☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
(夏の宵)
の宵
雨風にディーゼルエンジンの熱煙る、走り抜ける
音色に潜む甘露ヴァイオリン
蒸気上昇する/雨滴落下する

夏の宵
狂騒剥離する
商店街覆う大樹クスノキ
鼓膜は誤解の装置/混乱が真実の装置

大気熱り、良夢吸収する

ごろごろした夏の現実浮きでる
人の夢はここにあるのです
恋女のマインドね | comments(0) |
ダンジョンに入ったことがないのでは?
物は常にダンジョンの最奥にある。
ダンジョンに入ったことがないのでは?
レベルが低いと迷子になって魔物にやられて行方不明だ。
ダンジョンに入り、数々の魔物を人の手で打ち倒せ/その最奥には、たいてい巨大な魔物が潜んでいるけれども。

ダンジョンを踏破していない人を「明るい」とは言わない。
平穏なフィールドに宝物はないし、地図上を行くのを「冒険」ともいわない。
しかし、ダンジョンは明かりもなく地図もなく、湿度とグロッタに満ちて、通常は立ち入り禁止だ/それでもなお踏み入って勝利し、帰還してくる人を「勇者」と呼ぶ。
残念ながら、予定されたクエストに冒険はない、街の人に背を向けてダンジョンに踏み入ること、それが唯一勇者への道筋なのだ。

あなたがどうしたらいいか、街の人が知っているわけがない。

ドラクエをやったことがない人でも、宝物がダンジョンの最奥にあることぐらい見当がつく、そして「街の人」がダンジョンの最奥を知っているわけがないというのも見当がつく。
ダンジョン内は孤独だ、街の人は「やめておけ」と言うだろうし、僕だって他人事なら「やめておけ」と言うだろうな。
恋女のマインドね | comments(0) |
夏の夜の夢

の陽気が悪夢を払ってくれるようだ。
夏の夜ってホントいいよね。
友人と、「この世には、ごくまれだが、"マジに"能力のある人がいる」と話した。
名前を知らない花の香りがしていた。

「その、"マジに"能力のある奴になりたい」「そのことに挑戦する権利は誰にだってある」と話した。
「ほらどけ、おれにやらせろ」の一言ですべて片付いてしまうような奴が実際にいるのだ。
「実は、ほとんどの人は、自分の本当にやりたいことに一度も向かわずに死んでしまうのでは?」などと話した。
地中におけらが鳴き、夏の夜には生命そのものの力がある。

「強さ」が信じられる。

強さに向かう人だけが、本当に何かを信じている。
弱さを肥大させようとする人は、何かイカサマをしているね、人が弱さに向かっていい「文化」なんてないのだ。

恋女のマインドね | comments(0) |
届けば様子をうかがわない

代、人は人を疑わざるをえなくなった。
疑うようになるとどうなるか/人は人の「様子をうかがう」ということをやりはじめる。
様子をうかがうということは、すでに人間のやりあいではない。
人にきらわれたっていいじゃないか、腹の底、ヘソの下で何かを信じれば、様子をうかがう余地なんかないはずだ。

話はしばしば、相手の言語野に向けては通じない。
そんなことは大前提だ、様子をうかがう必要はない、どうせ言語野で通じてはいない、だが腹の底で届く何かがある。
それは爆発的なものだ、爆発は、相手にぶつかってしまうと戦争になるが、そうでなく届くときは歓喜に作用する。
人にきらわれるなんて、たいしたことじゃない、きらわれてもかまわない、ただ届いていないというのはいけない。

腹の底で届いたら、もう様子をうかがう必要はない。

僕のことをきらう人、あるいは好いてくれる人、いるのかいないのかわからないが、好きかきらいかなんて様子をうかがっていないとわからないことだ。
誰だって、別に好かれるために生まれたわけじゃない、様子をうかがうために生まれた人はいない、様子をうかがうという便利な方法は、便利なだけに間違っているのだ。

恋女のマインドね | comments(0) |
血潮
間はいろいろ「認識」をする。
「認識」には「わかりやすい」という特徴がある。
だがあなたは「認識」だけでは出来ていない。
「認識」以前に、たとえば「血潮」というような現象もある。

