☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
すさまじい春バンザイ
日の真夜中、外に出たときのこと。
「あ!!」「どうしたんです?」「春が来てる!!」「大寒を過ぎたから?」と。
しょーもない話だけど自慢させてね。
僕が自慢できるのってこんな話しかないからね。

ふりそそぐふりそそぐ、春は本当にふりそそぐ。
シルクロードを超えてやってきた春の風はコンスタンチノープルの匂いを含んでいる、すべての生命が息吹きだす。
僕の自慢は、どれだけ微粒子であっても春の到来を感知できることだ、どうかこのことだけは何もいわず僕だけの自慢にさせておいてくれ。
この春の中を歩けていたら僕には未来永劫不満はない、空気の一分子ごとに世界中のすべての小説が詰まっている。

春が考えている。

人が考えているのではなくてね。
もし今「あなたは神を信じますか」と尋ねられたら、「信じるも何も、今ゴリ押しされているところだ、見ててわからんか」と答えるだろう。
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目を覚まして☆生きよう
「あなたのことを真正面から愛したらねえ」と或る女性は言った。
「狂乱よ、狂乱」と彼女は言った。
僕はヘラヘラ笑っていた。
誰を愛するにせよ、何を愛するにせよ、狂乱ぐらいなくてどうするのさ、と僕は思っていたから。

それでも「天」とか「理知」とかが勝つんだよ、人間が愛の狂乱に打ち克つってのはそういうことだ。
ところで、渋谷のカフェで女子高生の三人組が毒づきながら話していたよ、僕はそういうのを見て嘆かわしいとも思わない。
僕は知っている、ああいう女の子たちは、毒づくように話すことしか教わっていないだけで、それでも青春の女の子なんだ、本当に笑ったり涙を流したりするこころが素のままほとんど無防備に残されている。
青春の女の子には、本当の涙を流すこころがちゃんと残っている、なんて、このクソみたいな話を僕は続けるぞ、僕は寝ぼけているのかそれとも目覚めているのか、そのことをもはや誰かに確認に訊いてみようとさえ思わない。

ある少女は、泣きながら笑いすぎて、少し小便を漏らした。

そりゃそれぐらいのことはある、涙だって何だってこぼれるだろう、ただし男は漏らすなよ!! 或る十代の女の子は飲みすぎて嘔吐したが、少女ゆえ吐しゃ物まで清潔だった(ん? 未成年飲酒についてはもう時効だから気にするな)。
「ブラック企業について一家言あり」というだけの漠然とした十年間を生きるのが本当にこの世に「目覚めて」いるのか、もしそうだとしたら僕はずっと目覚めないまま生きることにするよ。
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友人を連れてゴーゴーゴー
のときの続きにいる。
たかだか百年かそこら生きるだけに、分割なんかしなくていいよ。
僕には何かをしなくてはならない理由はないし、何かしたいことが特別にあるわけではない。
ただ物語とつながっている以上、しょうがない、何もしないわけにはいかないどころか、やるべきことは無限に差し迫っている。

頭がよくないと、「物語」が見えない。
頭がよくないと、物事の多層構造が同時に処理できず、すべてを「ひとつ」にして見ることができない、それでは「物語」が見られない。
そして「物語」が見えないと、「戦えない」のだ、戦う理由なしに、つまりストーリーなしにドンパチなんかやりようがない。
そして「戦えない」と、必然「正義がない」になる、その人の「正義」がなくなると、その人が「何の人」なのかわからなくなる、それでは生きようがないんだな。

友人を連れていくのも、いつの間にか僕の戦い。

いつの間にそうなったのか、ああ年長者になると義務が増えるね。
あなたが僕を笑っても、僕はあなたを連れていきます、そうでないと戦いにならないから。
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われわれが胸を張れる理由

間には「たすけあい」ができる。
「たすけあい」だけは持とうじゃない、何がなんでも。
もちろんワケのわからない物騒なやつはたすけられないよ、でもそんなのは例外の話で。
雄大なことや偉大なことは、立派な人しかできないかもしれないけど、「たすけあい」は誰だってできる、だからこれだけは意地でも持ちましょうよ。

極端な話、誰かが崖から落ちそうなとき、一本のロープを垂らしてやるということは誰だってできるじゃない。
そんなことに有能も無能も関係ないし、性格のいい悪いも関係ない。
そして、世の中がどんなにこじれても、「たすけあい」が保たれているという世の中は、さしあたり絶望ではない。
「たすけあい」でいいじゃない、何がどうなっても、「たすけあいの中を生きましたよ」というのは、それだけでぜんぜんイイじゃない。

