☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
手放してスッキリするもの
「成長」といって、人は色んな知恵や技術や情報を身に付けていく。
そうして有利さを蓄積していくものだが、この有利さが生きていくことそのものをまったくつまらなくする。
知恵や技術や情報の「有利さ」は、まったく真実だが、この真実に逆行できる度量が必要だ。
いいじゃないか、別に不利でも……そうして手放してみると、一気に生きることは生彩を取り戻してくれる。

いつの間にか、自分は豊かに生きるものだと思い込んでいて、気がつけばいつも豊かさを探しまわっており、そのことがすでに豊かさを失わせている。
どういうことが豊かでありえて、どういうことが貧しくしかならないだろうと、予測を立て選択しようとしている。
だから「成長」というのも考え物なのだ、「成長」ほど手放してスッキリするものは他にないと、このごろつとに思い知らされる。
「成長」、似合わないね、本当に自信があるものなら、成長にしがみついたりせず自分の光輝だけを信じるだろう。

僕は恋も旅行もしたことがない。

もちろん記憶を掘り起こせば、いろいろあるし、ノウハウもあるのかもしれないが、いちいち記憶を掘り起こしてやる義理は自分にない。
僕は女を口説くのが色よいものなのか、また女と寝るのが快楽的なことなのか、そんなことも知らない、今日まだ何もしたことがない。
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初老の肩
ーティのポスターを作る時間はけっきょくなかった、あとで何かビミョーにごまかしてお茶を濁そう。
ポスターを作る時間どころか、ふとするとメシを食う時間もところどころあやしい、メシを買ってはくるのだが食う前に眠ってしまうのだ。
感覚としてはまるで忙しくなく、「すげえヒマだなぁ」としか感じられていないから辻褄が合わなくなっている。
さっき起床したのだが、この後すぐにパーティに行かねばならず、どうせ朝まで飲むとして、よく考えれば明日は明日で昼からお邪魔するイベントがあったのだった、こんなことしていたら夏が終わってしまう。

今回のパーティはほとんど人数がギリギリというかMAXになってしまった。
まあこじんまりやる類のもんで来たからな……今後も人が増えるようだとちょっと考えなくてはならない。
重要なことはとにかく、物事にやる気を一切持たず、静かに料理屋のカニミソでもつまんで安い酒を飲むことだとしみじみ思う。
安い酒っていいよね、と、そんなことを言いたくなってくるのだ、これが一般に言うクソ老化である、こうして老いてくると膝に乗せている女の子が誰だったか忘れ始める。

肩からは熱しか出なくなった。

いつからか、肩こりという感覚が思い出せなくなった、ずっと以前はそれなりにあったはずなのだが、まあ人間の記憶なんていかがわしいものである、肩のことも膝のことも忘れていく。
たくさん歩くと足の力がだらんだらんに抜け、たくさん人を持ち上げると腕の力がだらんだらんに抜ける、そしてたくさん与太話を書き連ねていると脳の力がだらんだらんに抜ける、寝て起きると肩からベッドへ熱が垂れ零れている。
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本当に超えたい「そこ」

夜はワークショップ「ちゃんでき」教室……今夜は曇り空で済みそうだが明日はどうだろう、明日は雨に見舞われるかもしれない。
それでもまあ、来てくれる人がいる限りは、何かしら来てみて損がなかったという教室にしよう、さいわい世田谷公園には小規模ながら屋根のある区画もあるから、豪雨でなければ何かとやりようはある。
いいかげん、誰も彼も、ちゃんと「できる」ヤツにならないといけない、誰だって同じだ。
誰だって、本当に気分のいいヤツになり、気分のいい関係を持って、そのうちかけがえのない瞬間を得ないといけない、そうでないと長年生きているうちに気がヘンになってしまう。

みんなはるばる、岡山とか大阪とかからわざわざ来てくれる、交通費だって苦しいだろうのにお構いなしだ。
なんというか……それだけこれは「必要」なのだ、必要なことなのだと骨身のどこかに感じられるのである。
たまには素直に言ってみたくなるが、こんなことが「必要」なら、こちらは出し惜しみしないので、この機会により多くの人が知って得て持って帰ってほしいと思う。
何のためのワークか? 理知とインスピレーションに優れ、他者と爆発的に友人になるためのワークだ、まあこんなことが現実にあるのだということを、せめて知っておいてほしいと思う、言いたかないが本当にそういうものなんだ。

あなたが誰かを驚嘆させればそれで済む。

そこが肝要だ、僕が「すげえ」でも何の意味もない、あなたが誰かから見て「すげえ」にならないと意味がない。
「こころ」と身体感覚ということを、真面目に取り扱うワークショップはいくらでもあるだろうが、唯一ここだけは品質保証できる、どこのワークショップにもこんなテキトーでデタラメな"先生"はいないだろう、僕はすべての人が本当に超えたいのは「そこ」なんだと感じているからこのようにする。