話は、わかる奴だけにわかればいい。
だが話がわからない奴なんていない。
話がわからない奴なんていない、ただ迷うことに慣れてしまうだけだ。
迷うことに慣れてしまうと、決定が大事だと思い始めるが、そうじゃない、決定は「血潮」じゃない、「血潮」に迷いなんかない。

「血潮」が思い出になる。

なにがよいとか悪いとか、認識することはいかにも簡単で、わかりやすい、でもそれらの認識が思い出になることはない。
「血潮」がない人間なんていない、そしてわれわれは何を話すか、われわれは議論をするのではなく、「血潮」において話すのだ。
恋女のマインドね | comments(0) |
白濁する夏の正午

は専用の墨汁のように青く/瓦屋根は黒く照り返し/燕はなお黒く弧を描く数学記号
視界白濁する/光の粒子が路上に飽和する
カラーの花はユリの花に負けず劣らずよい香りがするそう/目下、気になるね
時間は流れていない/ただ見失う方法があるだけ

人とは何か、街とは何か、仕事とは何か、生とは何か/愛とは、恋人とは、家族とは何か
みなよく知っている、思っている、自信満々/しかし知っているからには見えていない
知っているということは見えていないということ
希望が見えているとき、人はそれを希望とは知らないのだ

夏の白光、平穏が沸騰する

怯え切る者は、この与えられてある物が見えていない
テレビ、ラジオ、インターネット、あなたが知るものの中にあなたが必要とする真の知識はない

恋女のマインドね | comments(0) |
マリコの持論
だ子供だった僕は、十六歳のマリコが、バイク乗りのカワサキさんに惚れる瞬間を見た。
ゲームセンターにいたのだが、何かの有線が流れてきて、今思えばあれは尾崎豊だったのだと思う。
尾崎の声を受けて、カワサキさんはひどくきれいな目になった、ただでさえ二枚目なのに、それはとてつもない破壊力だった。
それを見上げていたマリコは、その瞬間に、目の前の男のことが「わかった」のだろう、マリコはもうカワサキさんに何をされてもいい女になった。

惚れるというのはそういうことだと思う、つまり直観的であって感情的でない。
マリコにとっては、カワサキさんのきれいなこころのことがわかったので、そのとたん、それ以上先は知る必要がなくなった。
それがいかに当然のことであるかは、僕にもわかったのだ、それぐらいカワサキさんはきれいな目をしていたから。
マリコから見てカワサキさんのことは、「好き」とかそういうものではなくて、ただ「探していたものが見つかった」ということだった、不良くずれだったカワサキさんはマリコを非行に走らせないよう、きちんと学校に行かせた。

魚がきれいな水に棲むのは、自分で決めたことではない。

カワサキさんの目がひどくきれいに澄むのを見て、そのときすべては決まっていたのだと思う、そしてそれはまったく当然のことだと、今でも僕は思っている。
たぶんマリコは賢くて、あのときすべての決定を受け入れたのだと思う、好意も憧れも生じないまま、あのときのマリコには何の感情も持論もなかった。
恋女のマインドね | comments(0) |
実は稀、「強さ」を追求する人
学一年のときにフロイトの全集を読破した。
内容は難解極まりなく、一ページ読むのに三十分かかるという実態で、明らかに無理があったのだが、それでもなんとか強引に読んだ。
今考えれば、僕はそのとき、「いやいやいや、こんなところでオリてたら話にならんぞ」と思い、必死で食い下がって読書をしていたと思う。
気づけば、そうして何につけ、「強さ」を追求していた、努力をする気はなかったが、「弱い」ということは自分で許せなかった、努力はしなかったが何もかもに食い下がっていた。