「たすけあい」、それで胸を張るには十分。

自分は「たすけあい」をします、という、それだけで十分でしょ、「何か困っていることがあったら言ってね」という、それだけで十分カッコイイでしょ。
顔が三角形だろうが四角形だろうが、お互いのことを詳しく知ろうが知るまいが、そっと「たすけあい」はできるでしょ、そして「たすけあい」でかなりのていど十分でしょ。

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戦う正義の匂いと出会い
んとかしたいと思っている。
僕はこの、「人が出会わない世界」が怖いのだ。
クラスメートが仮初めで、クラブメートが仮初めで、会社も同僚も仮初めで、友人、恋人、映画も小説も仮初めじゃないか。
「何と出会った?」と訊いたとき、ためらいなく"論評"が返ってくるこの怖い世界をなんとかしたいのだ。

自分にとって大切な映画なんて"無い"んだろ? そう指摘されたときに、いちいちふてくされた顔をするのをやめろ。
何とも「出会って」いないのに、欲求や寂しさを埋め合わせるのにはキョーレツに厚かましいという、その無自覚のおぞましさに気づかなくちゃいけない。
断じて言うが、何にも感動せずにきた男は、カネを払う以外に女を抱く権利はないし、何にも感動せずにきた女は、ロマンスに憧れる権利はないよ。
出会ってもいないのに、関係を求めちゃダメ、関係を深めてもダメ、「自分を出す」ということは、その厚かましさを恥もなく押し出すことじゃまるでないんだよ。

せめて戦う正義の匂いぐらい全身にまとえ。

「いい人」のふうだけ全身で主張して、何かいいことがおこぼれとしてやってこないかなあ……と待っている、それが一番の不正義なんだ、それは自分で思うよりはるかに厚かましい存在として人の目に映っている。
「正論」じゃなくて、「正義」だよ、正論の匂いなんかしたらサイアクなの、全身から少なくとも"戦う正義の匂い"が放たれていたら、人との出会いがないなんてことはありえないよ。
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2017、思想の年

「クッソ頭がよくないと話にならん」という、僕の主張する"ボエーム主義"が、いい形に姿を為してきている。
頭のいい人は「思想」を付与されるのだ。
こころがあって、頭のいい人は、どこか「天」とつながっているところがあり、その「天」から「思想」を授かる。
頭のいい人の「意志」は、この「思想」に根差して発生しているのだ、だから頭のいい人には必ず希望がある、この世界と生きていることに手触りがある。

生命が土台であるには違いない。
生命は、地の裏に「理解」を得、動き回る、けれどもこれだけではただの動物だ。
この世界を理解し、動き回って生きるだけなら、それだけでよいのかもしれない、けれどもそれだけでは人間的に生きることにはならない。
「思想」ですよ「思想」、思想書を読んで思想を「理解」するのじゃなく、思想を「授かって」思想の実現に生きるということ、少なくとも思想を「理解」することと思想を「持っている」ことはまるで違うということぐらいは知っていて教養的に損じゃない。

あなたに必要なのは「理解」ではなく「思想」です。

たとえばよく、「結婚と恋あいは別」みたいなことを言うじゃない、こんなの誰だって「理解」できる、でも理解できてもモヤモヤするでしょ、それはそこに「思想」が見えないからだ。
「理解」できなきゃもちろんバカだけど、「理解」なんかしていたって……それもやっぱりバカじゃないか、地に足がついていない愚かさはよく言われるけれど、天につながっていない愚かさはあまり言われないから要注意だ。

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いささか冷たすぎやしないか

力的、とかそんなことはどうでもいい。
魅力、は確かに必要だけれども、ホンマモンはそれさえ引きちぎっていくようでないと……
理屈を飛び越えて、内心「くっそー」と怒っている、しかもゲタゲタ笑っている、「なんなんだこの人」とアゴがふさがらなくなる、そういうものがいるんじゃないの。
おれはデタラメにやっている、「人間関係」なんて思ったことがない、少女が奥歯をガタガタ鳴らしながら恋をしてくれることぐらいしか自分に評価しない、そうでなきゃタマシイはどうなるのさ。

