

完璧を目指すときは上昇を捨てる、上昇を目指すときは完璧を捨てる。

これ、意外に重要なことでね、先に進みたがる人は、基礎の訓練に入り込めないのだ、先に進みたがってしまうと今のことができない/逆に、先に進まねばならないときは、これまでのものを置き去りにしてしか進めない、ここのところはくっきり意識的に判別できていないといけない。
高校生の勉強だって、片面では「中学レベルをもう一度完璧にする」ということと、もう片面では「大学入試レベルに全力で掛かってみる」というのがあるものな/基礎というのはたいへん地味なので、おれもあまり好きじゃないのだが、そろそろ基礎へ立ち戻ることもやっていかないと、この先の効率が逆に悪くなるだろう(うーんガラにもなくマジメな話をしてしまった)。

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WS報告014(1)/ELM(Everything Loves Me)

貫、二日間で小説を書きながら、ただちにワークショップに入りつつ校正を行うというような、アホな試みをして、それでもなんとかなってしまうのだから不思議だ、もう何十年もずっと、「オリたって損なだけ」というのを続けている気がする。
オリたって損なだけ、でもそれはおれの話だ、きみの話じゃない、すでにチルアウトの始まった、きみの話じゃない、そう教えていなかったっけ/若いというのはすばらしいことだ、若いというのは事情がないってことだ。
さてワークショップの進捗具合は、このごろ目覚ましいものがある、「いつのまにこうなったんだ」ってことばかりだな、露骨法から手渡し法を理解して、手渡し法に「集中」が掛かると「なるほど!」となり、そこの音楽でも入れば「な? 空間と点だからさ」「なるほど!」と/こんなこと、いつのまにか出来ているんだから進みぶりがコエーよ。
そのようにして、セオリーとメソッドは、すでに実体としてのひとつの結論に届こうとしている、ただメソッドなんて届いたってね、「何も間違っていないツマラン奴っていくらでもいるだろ」/ということで、われわれは愛の話をしたのだった、学門なしにはいかに愛に到達しえないか、学んだ者だけがゴリゴリにイヤというほどわかるのだった。

愛と自己決定は、同じ一つのものだ、それっぽく言っているのじゃなく、数学的に同一の構造にたどり着く。
三つのことを同時に決定せねばならないが、その代表をあえていうなら "Everything Loves Me." だ、長ったらしいのでELMと言うようになった、「その反対は "Nothing But Battle" だろ、こちらはNBBと呼ぼうや」、ゴリラ世界のマウントの森では、何の愛も自己決定もなくNBBだけが繰り返されている/スポットライトを浴びて踊る方法を教えてやろうか、 "Everything Loves Me." だ、これが雰囲気じゃなく学門だというのだから相変わらずおれはすてきだ。
右手にリンゴを持ち、左手に梨を持ち、口に柿をくわえろ、この三点がどう動く? 三点とも埋まっているので動かしようがない/ただ、三つが同時に動くのなら、右手に柿が得られ、左手にリンゴが得られ、口に梨が得られるだろう、自己決定というのはこのように、三点・三方向のことを「同時」に決めないと成り立たない、この適切な説明に驚嘆しろ。
お前らはおれを愛しているだろう? おれを愛さない女なんて気が狂っているんだろうね、お前らが当然おれを愛するのは、おれがアレを愛しているからで、おれの愛はアレに向かい、お前らの愛はおれに向かう、じゃあ三角形はどうなる? 当然、アレの愛がお前らに向かう/それは「祝福/bless」と呼んでもいい、この三方向同時の決定を自己決定というんだ。

自己決定が、自己ではなく双方向でもなく、トリニティというだけだ。

おれがアレAを愛したとき、おれを愛したお前らにはアレAからの祝福が届く、bless you as A、おれがアレBを愛したとき、おれを愛したお前らにはアレBからの祝福が届くだろう、bless you as B、三角形が循環していることは、わずかな知能があれば理解できる。
これはセオリーだが単なるセオリーではなく、メソッドだが単なるセオリーではない、これは「コア」だ/この先はもう、コアがないとつまらないという話でもあるし、言い方を変えれば、コアがなければもともとすべてがつまらなかったという話だ。