今になってわかるのだが、人間の根っこが人それぞれ違うものだ。
「強さ」というのは、わかりやすいのだが、実は誰もが「強さ」を追求しているわけではないのだ、「強さ」を追求していない人もいる。
そして、「強さ」を追求していないのに、漠然と自分を鍛えようとしている人が少なからずある、そういう人は初めから動機がないのでどう動いても鍛えられない。
あなたは「強さ」を追求する人だろうか? そう問われてギクリとし、「そうです、とは言えない」という人が少なくないはずだ、じゃあ「強さを追求していないなら、鍛えようもない」と言うしかない、これはけっこう重大な見落としだと感じている。

この世には、「強さ」を追求する人にだけ、特別な話がある。

「強さ」を追求しない人は、かといって負けたくはないので、「有利さ」を追求する、だから筋肉をつけたり徒党を組んだり、地位や金銭で自分を武装したりする、「有利さがあれば強さがなくても勝てるじゃん」という発想だ。
あなたが追求するのは、「強さ」だろうか「有利さ」だろうか? 「強さ」を追求する人にだけこの世には特別な話がある。
恋女のマインドね | comments(0) |
また四月のパーティが来る
んなこんなで、また土曜日にはパーティだ。
四月は新生活の時期なので、また新しく誰かが来てくれたらいいな。
年長者からひとつふたつ、余計なことを言っておきたい、「若い」というのはとても万能性のある財産だ。
そして、「選べ」、何も選ばずに生きるということの恐怖を知ってくれ、それは同時に、何に選ばれることもなく生きるということの恐怖でもあるのだから。

今回でもう67回目だっけ? パーティ企画。
わかりやすく人を集める方法というのも、ないではないのだろうけれども、あえてそれは避けつづけることを選んでいる。
重要なのは、誰かが選んで来るということだから、そこを派手に宣伝してどうこうということはやりたくない、ヨソがやって足りていることをわざわざ僕がする必要はない。
新生活に向かうすべての人たちへ、どうか何かを選んでね、選んだものだけがあなたのものになる/選ばないままたくさんのものを集めても、それは豊かに「見える」というだけで、その豊かさは何一つあなたのものじゃない。

いつか映画化されるといいな。

ん? いや、自分たちのやっていたことがね、自分たちの関わっていたことというか……それがいつか映画化されるようならいいと思っている/割と冗談ではなくここまででも映画化されていいようなところはそれなりにある、あまりそういうことを宣伝みたいに使いたくないだけで。
そのためには、「選ぶ」ということが不可欠になるわけだ、われわれはコンビニに行くことや動画を観ることを「選んで」いるわけじゃない、選んでいないから自分を奪われて捻じ込まれているだけだ、それに気づかないといけない。
恋女のマインドね | comments(0) |
葉桜寒気団
んてきれいな朝なんだろう。
葉桜を迎える初夏に寒気団がやってきた。
昨夜は「わたみん家」で五千円ほど飲んだので大満足だ。
僕は食事とお酒が好きだ。

ふと隣のテーブルを見れば、隣のテーブルの人は、それほど食事やお酒が好きではないのかもしれない。
たぶん食事やお酒、セックスや本を読むことも、知らない街を歩くことも川の水に足をひたすことも、何一つとっても好きではないに違いない。
だから彼らは、今朝を見て、なんてきれいな朝なんだろうとはこころの底からは思えない。
何かが好きでない人は体臭がない、この世界とつながった人間の肌の香りがしない/ああ、また山の上にいこう。

むかし、皆、食事とお酒が好きだった。

そこでおしゃべりをしたり、昨夜観たビデオテープについて語り合ったり、まして男女が肌身を寄り添わせていては、たまらないものがそこにあった。
むかし、食事とお酒、肌身を寄り添わせたりセックスをしたりすることは、たまらなく好きだったでしょ? いつのまにか好きではなくなったけれど/僕は未だそんなところにいます。
恋女のマインドね | comments(0) |
唯一のノウハウ
ェブ上のあちこちでアカウントを取得していると、どこぞから、頼んだつもりはないメルマガが届いてきたりする。
その中には色んなノウハウが書かれていたりして、「人間関係レベルを向上するテクニック!」みたいなものが書かれていたりもする。
僕はそういうものを見るたびに、「ふざけんなよ」と思うのだ、なまじ役立ちそうなことが書かれているのがますます気に食わない。
ノウハウに頼って人間関係を向上するぐらいなら、破滅してしまえ、僕は虫の好い考え方で自己利益を吸い上げようとして疑問を持たない人間の厚かましさに腹が立つのだ。