「こころは胴体にある」ということは、正しいし、そのことへ科学的に取り組むアプローチは実に有効だ。
とはいえ、それで身体とか軸とかが発達してもね、タマシイはどうなるの、この世界に関わる生死はどうなるのさ。
「あなたが生きて存在してくれていることがうれしいの」と、さんざん言ってもらってきた、僕には涙を流す趣味はないし感謝する趣味もない、だからいつも「ああ?」とスゴんでいる。
僕を慕ってくれる女とこの世界のタマシイについて、評論をかますことだけは許さない、「お前が生涯に絶対知りえないことをおれはさんざん体験している」と言いつけるだろう、誰でもそれぐらいのタマシイを明らかにして生きろよ、机は叩くためにある。

「正しいやり方」なんて大不正解に決まっている。

もし僕が「正しいやり方」なんかで女を口説いたら、それは女にとってサイテーサイアクの不快な出来事になるだろう、そんなことでさえ破綻する、「正しいやり方」なんてそんなもんだ。
僕はちゃんと、前もってサイテーサイアクな男性として女性の目に映るよう努力している、それでも一生の出会いだって抱きとめてくれる女がいた、女はそれぐらいの覚悟はしているってこと、ナシにして考え込むのはいささか冷たすぎやしないか。

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ディズニー愛好者はシンドバッドじゃない
「人生は冒険だ」とシンドバッドは歌う。
「人生は冒険だ、地図はないけれど、宝物をさがそう」とシンドバッドは言う、でも地図なしにどうやって宝物を探せばいい?
「こころのコンパスに従うんだ」とシンドバッドは言う、なるほど地図はないけれどコンパスはあると言うのだ。
僕にはシンドバッドの言うことがよくわかる気がする、でもそれはディズニー愛好者の言うことがよくわかるということじゃない。

シンドバッドは航海に行く、ディズニー愛好者はディズニー施設に行く。
シンドバッドは「人生は冒険だ」と言う、ディズニー愛好者は「人生のすべてをディズニー遊びにつぎ込みたい」と言うかもしれない。
僕が行きたいのは冒険の海であってディズニーシーじゃない、僕は満喫がしたいのじゃなく冒険がしたい。
「シンドバッドの友人」と「ディズニー友達」はまったく違うものだ。

シンドバッドはディズニー愛好者じゃない。

あなたは何かの愛好者だったり、ファンだったりするだろうか、でもあなたの生きる日々が「まるでシンドバッドのよう」であれないとしたら……そのことはいったい何なのだろうか。
冒険といっても、何をどうしたらいいのかさっぱりわからない、目の前の世間には何もないように思える、それはまさしく「地図はないけれど」と歌われているもの。
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保たれるべき民主主義

「民主主義は危機にさらされている」と彼は言った。
テロ等の恐怖に屈すれば民主主義は失われてしまうだろう。
またインターネット等を通して、人は今、自分に都合のよい情報だけを得て暮らしており、そのことも民主主義の存続に危機をもたらしている。
情報が私物化したため、ideaをぶつけあって議論するという民主主義の共通の土台が人々から失われつつあるのだ。

民主主義は、それだけでは紙に書かれている条文と理念にすぎない。
真の民主主義とは、その理念に向かって人々が能動的に立ち上がり、参加するということを指す。
「顔の見えないインターネット上で議論するのをやめ、外に出て友人と議論してはどうか」と彼は言った。
聴衆たちは立ち上がって歓声をあげた。

(バラク・オバマ大統領の最後の演説)

検索すれば通訳付きの動画が見つかるだろう、五十分も人の話を聞いていられるのはそれだけでも貴重だ。
僕はアメリカの政治状況に明るくないが、ミスター・バラク・オバマは知性と人となりにおいて敬慕に値するお方だった。

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With no direction home

エーム(さすらい人)たちには帰る家がない。
旅芸人は帰る家がない。
禅師・澤木興道は「宿無し興道」と呼ばれ、帰る家がなかった。
"With no direction home"とはボブ・ディランが歌った「ライク・ア・ローリングストーン」の歌詞だ。

そもそも「出家」という言葉もある。
おそらく出家の本質は、外出のことではなく「家」という強迫観念の消去にある。
「帰れない」ということはいいことだし、帰れるところを探さないのもいいことだ。
夕暮れのベンチがモスクを背景にして世界になる、空はこんなに広かったのだ。

「家」という、おそるべき用事。

人はいつもその用事を抱えていて、その代償に世界のすべてを失っている。
抵抗するロック音楽はGoを歌い、対極にある演歌はHomeを歌っている、Goの反対はHomeなのだ。