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No. 383 疲れないように生きる

掲題のコラム、本サイトにアップしました。



No. 383 疲れないように生きる

―― つまり、「一切やらない」という自己決定と同時に、「一切やり尽くす」という自己決定も必要になる。


よろしくお願いします。九折

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WS報告013(3)/ガイルはアメリカ人

ブタイトルは気にしないでくれ、全部を報告することはとても不可能だ。
とにかく「集中力」をやった、そのせいで難度は跳ね上がったが、そんなもん「集中力なしで出来るまともなことなんてあるか?」と、ウリャアアア。
集中力を付加して金魚法や手渡し法をやると、きらめきと実用性が増すなあ、ただし集中力ができればだけどな、集中力は「空間と点」、これをこの機に叩きこまねばならない。
あくまで手続きとしては、集中力は空間と点だから「空間」が必要で、「空間」のためには横隔膜(霊魂)が必要で、横隔膜のためには気魄との分離が必要で、そのためには胴体がまとまっていなくてはならなかったということ/ここまで最速の手続きで「集中力」まで到達できたと捉えるべきだ、初めから「集中力」なんてアプローチできなかったんだよ。

その他は「歩く」という動作の、たまには完全に身体操作のみのワークをした。
また、重要な話として、祭り・フェスティバル・カーニバルと、人間の精神が深く関わっているということを話した、人々とカミサマってどうつながるのよという話なのだが、「旧来、ふつう、人々とカミサマの間には "祭り" が挟まっていた」「簡単に言うと、カミサマ→神事→祭り→文化→人々という順だったんだな、だが現代では祭りがオモチャにされてしまって、その下の "文化" も破壊されてしまった」「だからもう、個々人が、直接カミサマにアプローチできる方法を持つしかない、基本的に現代では、文化と祭りを通してカミサマに接続することは不可能だ、神事以下の人は墜落していくしかない状況がある」。
朝になって、食事に行き、その後話し込んで、なんと十二時間も話し込んだのだが、これはもうアホではなかろうか、結果的にほぼ二十四時間コースじゃねーか、しかも一昨日からほとんど寝ていないやつが今夕までぶっとおしだったが本当に大丈夫なのか……
十二時間も話し込んだのは、自己決定についてのことと、何より「愛」「隣人愛」についてのことだった、「愛というのは感情じゃなくて現象なの、フェノメノンなの」「エモーションとラブを混同するなって」「 "アレルギー" について説明できるだろ? それと同様に隣人愛について説明できないなら、そりゃ単に勉強不足だよ」「学ばないと隣人愛なんて現象は絶対にわからんぜ」。

彼は一晩中歌っていた。

彼はこれまで歌うことが苦手だったそうだが、何かがうまくハマったらしく、ごきげんな歌声が噴水まわりを一晩中ぐるぐる歩いていた、まあすべてを説明はできないが、「もう本番前に充足を得ちゃいましたよ〜」的な状態だったらしい、とはいえ本番もうまくいきますように! ネタ的にはスゲー出来だし、バリバリ優勝を狙えると思うぜ〜(だが優勝を狙いにいくようなモンなのかどうかは知らん笑)/「まさかこんな具体的な指導と改善をしてもらえるとは、思って……ました!www」
おれさまは愛の人間なので、アドバイスはしない、だいいち愛の力で解決しないものを、アドバイスなんかで解決できるはずがない/おれが何かを改善しているのではなく、改善が起こるとしたら何か別の力だ、スゲー力がスゲーことをしてくれるだけであって、おれが何かしたりはしない、おれはめんどうくさがりなのだ。

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WS報告013(2)/集中力にはメソッドがある

回は「集中力」をやった、これがめざましいテーマとなった。
もちろんすべてのテーマはひとつのことにつながっているけれどね。
こんなこと、ここに報告してもしょうがないかもしれないが、「集中力」というのは、「集中〜」ではないのだ、「空間と点」なのだ。
広い空間があり、それが一点に集まるから「集中」というのだ、広い空間を捉えていないと、「集中」といっても「何が "集まる" の?」ということになる、このメソッドというかセオリーを知るまで、「集中」および「集中力」というのを正しく得ることはできない、だからここにバラしておく。