こんなブログを書いている僕が言うのもヘンなことかもしれないが、ノウハウなんかに頼るなよ、ノウハウなんか知ろうとするな、ノウハウに頼るなんざ典型的なゴミ人間じゃないか。
「お互いを高め合う『快』の関係」などという、生ゴミ臭のするような行為を僕は一度だってしたことがない、どれだけ追い詰められたらそんなヒサンな発想に行き着くんだ。
だいいち、知らねえよ、おれの得ていく人間関係と、他の誰かの得ていく人間関係は、まったく別物で無関係じゃないか、他人の人間関係の作り方なんか知ったこっちゃない、他人の栄え方も滅び方も知らんしわからんしわかってたまるか。
僕は他人に、希望なんか押し売りしたくないのだ、希望なんてものは各自か勝手に見つけたり失ったりするものだろう、おれは知らん、おれは誰の友達でもない、自分が孤独か孤独でないかなんて、これまでに一度も考えたことがない。

ノウハウは人間の終わり。

そんなことは、言われなくても誰だってわかっていることのはずだ、そんなわかりやすい終わりにやすやす自分から嵌りこむなよ。
僕からお伝えできる唯一のノウハウがあるとすれば、誰だって中指を突き立てて「ノウハウはクソだ」と言い放つことだ、合言葉は「うせろ」でいい、その後どうなるかなんて誰も知ったこっちゃないよ。
恋女のマインドね | comments(0) |
バカバカしい、という耐えがたい苦痛
「けものフレンズ」が流行っているらしい(ホント?)
よくわからないので第1話と第11話だけ観たが、むろん、僕のようなおっさんが楽しめるものではない。
人は、自分を高揚させてくれるものはどうしても「味方」だと思ってしまう。
例えば男性なら、下着を見せてくれる女性やペニスをこすってくれる女性は、どうしても「味方」なのだ、人間はそうした悲しい生きものだ。

人間はそうした悲しい生きものだ、なんてのはもちろんウソで、いちいちそんなことで高揚する奴が悪い。
よほど追い詰められて、さびしく、自分の生きる余地がないのだろう、だから子供キャラクターが走り回っているのを見るだけで高揚して「癒し」が得られる。
僕は先日友人と、「どうしておれが、『けものフレンズが好き』っていう女とセックスなんかしなくちゃいけないんだよ」という、わけのわからない会話をした。
「けものフレンズ」に何の悪いところがあるわけでもないが、「けものフレンズが好きです」という女とセックスするとか、そいつにメシを食わせるとか旅行に連れて行くとかは、ものすごくバカバカしいことに思えるのだ、なぜそうなるのか理由は不明だ。

何かを諦めた人とする食事は、バカバカしさにおいて苦痛だ。

かといって、やみくもに「諦めない」と言い出す人もあまりに現実的でなく、とにかくまともに相手しようとすると、途端にバカバカしさが苦痛になる、「けものフレンズ」は何も悪くない。
以前、自転車が趣味だという五十歳のおじさんがニコニコして、実は「大のアニメ好きで癒されるんです」と話してくれたとき、ヘェーッと僕は素直に驚いた、彼は何の罪もないおじさんだったが、もし一緒に食事に行けばひどく苦痛だっただろう。
恋女のマインドね | comments(0) |
希望の報告

なので遊びすぎて身体がぼろぼろだ(ここからまた悲惨なスケジュールが続くのだがどうしよう……)。
「疑う胴体が失ったすべてのもの」が非常に好評で読まれている(Book読んでね)。
あれだけの分量をよくスッと読んでくれるなと恐縮するが、それだけ人はまともなところをまだ十分に残しているんだなあと、割と冗談でなく思う。
読んだあと、一種の熱と「震え」が来るのが当然、震えが起こるように書いてあるの、それが本来の読書体験というものなのよ、震えない読書なんて本当は意味ないのよ。