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他人に頼るな
の世界はつまらないかもしれない。
でも例外的にあなたがいるだろう。
あなたまでつまらない人じゃないよな?
まさかとは思うがこんなところで「それはちょっと」とか怯まないでくれよ。

他人に頼るな、と言っている。
世界を冒涜する当人が面白いやつだったためしはこの数千年間ない。
何をしろとも言っていない、ただ確認している、あなたというスゲエやつを内包しているこの世界はそれだけで面白いんだろ? と確認している。
他人に頼るな、さらには、他人に頼られもするな、世界と一対一で面白ければそれでいいし、それ以外にやり方なんかないじゃないか。

あなたが自分を全肯定するやつだったら、それだけでこの世界は面白い。

ただし、暗くはなるなよ? 自分を全肯定しているなら、ヘラッヘラに明るいはずだ、そんなこと他人に頼れっこないね。
自分が自分を全肯定するのに、自分以外の何が必要なんだ、この問いに悩むようでは単に数学のセンスがないだけだぞ。
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やりとげる人
事でも勉強でも、あるいは趣味でもダイエットでも、あるいは「ドラゴンクエスト」でも……
それを「やりとげない」というのは非常にマズい。
なぜマズいかというと、「やりとげない人」という自己イメージを学習してしまうからだ。
その意味で、何であれ「やりとげる」というのはそれだけで千金の値がある。

クリアしようとしていた仕事、クリアしようとしていた勉強、クリアしようとしていた「ドラクエ」を、途中で投げ出す。
そこには常に、「別にやらなくてもいい類だし」という言いわけが付属している。
だがその言いわけに騙されてはいけない、「別にやらなくても……」ということは関係なしに、人は自分がやりとげたか/やりとげていないかを学習している、自分の知らないうちにそのことを学習しているものだ。
自分がけっきょく「やりとげない人だ」と学習してしまうと、もうその先は自分のやることを考えられなくなってしまう、なぜなら「どうせやりとげないし」と内心で知ってしまっているからだ、このことは早急に叩きつぶす必要がある。

やりとげる人の「迫力」をまとえ。

あなたもご存知のとおり、「やりとげる人」には独特の迫力があり、「やりとげない人」には根本的に迫力がない、他人事としてならよく見てきているはずだ。
やりとげるのはしんどい? いや違うね、やりとげることを迷っているからしんどいだけだ。
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いぇーい
ぇーい(いぇーい)。
最近調子はどう? 体調に気をつけて、のびのびやってね。
おれのほうは、ちょっとした計画があるよ。
計画の、内容はヒ・ミ・ツ、まあおれ自身にしかわかんないよ、自分の内側的なハズカシイことなの。

しょうじき、ちょっととまどっているところがあるのかもしれない。
あまりに熱心に、話を聞いてくれたり、あまりに無垢に、なついてくれたりするものだから。
なるべくイイコトをしようとするのだけれど、僕は自分自身にたいしては、どうやらキョーコーなやつらしくてね、それをそのままふりまわすのはどうもいただけない心地がする。
もともとモテない身分できたモンが、ここにきて急に慕われているから、もうわけわかんないってところがあるんだよ、そこのところちょっとだけ許してやってね。

いろんなかわいい顔を見た。

ほんと、いろんなかわいい顔を見てきた、なぜおれになついてきてくれるのか、やっぱり今かんがえてもわからん!!
あれこれ思い出していたら、鼻先に泣きそうな匂いを錯覚した、ちょっとまっててね、本当にいろんなかわいい顔を見てきた。
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今年も恋人にしか出会わない
けましておめでとうございます、本年もよろしく。
新年の初めから、言いたいこともなければ、話したいこともないということを確認する。
この「言いたいことがない」というのがとても大事だ、言いたいことがあるやつは必ず疲れている。
今年も恋人がワンサカできればいいなと思っている。

さらに言えば、ここで僕が話している勝手なことが、別に真実でなくてもいいのだ。
真実に用事があるようでは、そいつは相当迷っているのだ、そんなやつには関わらないほうがいい。
努力など何もなしで、向けられるすべての質問に「え? え?」とひとつも答えられないようでありたい。
前後不覚でありたいものだ、それで結果的に頬を染めた恋人がウヨウヨいればいいじゃないか、つまりもう認識ということ自体が面倒くさいんだな。