「集中」というのは、「集中〜!!」じゃないよ、「空間と点の関係だよ」と、説明はそれでオワリだ、説明としてはそれ以上ない。
本来は、こんな中枢のセオリーを、バラしてしまっていいのかという話になるのだが、僕の場合はかまわんのだ、この一言セオリーで「あ、そっか」とわかる奴は、もうそれでいいじゃないか、それでわかる奴はワークショップなんか来なくていいんだよ、どうだこのあくまで公正な考え方は。
テキトーに、たとえば種田山頭火が、まっすぐな道を歩いていたとすると、その魂はこの世界の空間へ広くつながっていたに違いない、そのとき種田山頭火の魂はデカいだろう、空間を広く捉えるのはそうして霊魂の機能だ/そしてその空間が広く保たれたまま、ビャッと感覚が一点に集中する、そうしたら言霊ぐらいはあるんじゃないか、さすがに種田山頭火に言霊がないと言い張る奴は何の見込みもないのでスズメバチの巣に全力でダッシュパンチすること。
もし言霊なんてものがあるのだとしたら、理論的に、 "言霊をディールする方法がある" ということだ、それは「空間と点」という集中力の問題だから、別に言霊でなくても何ダマでも同じだ、ただそれだけのことで、そんなもんはビシャッと「出来て」しまえばそれで何の文句もないのだった。

広い空間が保たれたまま、点にビャッと集まるなら、そりゃ「集中」だ、気合いじゃなく国語の話だ。

愛と速さと集中力、この三つは、誰が持っていても「何の文句もない」というスグレモノだ、一方で、ストレスと重さとわだかまりを持ちたい奴なんているのかね、そんな在庫を蓄積してやがてのバーゲンセールとか、ぜひやめていただきたい/さっさと正当な対抗手段を持つべきだと、僕は合理的に考えるのだった。
「         → ・ ←         」。

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WS報告013(1)/ことごとくグッド・ニュース

さんは右半身・左半身を獲得(すげえ)、ヴェジ青年は「集中力」を得てマジ躍進、色鉛筆ちゃんも集中の「点」がわかったようだ、その他も色々……
ふつうこんなペースで、人の根源的な変化というか獲得というか、こんなグッド・ニュースは出るものじゃないね、何かよくわからんが背後に大きなすばらしい流れがあるのだ。
僕自身、何かを「使い切る」というところまで本当に出力できるようなったようで、途中で急に眠り込んでしまう、しばらくして起きると超スッキリしているのだが、二歳児じゃあるまいし、なんなんだこりゃと我ながら呆れる。
雨天とスタジオの都合で、今回は出だしの二時間を座学にしたが、二時間なんか一呼吸であっという間だな、今回はわずかも沈滞ムードは生じず、急にスタジオの床で僕が眠り始めたときも、たまたま覚醒したヴェジ青年が「集中力」ワークのリードを取ってくれた、最年少なのにやってくれるじゃないか。

「脳みそに快適じゃないと入らないんだよ」「脳みそって臓器だからね」「胃袋を痛めつけて吸収がよくなるかい? 脳みそもそれと同じだよ」。
僕がノートに "爆発的" なメモの取り方を示すと、みんなで「うわあっ」とよろこびが起こった、「な、これでもう忘れっこないだろ」「ホントはこれで、この言葉が "定義" されたってことになるんだ」「十二時間前と今とでは、この言葉の示すところがまったく違うだろ」。
「陳腐な線はひとつもあってはならない」「魂から出たやつだけを示すんだ、うりゃあああ〜ってな」、そうすると "爆発的" な物が出るが、これが脳みそに直接ビンビン来るというか、ひとつのまとまりとして……つまり魂から出たものだから魂に直接作用するわけだ、魂というのは分離できるたぐいのものではないのでその像は「ひとつ」のまとまりになる。
この独特のよろこびに、名前をつけたい、脳みそがよろこぶという臓器アタリマエの感じも合わせて/しかしどう名前をつけたものか、困っている、「芸術は爆発だ」というとそのままだが、それでは過去のグッドガイの箴言そのままになってしまうぜ。