余計なお世話というやつの典型例だが、一度、自分の読解力や本を読む力というものの実験台にしてみてもいいと思う。
今のところ、二十代の女性たちが、こぞって「内容が明瞭すぎて」「すっごくわかりやすい」「無駄なところが一か所もない」と報告してくれている。
男性諸君は、女性から見て知性的でないと諦められた男性はもうほとんど絶望するしかないが、まともな二十代の女性は当該コラムに書かれてある内容を「明瞭すぎてわかりやすい」とスラスラ読み取れるだけの知性を持っているわけで、つまりそれが読み取れなきゃ自分は比較的にアホだということだから、それでは致命的にヤバいと覚悟しておこう。
知能が高いつもりで、でも実は知能もたいしたことなくて、本質的には実は「知性が無い」というだけの人は、何に対してもまず「難癖をつける」という行為をして知性風味の自己顕示欲を満たすということばかりするが、こんなものとっくに「あ、読解力がない人だ」と女性たちには見抜かれているので、男性諸君はもっとまともな勉強をしよう、たぶんこの先「知性がない」というのが一番ヤバいよ。

希望の報告:同じく震えているあなたの友人が、この世界のあちこちにいる。

それと出会えるか、というとむつかしい、またそうして打ち震えたものを、表沙汰に発揮できるかというと、それも一層むつかしい。
ただ、今この時代でも、まともなものに触れてまともな読み取りをし、まともに打ち震えるという人は少なからず「いる」のだ、それが「いる」という事実は十分に希望と言えるだろう。

恋女のマインドね | comments(0) |
まともに生きるのには常にキアイがいるものだ

っとコラムが書きあがった。(→(六日目)怒りの日、疑う胴体が失ったすべてのもの
原稿用紙450枚分もあるそれを「コラム」と言い張るのはどうかと思うが……
165,790字だから文庫本で230頁ぐらい? 普通に考えてウェブブラウザで読む分量ではないな。
まあそこはキアイで読んでくれ、あとはUSBメモリにpdfファイルを入れて持っていけばコンビニでも印刷できるし、その他ネットプリントとかの方法も最近はある、まあそういったことのすべてはめんどうくさく、まともに生きるのには常にキアイがいるものだ。

こういったことには二つの考え方があると思う。
こんなクソ長い文章、読むのは正気の沙汰じゃない、という考え方がある一方、「読まないのは正気の沙汰じゃない」という考え方もある。
僕は、大学生がまとまった読書をしないことや、社会人が日常的に大きな情報を仕入れないことのほうを、「正気じゃない」と捉えるたちだ、どうしてマンガと動画を漁るだけのほうが「まとも」なのか? それはただのすりかえだろう。
このごろは、「生きることを諦めた人から順に威張っていく」というよくわからないスタイルがあり、そのスタイルの感覚は僕にだってわかるのだが、やはりそれは「正気の沙汰じゃない」と僕は思っているのだった、僕は卑怯者だからな。

「何の勉強にもならなかった一年」は、わりと人生を破綻させる。

誰でも思い返してみるとわかるが、5歳から15歳まで、勉強の要らなかった一年なんかなかったわけで、そしてまともな青春なら、15歳から25歳まで、勉強の要らなかった一年なんてやはりなかったのだ、遊ぶことも含めてまともな生命は学びつづける。
しかしいつからか人は、「勉強の要らなかった一年」をこっそり過ごし、そこからパタッと自分の生きることを終えてしまう、そういうのはコワイことだからみんなゴリゴリ勉強しようね、まともに生きるのには常にキアイがいるものだ。

恋女のマインドね | comments(0) |
消費者の矢印

れまでに三千兆回ぐらい、「本気出します」と聞いてきた気がする。
いいかげん気づけよ、と言いたいのだが、ハズレのパターンは必ず、「やることが見つかったら本気が出せる」というドデカイ誤解に基づいている。
これが逆だということに、いいかげん気づけよ、「やることが見つかる→本気を出せる」じゃなくて、「本気出す→やることが見つかる」なの。
読みたい本があるから購読意欲が湧く、のじゃなくて、そもそも購読意欲があるから読みたい本が見つかるんだよ、あなたは書店で札束を投げつけるほど本気になる前提がないんじゃないか。