幸福に一切の責任を持たない。

ここまでもう何十年も、勝手に幸福が降ってくるのだから、この先もずっと降りつづけるのだろう、そんなことをいちいち測定するのも馬鹿馬鹿しいことだ。
今年も恋人にしか出会いません、と気分のよい宣言をしておこう、本年も何卒宜しくお願い申し上げます。
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また新しい下着をおれに見せてね
っきょく誰にも理解されないまま生きている気がするが、理解されたらオシマイなのでこれはしょうがないのだ。
自由と放埓の日々……ああ、自分が選択を誤り、失敗したことをいつまでも隠蔽しないほうがいいよ。
古い友人が十年越しに、「ひょっとして、すべて、こうなることを見越して……?」と僕に訊いた、僕は「そうだよ、だからあのときああいう選択をしたの」と答えた、まさか十年でここまで時代が進むとは思っていなかったけれども。
新しい友人が、「あなたのまっすぐなこころに、わたしが応えられていないという事実のほうが、直視すると"命にかかわる"の、そういう人ってすごくたくさんいると思うわ」と言った、これについてはへへへと鼻の下を伸ばす程度だ。

「まあな、確かに」と僕は言った、「確かに、たとえば母親にとっては、我が子に愛されていないということより、自分が我が子を愛していないということのほうがショックで、"命にかかわる"な」。
「そうなのよ、そして子供のほうは、母親を無条件にまっすぐ愛するわ、今どきそれにまっすぐ応えるなんてふつうじゃできないと思うの」と彼女は言った。
愛されなかったことは、怒りとなってこころの底に沈殿するけれど、応えられなかった・愛せなかった側も、同じだけの苦しみを沈殿させるわ、と彼女は言った。
僕は依然と意気揚々としているが、それは意気揚々とありつづけるための方法を知っているからだ、その方法とは「友達をなくすこと」だ、なくそうとしてなくなったらそれは元々友人ではないのだった。

お前がおれを理解しないのは、おれもおれを理解していないからだ。

だから理解なんかしなくていい、それでもなんだかんだ、僕を愛し続けて残ってくれた人は肌色がきれいで眼差しに光が宿っている、こころがあってそれはさすがに僕の誇りだ、僕を愛してブスになった女は一人もいない。
自分を理解しがたいことへポンポン押し出すこと、それが意気揚々の秘訣であって、自分を理解して他人にも理解してもらうという方法は、進みやすくなるに見えて一歩ごとにゲロを吐いてしまうとてもマズい方法なのだった、さあ新しい下着をまたおれに見せてね。
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楽しい日々に突撃銃
の夢もないのに「楽しい」とかいうのはいくらなんでも限界がある。
誰にも愛されていないのに「楽しい」とかいうのもいくらなんでも限界がある。
楽しくないなら、楽しくないでいいじゃないかと思うのだが、それは理屈だろうか、僕はどうも他人事をマジメに考えられない悪いクセがある。
他人事をマジメに考えるようでは、さらに悪いクセというか、スニーカーにスパゲッティを入れて歩くぐらいどうしようもないと思うが、まあそんな感じで年の瀬である、まだあと36時間ぐらいあるな。

楽しくない人が考えても、どうせ楽しくないので……と言うと手順が詰んでしまうな。
ただ散見する限り言いうるのは、どうやら楽しくない人が「楽しい」と言い張ると、当人が無性にイライラし始めるみたいだ。
イライラするのはやめようね、そりゃ生涯まるごと楽しくない人だっているさ、そんな自分になったからって何も怯えることはない。
僕は怯えるけど、それはまあ僕の話だから……とにかく、夢も愛もないのに「楽しい」とかいう無茶苦茶な理論をゴリ押しするのはやめような、別に夢も愛もないこと自体は何も悪くないと思うぜ。

「楽しい」なんて思ったことはないし、思う必要もない。

ただ便宜上「楽しい」ということの説明は要るときがあるし、客観的に見たらいろいろ「楽しい」のだろうとは思う、だが主観的にはそんな事実を頼りにはまったくしていないな。
僕はせいぜい、周りと自分とを見比べて、「よーし、違うな」ということを確認するぐらいだ、今日もおねえさんのお尻に突撃してきます。
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ディープ・インサイド

骨の内奥に紺色の空ときらめく星々が
街の灯りが天からの熱気に圧しつぶされて
街は街に、人は人に、そして街角に座り込む
ディープ・インサイド、常緑樹の植え込みに座る夜、元々僕らは恋の中にあった