「せっかく脳みそがお祭り騒ぎなんだから、お祭り騒ぎのままを書き記すんだよ」

「このメモというか、見開きには、 "自己決定した何者かがここを踏み抜いていった" という痕跡があるだろ、これが脳みそに直接ズドンと来るんだ」、自己決定の福音がいよいよ聞こえてくるだろうか、みんな魂を書き込んでやったノートを宝物にして胸に抱えて休みに帰ったよ。
すばらしい成果なのだが、いちいちよろこぼうという気はしない、収穫時期の農家のように、リアルに実りがあるときはよろこんでいるヒマなんかないんだろうな。

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パーティ報告84(2)/「自己決定」

心な、根っこの部分は、技術もヘッタクレもない、小細工は役に立たない。
「自己決定というのは、必ず感動的でなければならない。何を産み出す? お前の生きて歩いた後には何が残る? 何かを産み出しているなら、そりゃ必然的にかっこいいし、感動的になるはずだ」
「このことに関しては、他のヤツは関係ない、自分で決めることだから、自己決定だな、おれは、おれの歩いた後に、楽しくなかった土曜日なんて一日も残さねーぜ、おれの生きた日につまんねー日なんか一日もあるわけないだろ、これがおれの命なんだからさ」
「これに関しては、別に何が正しいとか、そんなことはどうでもいい、これはただおれの決めることだからな、おれは自分がどのようなクソでもかまわんが、おれを慕ってついてきたヤツに、『あの人に出会えてよかった』と言われるようでありたい、そうであれば他のことはどーでもいいんだ」

「おれの生きる世界以外に、おれの生きる世界はないからね。おれのやること以外に、おれのやることはないもの。ああ、これ単純でいいな、真理だよ、次のポスターのコピイにしようかな」
「これに関しては、待っていても、何かが降ってくることは絶対にないんだ、『おれがやりま〜す』と、手をあげて立ち上がったヤツには、何かがフッと、声をかけてくれることはあっても、その逆はない、何かを待っているヤツに何かの声がフッとかかることは決してない、逆だ、先に立ち上がって『やる』ヤツに、運が良ければ、何かよくわからん声が吹き込まれることはあるよ」
「もちろん、不吉のパターンもあるかもな。おれの言っていることかわからないか? 今、街のどこかに、○○に断固反対! みたいなプラカードを掲げて歩いている人たちもいるだろう、それが悪いってわけじゃないが、お前がおれの言っていることがわからないとして、お前は、プラカードを掲げて歩いている人たちの言っていることは "わかる" はずだ、そこのところに気づかないといけない。お前はおれの言っていることがわからず、共感できないのに、他の……誰かが言っていることはわかって、共感してしまう、それが悪いというわけではなくて、それがお前の所属だ、それに自分が満足できているのかどうかだ」
「自己決定、と言われると、何かが急に怖くて、何かピンとこなくて、どうしたらいいかわからない、どうすればいいのか見当もつかないんです……と、そのパターンはいつも見てきた。まったくいつものことだ。そして、見当もつかないと言っているのは、そもそも、自己決定している他の誰かのことを見ていないからじゃないか? その失認が、正当なのか不当なのかは、おれの感覚からはよくわからないんだ」

自己決定が要求される局面はない。

なぜなら、局面が要求してくるものは、自己決定ではないからだ、それは局面に要求されているのであって、自らに由って決定しているのではない、「お前に『自己決定しなさい』って、強制してくれる人は誰もいないよ、強制されたらそれは強制決定であって、自己決定じゃないのだから」。
「まず、自己決定をするという、そのこと自体の自己決定が要るというのも、話の筋道としてはよくわかるけれどね、正直あまり聞こえてこないや……何かの実感を待っているあいだは、自己決定なんてやってこないだろう、実感がやってきたとしたら、それはただの "願望" だろうね、そして人は願望に振り回されるのであって、むしろ願望のせいで自己決定ができないものだ/人は願望に向かってゆけるのじゃないよ、人は願望に操られ、願望が人を操るんだよ、そうして自己が願望に決定されてしまうのを自己決定とは言わない、だから実感を待って実感に操られたとしたら、その時点でキミの負けだ」