「やることが見つかる→本気を出せる」という、この向きの矢印を、「消費者の矢印」と呼ぶ。
消費者のマインドは実にクリアで、「余が本気にならざるを得ない製品およびサービスを、まず余の前に示せ」ということに尽きている、「そうしたら余は本気出すし、余の本気出したい願望は大満足するもん」と傲然と申しつけている。
「超いい女がいたら超本気出す」「超いい男がいたら超本気出す」という両サイドが投石しあうこの悲惨なコロシアムをいいかげんにやめなくてはならない。
あなたが消費できるものなんてこの世に一つもないのです、教会か神社かお寺に行って、「どーしてわたしの消費するものが与えられないの!?」と聞いてきてみんしゃい。

主体性がないのじゃなく、消費者性が超ある。

いいか、まずなあ、テレビモニタやPCモニタ、スマートフォンのモニタにな、お前の消費するモンがパッと必ず現れてくれるはずだという、そのとんでもない習慣をやめろ、それ「モニタ」っていうただの機械だぞ、光るようにできた板だぞ。
いいか、次になあ、身の回りの「紙」を見てみろ、印刷物ばっかりで白紙がぜんぜんないだろ、でももともとの「紙」って「白紙」なんだぜ、そのことをもうあなたは何年も忘れているんじゃないか。

恋女のマインドね | comments(0) |
えげつないことは増えたけれど

つもしぶとく読んでくれている人、どうもありがとうね。
ここ数年、僕は「共感」を呼ばないものを書いていると思うが、知っていてわざとそうしている。
書き手が読み手に「共感」を覚えさせないのはどうかと思うが、これは断腸の思いでわざとそう選択しているのだ、白状しておく。
僕はどうしても、「えげつない」ことを書きたくないのだ、たとえそれが共感を呼んだとしても、本当には誰もよろこばないと思っている。

「えげつない」マンガは増えたし、それこそトランプ大統領なんか、今「えげつない」の代表みたいなところがある。
実生活を生き抜くのに、そういうことを引き受けていかないといけないという事情はわかっているのだけれど、そのことをわかった上で、あえて逆のことを書いている。
なぜかといって、逆のことが「不必要」とは思えないからだ、誰も永遠に「えげつない」ことを続けていきたいわけじゃないと思う。
なんとかして生き抜かなくちゃいけないのは当たり前として、たまにはこうした変わり者も必要だろう、変わり者にも限度があると思うが、これでも賛同者は少なくないみたいなんだ、あくまで潜在的にだけれど。

あなたもこころに切り札を。

「もう持ってるよ」ということなら、それはとても素敵なこと、僕は安心できる、余計なお世話は芸風だから大目に見てくれ。
僕自身もしぶといと思うが、ずっと読んでいるあなたもしぶといと思うよ、お互い風向きが変わるときまで、しぶとく粘っていこうね。

恋女のマインドね | comments(0) |
僕にとって最も重要なことは、一般的にはまったくどうでもいいことだ

ょっと個人的な話をしていい?
村上龍が言っている、「ダメになる企業というのは、必ず過去の成功体験に依存して傾く」というのは、本当にそうなのだと思う(「星に願いを、いつでも夢を」37p)。
人間も生産性においては企業みたいなものなので、うん、企業だな、企業だからな……ということをメモしておきたい。
村上龍さんはいつも執拗に正確に書いてくれるので信頼性があって助かる、こんなレポーターが何百人もいればいいのにな。