川の向こうは全て外国
揺蕩う水蒸気は情熱の麻ぐすり
舌に滲みる砂埃の味、ガソリンの匂いは壊れた祭り
ディープ・インサイド、僕はあなたの頬を打った、口腔から性交の涎が垂れることのために

(おとぎ話の日々は無尽に)

水平の地面はなく、よく見れば大きくなだらかな窪みに全てが集まったのみ(僕は歓喜する)
ディープ・インサイド、無数の言語が人々の顎で沸きたち、全ての問答はすでについえている

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落ち目の彼氏にご用心

い話が苦手な僕は、痛みのメロディーにノーサンキュー。
僕は見てきた、人がどうしようもなく傷ついて、落ち込んだときにご用心。
落ち目に近づき手に入れた彼氏は、のちのちロクなことにならないね。
それだって恋のうちとか、言ってしまえばそうだけど、僕は明るいメロディーに乗せてそういうゴミをスクラップする主義。

ようこそハッピー・グラウンドゼロへ、さあ羽ばたく鳥たちと共に拡大に向かいましょう。
拡大に向かう勇敢な明るさの中で、あなたは恋人と出会うものです、だから恋人に向けては少し駆け足になる。
重く苦しく、閉じ込められて、縮小に向かうとき、支えてくれると感じた人は、今はまだ早いあなたには晩年の人。
さあ胸を張り、ブラウスのボタンを一つ外して、天に向かって片手を上げ示して高らかに、落ち目の彼氏にセイ・グッバイ。

さあ、向かい風のところに帰ろう。

そうだったね、夜の街角、昼の谷間で、無尽の向かい風に晒されながら「何処まで行くの」「どうして立っていられるの」と、大笑いして誰かを見上げていた。
「何処まで行くの」「見たこともないところまでだよ」、そうやりとりした光の先から、いつも容赦ない向かい風が吹きつけていた。

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振り向かないでメリークリスマス
リークリスマス! 今しかない時間を大切にしていこう。
2016年のクリスマスを二回体験できる人はこの世にいない。
二十歳の人は、まだまだ未来がある……ように見えて、そうじゃない、二十歳のクリスマスは二十歳のときかぎり二度とやってこない。
僕たちはすでに、昨日のクリスマスイブにさえ戻れないのだ、すべては一度きりのこと、そのことが見えたら目が覚めるね。

誰にだって、十五歳の春があり、二十歳の夏があり、二十五歳の秋があった。
人生はだらだら続いているように見えるけれども、実は錯覚で、十五歳の春は十五歳のときかぎり、二度とやってこないのだった。
女性が三十歳になったときに覚える恐怖は、実は三十歳という年齢ではなく、「十年後には四十歳にしかなれない」ということだ、十年後に二十歳になれたりする可能性はないから。
一年は365日、三年でだいたい1000日だから、10000日も過ぎれば二十歳の女性は五十歳になる、そして一万円札が財布からなくなる速度を思えば、「一万日」がいかに儚いかがわかるものだ。

じゃ、一万日だけがんばりましょう。

十五歳から四十五歳、あるいは二十歳から五十歳、それだけがんばれば、だいたいのことは決着しているだろう、たかが一万日ぐらいならなんとかなりそうじゃない? いろいろつらいこともあるにしても。
一万日だけ……そのうち三十回のクリスマスがくる、その三十回が過ぎるまでは、振り向かずにいけばいい、振り向くのなんて一万日後で十分だものね。
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情熱のメリークリスマス
リークリスマス、こちら僕は風邪で無様に寝込んでいる。
寝込んでいてこそわかることがあったよ、こんな当たり前のことに気づかなかったとは。
「情熱」だ。
僕は情熱で女と寝ていた、性欲で女と寝ていなかった。

こんな当たり前のことに、ここまでくたばらないと気づかないとはな。
少なくとも、僕を直接知る人の誰一人、僕を情熱的でないとは言わないだろう。
ヒントは、「情熱はないのに性欲はある」ということ、そこにおぞましさが生じるというところにある。
同様に、「情熱はないのに、願望はどろどろにある」ということ、これが現代のおぞましさを醸成している、すべて情熱がミエミエにあれば解決する。

彼のところに走れ、メリークリスマス。

情熱があるなら走るだろう、走って笑って、何もかも止まらないだろう。
願望はあなたを閉じ込めて、あなたに何かをたくらませるだけだ、こんな日にだけはそういうことをなしにしよう。
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