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パーティ報告84(1)

日のワークショップの報告は、「月刊ワーQ」を発刊したのでよしとして……
今回のパーティは、前半、異様に盛り上がったので、もう何がなにやら、盛り上がりすぎて覚えていない。
盛り上がったというか、何か爆発的なものがあったな、みんな月Qの寄稿で苦労した直後というのもあって、その打ち上げ感もあった。
人それぞれに、うおおお〜という感興があったのだが、まあそれは人それぞれのことだし、ここで報告するものでもないな、とにかく本当に面白いことでなければ、人は爆発的にはよろこべないのだった、そりゃ当たり前か。

もう意識が飛びそうなので、忘れないようにメモしておきたい、人が何かを「教わる」というのは、情報を突っ込まれることではなく、「関心・興味の方向を啓いてもらえる」ということだ、また後日説明する。
そして、よく「やる気を出す」というが、正しくは、「やる」というのは気ではなく霊なのだ、「やる気を出す」ではなく「やる霊が入る」でなくてはならない、このことも後日説明……するのかね、まあどっちゃでもいい。
あと何だっけ、そうそう、「種の力と花の知性」だ/今回はたまたま、「自己決定」というテーマが本当に旋風となって語り合われた(ホンマかいな)。
愛があったり、なかったりで、「うおお〜自分に愛がないことに気づいてしまったああああ〜」(某青年・談)ということもあり、ゲラゲラ、でもこのごろになってわかったのだが、てめえらけっきょく、ほとんどのことが未体験の初体験なんじゃねえか、そりゃ何もかもショッキングでエエエエとなって当然だ、いいかげんその展開に慣れろよ。

もはや楽しいという感想も吹き飛んだので、ようやく値打ちが出てきたわ。

パーティを企画してから、どんだけ時間かかっとんねんと、気が遠くならんでもないが、まあその間におれもヤベー奴()になったことだし、結果的にこれ以上ないといえばないのかもしれない、同じ事は二度とやれねーと思うから、経験上これでいいのだろう。
今回は例外的に、前半が爆発的に盛り上がったので、よしよしという感じで、後半(終電以後)は少し休ませてもらった、これは例外的なことというか、ついに僕がパーティ中に休めるときが来たのである(いつまでかかっとんねん)、まあその他いろんなこともあって、めでたいめでたいという具合なのだった、このままさらに悪辣にいくのでよろしく。

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「月刊ワーQショップ」創刊

「月刊ワーQショップ」が創刊されました。ご自由にダウンロードください。

 

→月刊ワーQショップ創刊号(二〇一八年九月十四日)[pdfファイル]



ぜひご一読ください、よろしくお願いいたします。

九折


刮目せよ〜
 

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第84回Quali's Party[9月15日(土)]無事盛会!

9/17 Quali tweet> 盛り上がりすぎやろ……(回想)。 pls entry

joined: ひろみ、あきら、ゆか、ともこ、しおん、かず、やじー、ゆうさく、トム、くおり
日時:2018年9月15日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB



おかげさまで無事盛会でした! 次回もよろしくお願いいたします。

九折


キラキラ次回[10月20日(土)]加エントリはこちらから!キラキラキラキラキラキラ

→その他詳細はこちらから


宣伝コラム「パーティへの誘い その1」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その2」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その3」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その4」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その5」はこちらから!

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No.382 愛されないと面白いことはできない

掲題のコラム、本サイトにアップしました。


No. 382 愛されないと面白いことはできない
――つい、あなたも、僕のことを愛してしまいそうになるだろう。愛というのはそういうものだと思う。


よろしくお願いします。九折

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No. 381 「薄気味悪いことを持ち込まない」
掲題のコラム、本サイトにアップしました。


No. 381 「薄気味悪いことを持ち込まない」
――同調を求めない人がいると、それだけで少しホッとする。


よろしくお願いします。九折
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WS報告012(2)/誠心誠意で「声」が届く