あと、なんだっけ、そうそう、僕には引き続き「やりたいこと」があるのだ、やはり。
そのことを決して人に話さないのは、話せるようなことではないし、話したら論評されるし、論評する人は必ず間違って解釈するのでこっちまで混乱してくるしで、とにかく具体的な内容は人に話さない。
なぜそれを「やりたい」かというと、それがきらめいているからだが、きらめいているのは「夢」であって、その現物そのものではないのだと思う。
僕の「やりたいこと」は、言ってみれば、「どうでもいいこと」なのだ、そのどうでもいいことがきらめいて、ひょっとしたら(いや確実に)それを体験することができるかもしれない、そういうとき「生きててよかったな」と思うのだ、もちろん具体的な内容については話すつもりはない。

慾望はきらめきであって動機ではない。

最近、催眠で動いている人が多いから、そういう人は動機づけやモチベーション探しをしているように思う、慾望を動機づけにするのは一見まことしやかな方法論に見えるのだが、よくよく見れば動機づけを必要としているのは夢がきらめいていないからにすぎない。
つまり僕は、偉大なことはどうでもいいことの副産物だと信じているのだ、どうでもいいことが夢としてきらめく、ああ副産物として偉大な企業になりたいものだ。

恋女のマインドね | comments(0) |
アオイのこと
っと前、僕はアオイという女と寝た。
僕はアオイのことがきらいだったし、アオイも僕のことがきらいだった。
でもアオイは美人だったし、帰る手段がなくなって、僕とアオイは他にすることもなかった。
僕とアオイは、互いを侮辱しないために交合した、今思えばそれは、互いにきらいだったけれどキモチワルイということではなかったのだと思う。

アオイは協力的に振る舞ってくれて、自ら服を脱ぎ、僕は内心で「いいところあるんじゃん」と思ったりもした。
お互いきらいだけど、男と女だからね、とアオイの全身が語っていたように思う。
お互いきらいだったけれど、傷つけあわないために、一晩愛し合おうと決めた夜だった。
ずっと古い、昔の話のことだ。

僕はアオイのことがきらいだったが、すばらしい人だということに異存はない。

僕はアオイがきらいだったし、僕はアオイと一番仲が悪かったけれど、「アオイさんのことを侮辱する奴は許さない」、当時そんなことも考えていた。
僕はなんとしてもアオイの礼節にだけは応えたくて、その後もアオイに恋だけはしなかった。
恋女のマインドね | comments(0) |
熱心に生きましょう
は熱心に生きているのかもしれないな。
まったくそんなこと考えたこともなかったが。
熱心に生きようとしたことはないが、ふと気づくと前のめりにはなっている。
「ちゃんと寝てね」と揃って言われるが、別に無理をしているつもりはなくて、ずっと何かが止まないだけなのだ、これまでずっとそうだった。

僕は自分の文章がうまくないことを知っている。
うまくやる方法も知っているが、けっきょくそれをやらない。
僕には現代の風潮がすべて「わからない」のだ。
必要のないものが「わかる」というのは単純にビハインドじゃないのか、論理的に考えても。

古いものに興味はなく、新しいものにも興味はない、僕は僕のものにしか興味はない。

いいね、この感じ、何よりもリッチだ。
僕はこの世界を否定する理由がひとつもない、否定すべきものは元々僕の世界に検討されないからだ。
恋女のマインドね | comments(0) |
僕はゴミであれて
はよく笑っていた。
打ちのめされて笑っていたのだが、あれは打ちのめされていたのだろうか?
打ちのめされていたのだろう、僕は負けること、「勝てない」と直面することが好きだった。
強い人、明るい人が好きだった。

僕は僕なりの努力を積みこんで先輩や先生と対峙し……
対峙というより目撃した瞬間「あっ」と、「こりゃ勝てない」とゲラゲラ笑った。
「いやあ、これは、自分はゴミだな」と、涙がちょちょ切れて笑った、ずっとそんなことをしてきた。
自分がゴミだという実感に、何の嫌気もなかった、何もかも爽快でしかなかったな、僕は勝てないことが好きだった。

僕はゴミであれて幸福であれた。

そのことには何の悲愴感もなくて、何もかもまぶしくて風が吹いていた、燃えるような焦りと果てしない満足があった。
今も変わらない、逆を行く人のことは僕には本当にわからない。
恋女のマインドね | comments(0) |
<< | 2/40PAGES | >>