間には「魂魄」といって、霊魂と気魄があるが、気魄(わたし・こころ)の正しい使い方として、「誠心誠意」というのがある。
この、「誠心誠意」という状態で、人の後ろ(5m〜10m)から声をかけるというワークをする、「こんにちは」「こんばんは」と/僕が模範でやってみると、みんな予想よりもはるかに驚いて、逆に僕がびっくりした。
「うわっ!」「近っ!!」と、みんな驚いたわけだが、僕も「そうなの?」とびっくりしかえすという具合だった、とにかく「誠心誠意」という正しいやり方でやると、後ろから声をかけても、「首の後ろに直接言われたみたいな感触がする!!」そうだ、とにかくそうして「人に声が届く」という現象がある。
人を後ろ向きに四人並べて、狙った一人だけを振り向かせるように「こんばんは」とやってみたが、やってみればできるもんだ、狙われた一人だけに声が届き、その人だけがぴゅっと振り向くようになった、そしてこうひとつ高度な感覚を使って声を届けると、四人同時にこちらを向かせることもできた。

そういったことを、一回目でビタッと成功させるところが、さすがおれだと、満悦したので、その点については「さすが〜」と褒めてもらった、まあさすがおれである、そりゃそんなもん、おれともなれば(ほぼ)すべてのことがイッパツで出来ないと、面白くないからな!
誠心誠意というのは、いわば人に「作用する」ということだ、これをやるとプレイヤーたちは露骨に「こころ」が通じた関係になり、あちこちで輪になって座り込んで、話し込みはじめやがった(おれはこのチャンスに腹痛のアレでトイレに行くことができた、ばっちり)。
「誠心誠意」という、「こころ」の使い方は本当にあって、それはキモチの問題ではないのだ、自分の胸の中心から相手の胸の中心にビタッと向き合って、つながり、相手の胸を掴んで引きずりおとすぐらいのつもりで、身を傾けて「こんばんは」とやる、すると、敏感な人は「うおっ!」と驚くぐらいに「声」が届く/自分が声を「出す」のではなく、相手の胴体に直接「声」が発生しないといけない、自分が声を「出す」のでは、実際には「音」しか出ていない(「音」はうるさい)。
そうして、人に正しく「作用する」のが、気魄・わたし・こころの正しい使い方であって、霊魂というのはその逆、人に「作用しない」のが霊魂だ、別の言い方をすると「光の形が変わるだけ」ということになる/胸の真ん中(心臓)から身体の末端へ気魄をOUTさせると「人に作用する」になり、逆に身体の末端から胸の下(横隔膜)に霊魂をinさせると「人に作用しない」になる、そして「声」は作用だが言葉は「非作用」なのだ、これを正しく使い分けられないと、われわれの言語は言葉ではなく呪いになってしまう。

当ワークショップ、「誠心誠意」が割と人気メニューです。

僕としては、ソウルとフィクションが本分であり、ウリのつもりなのだが(というのは、この「誠心誠意」は、ヨソでも教えてくれる人がいるはずなので)、しかし実際には多くの人がひとまずこの「誠心誠意」をやりたがるな……まあそれはとてもまっとうなことだと思うので、このワークの頻度というか、優先度を上げようと思う/必須ワークのひとつに、この「誠心誠意」を入れたほうがいいみたいだ。
プレイヤーのみなさんは、単にこれを「できる」に留めず、「うおっ!!」と驚かせるぐらいに、ぜひなってね、ハートがちぎれそうなぐらいハートフルというのがナイスだ、そういうことをリアルにやれるというのは面白いことだな。

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WS報告012(1)/見た目のきれいさ・若さ・胴体の落ち着きぶり

「光の形が変わるだけ」/目でモノを見るというのは、実はモノを見ているのではなく、光を見ているのであって、モノの動きや形が出るというのは、実は「光の形が変わるだけ」という……まあそんなこと、ここだけ書かれてもナンノコッチャにしかならない。
ワークショップ報告を書こうと思うのだが、いよいよ今回は、何を報告したらいいのかわからなくなった/多くの人が飛躍したのだが、飛躍が行きすぎていて、もう何がどうなったのか、正直よくわからないのだ。
包み隠さず申し上げると、人は、単にコーチがいれば教われるというのではなく、誰かしら導く人が必要だということだ、そして「導く」というのは、もうナンノコッチャ、「この人がチョイチョイとやると急に何かになる」ということがあるのだ、ただしそれはその導く人をプレイヤーが信じているという関係がある場合に限られるが……
「ワークショップ」って、普通こんなに急速に進むモンじゃねえだろ、つい先月まで完全ムリで可能性0%だったことが、何を急に「そこそこやれるでしょ」みたいになっているんだ、「導く」というのは何かぶっとびのところがあるな、正直金曜日の19時の時点がどんな感じだったかまったく思い出せない。

まったく、なぜこうなるのかはわからんが、あるがままのことを報告しておく。
「ワークといってもなあ」と、なんとなく、「そーいうことじゃねえ」という気がして、僕が唐突に、荒唐無稽な話をする、「お前って歴史が好きじゃない? 物事の成り立ちとか」(←そんな情報は聞いたことがない)「カーネルサンダースをやってみろ」「お前は三角形が……」、これは僕がわけのわからんビジョンを拾ってテキトーに言っているのだ。
するとなぜか、この意味不明の話を、みんなが妙によろこんで聞き、これを聞き終わると、何かが別次元に進んでいるのだ、まったくナンノコッチャという話だ、しかし本当にそうして進んでしまうので事実としてどうしようもない。
何が起こっているとは、にわかに説明できないというか、説明する気も失せているのだが、とにかくみんな、見た目のきれいさ・若さ・胴体の落ち着きぶりが、まったく違うモンになった、目の色も表情もまったく違うもんな、みんなコソ練を積んでいるということはあるにしても、この変貌ぶりは説明がつかないのだった。

アカン、けっきょく要るのは、努力じゃなくて導きだわ。

しかも、別に誰も導かれた覚えはないし、こちらも導いたりしているつもりはないののに……けっきょく、合理的なワークが、合理的に実現されるためには、非合理的な導きが要るようだ、エーイ/それならもう、しゃーない、誰も彼も、何かの導きにさっさと出会うしかない、結果的にできるようになってしまえば途中経過なんかどーでもよくなるから、さっさと済ませてしまえ、何事も出来るようになってしまえばそれだけで話は済むからな、そのあと何もなかったことにしちまえばいい。
今回の二日間は、僕がちょっと腹痛でアレだったのだが、逆にそのことが功を奏したのかもしれない、まあ何にしても、何がどうなっているのか、もう当事者たちにもわけがわからないので、とりあえず見た目のきれいさ・若さ・胴体の落ち着きぶりが変わりましたねえ、ということだけご報告しておく/何がどうなっているのかなんて、究極、誰も知らなくてもかまわん。

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WS報告011(5)/やっていないのに得られること
「先生のお力なのか、ワークショップに行くと、なぁんか愛に包まれるんですよね(←不思議がっている)」(ガイル青年)、「自分が大きな仕組みの中にいるということを知って、吾我が勝手に小さくなって、それがもう何かものすごいよろこびなんですよ〜(←このあといくらでも言いたい様子)」(たこやき姉さん)、「そうなんすよ、何か若返ったんすよ(←なんか楽しそう)」(ニンジャ青年)、という感じ/つまり、具体的なワークと、一見まったく関係ないようなところに効果が現れてくる。
「今回は、最初から最後まで、デザインされていたというか、この結論に行き着くためにこの一晩がすべて計算されていたというか……」「そりゃお前らが、『全体』を通して見られるようになったというだけで、元からそうだよ、第一回から今回に至るまでずーっと、すべてのことは綿密な計算の上だ、お前らがそういうことをまーったくわからんかっただけだ」「す、すいません笑」。
そういえば、金曜日のワークで、二年前にやっていた「跳ね釣り」をやってみた、すると僕のそれは以前とはまったく異なる次元にレベルアップしていたし、二年前は「わけがわからん」という状態だった人が、「言われたとおりにやってみる」ということを獲得していて、今になって少し指導を受けてみたら、それなりにスッとできるようになった、それを通して「改めて、積み重ねるということの意味を発見しなおしました」と、ニンジャ青年あたりがまたよろこんでいた。
僕にとっては当たり前のことでも、わざわざ言っておかなければ、他の人はまったくわかっていないということがよくある、それであえてわざとらしく言うが、ワークAを積み重ねたとして、得られる効果はAだけではない、アルファベットのAからZまでを獲得するということは、英語でスペリングされるすべての言葉がわかるようになるということだ、アルファベットだけを覚えるだけじゃ値打ちなんかあるわけないだろ? そんなこともいちいち言っていくべきなんだろうな/「なぜかは知りませんけれど、確実に、お通じはめっちゃよくなりました」というような報告もある。

当ワークショップで副次的に得られる、つまり「やっていないのに得られること」は、代表的に「若返る」「毎朝起きるのが異様に楽しくなった」「景色が輝いて見えるようになった」「イライラしなくなった」「大きな仕組みが見えるようになってきた」「食事がめっちゃおいしくなりました」「自分だけでなく、人々がいる、ということがわかるようになった」「自分で出来ないにしても、愛とかフィクションとかがはっきりわかるようになった」「生きていて、自分の『やること』がはっきり『ある』という状態になった」等だ、そしてその副次的なものが得られない人は、手前で通称「パン祭り」にうずくまることになる、そりゃしゃーない。
身をもって、「学門」をしているわけだからね、この学門に入れないと、代わりに獄門(パン祭り)に下されるというナイスな冗談つきだが、まあそれはそういうものだ、身をもって学門を修めていけば、そりゃあ世界は広がるし、カッカしなくなるし、何より若返ることになる、学門を捨てた人間の老け込む勢いというのはすさまじいものだ、しかもほとんどの場合戻ってはこられなくなる。
啓蒙、「蒙を啓く」ということは、当然だがマジであるわけだ、たとえば今回、ガイル青年や色鉛筆ちゃんを跳ね釣りで飛ばしてみたのだが、両者とも初めてそれを体験すると「うおっ!!?」「わあっ!!?」とまったく驚いてすっ飛んでいった、つまり人間の身体からそんな力が出るというのがまったくの想定外ということだ/「な、なんですかこれ!!」となるのだが、そりゃキミが知らんかっただけで、もともと身体を正しく使えばそれぐらいの力は出るものだ、そうして致命的に「知らんかった」ということがいくらでもあるということ、そのことを冷静に「無知蒙昧」というだけだ。
「ワークショップの後、クタクタになって、寝て起きると、そのときの自分が昨日とはまったく違う世界にいるのがわかる、教えていただいた新しい世界の中に自分がいる」という人もいる、そりゃそーだ、これまで閉じていた蒙が啓かれたのだから、アタリマエに本来の世界が見えているわけだ/いっそ「九折大学」に入れたらいいのにな、なんて話を帰り道にした、「そしたら四年間、みっちり、毎日がこんな感じだぜ」と、そういうことはたとえ空想でもウオオオと楽しいものなのだった。

学門をやるのは学者だから、学生気分で学門はやれない。

「過去の数年間で、なんて誤ったものを身につけてきてしまったのか」「いや、そういうことじゃない、過去の数年間で、『これは違う』ということを確かめてきたんだ、だから今ここにいるんだよ、その数年間がなきゃ今ここに来ていないんだから。むしろ、わずか数年間で、『これは違う』ということを見切れたのだから、そのときみっちりやった甲斐があったと捉えるべきだ」。
「以前、野球選手のイチローが言っていたよ、彼もかつてウェイトトレーニングに重きをおき、数年間やってみたのだけれど、研究の結果、スイングスピードが落ちるということがわかって、ウェイトトレーニングを放棄した、でもそれは、『自分でやってみて、自分で見切れたからあきらめられたのであって、自分でやらないうちに、あきらめることはできないでしょうね』ってさ、つまり一定量自分で誤りに飛び込んでみて、それが誤りだと確信する過程も必要なんだよ、それも学門の道なんだ、だからそういう、"我流で死にました"というような学生時代を過ごしてきたことは、今になって偉大なことだったと認めるべきなんだ、今われわれはその土台の上に立っているのだから」。
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