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女なら誰でもいいのさ
の役目は、「女の子を笑わせること」だ。
僕の役目は、「好きな子を笑わせること」ではない。
目の前に女がいて、笑わせるのに、それをいちいち「好きかどうか」なんて考えるヒマがどこにある。
あるいは目の前の女が、僕のことを「好きか嫌いか」「どちらでもないか」、そんなことを考えるヒマがどこにある、女の子を笑わせるのはそこまで悠長な遊びじゃないぞ。

僕が誰のことを好きか、あるいは誰が僕のことを好きでいてくれるか。
そんなことは、そうだな、たまたま陸上自衛隊の戦車のキャタピラに踏まれて「あっ」となることがあれば、そのときになって考えよう。
それ以外のときには考える余地なしだ、さすがに戦車のキャタピラに踏まれているときはヒマだろうから、それぐらい考えてもよいかもしれない。
まさかいい歳をした男が、「好き」とか「恋」とか……母親に弁当箱の代わりに対人地雷でも持たせてもらえばいいんだ、「いただきまーす」と開封したときすべての真実を知ることになるだろう。

女性が目の前にあるとき、男性には1ナノ秒で義務が生じる。

この義務にわずかでも遅れた者は、七年間湯船を舐め続けて過ごすという刑を科される、そうすれば舌先はナメクジよりは少し早くなるだろう、これはスピードの問題だ。
世界中の男性諸君よ、この宇宙のすべての生命および、人知を超えた神々の存在に至るまで、断言してよいことがある、誰もあなたの「好き」なんか聞いちゃいないんだ、砕け散って消え去るときまで何も気づかずやり続けろ。
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或る教室

妙に感じられるという物事、それ自体が帯びている誘引力によって、僕はこの新しい遊び方を慎重に受け入れている。
こういう立場の成り立たせ方は、もともと決してしたくなかったものだけれども……僕は今このとき、「教える」ということを始めている。
やむをえずということも確かにあったのだ、「きちんと自己の才能を開花させたい」というまっとうな申し出を無下にできるほど僕は未だ老いさらばえていなかった。
料金を取るような職業的なものではないけれども、これはれっきとした教室であり、講義であり、講習であり、レクチュアだ、とはいえ教室などというものは、誰にとっても便宜のもので、教室は誰の住むところでもない。

わたしたちの胸と腕はどうつながっているのか?
わたしたちが椅子から立ち上がり、また椅子に座るというとき、全身はよくよく見るとどう挙動しているのか?
賢明な女生徒は、ただちにモノクロ映画を観て、その中で古い女優が確かに教わったとおりの挙動をしていましたと報告した。
僕などは本来、教えるような人間ではないし、こういったことは本来、教室で教わることではないけれども……「奇妙に感じられる」という誘引力によって、これらの遊び方はあたらしく肯定されうると思うのだ。

今夕、世田谷公園で、肌に虫よけを塗りながら。

こうしていざ教え始めるということならば、僕のような、ひたすら遊び続けてきた人間から、教えうることが無尽蔵にあると感じている。
誰もが胸の内に想い描いたことがあるように、凡人と歴然とした差を持って生きることには、どうしようもない爽快感があるものだ、どうせやるからには、その差を歴然とつけてゆこうではないか。
(定期開講していく予定です。もし興味のあられる方がいらっしゃればお手数ですが本サイトよりメールにてご連絡ください。要するに身体操作の無責任ワークショップです。料金は一切頂いておりません。無責任だから)

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これは夏の夢幻の中

ーティのポスターをなんとかしないといけないのだが……
夏が濃すぎてその気になれない。
これは感性が閉じているのではなく開いているから頓挫している。
窓の外も部屋の中も夏が来ている、そんな中でオモシロイコトなんてやっていられるか。

夏が来たからクーラーをつけるのではなく、クーラーをつけるから夏が来る。
今、季節と噛み合って、異様な体調のよさがある、渋谷の雑踏が端っこまで見えた。
イルガチェフェのコーヒーを何杯も淹れて飲んでいるのだが、まったく鎮静しないし興奮もできない。
横になればただちに眠れるだろう、だがどうしたって夏の夢幻の中だ。

明日、みんな来る。これからもずっとだ。

夏というのはすさまじいな、人が空に花火を打ち上げてそれが正常だと信じられるぐらいまともでなくなる。
明日はみんな来る、今のところ厄介なやつが紛れ込まず、とても助かっている、なんとなくこれが今の本音だ。

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シカゴ!
を彫刻に近づける。
女は思ったより人間より彫刻に近い。
いや彫刻が本来の人間らしいと言うべきか。
あなたの肋骨を掴ませてもらえるならば僕はあなたの姿を彫刻に変える。

シカゴ! という話、キャノンという名前、詳しいことは忘れてしまった。
物語冒頭は「彫刻には"顔面"がないだろう?」というせりふから始まる。
それを受けて「そうよ、だから"顔"があるわ」と誰か女が答える。
シカゴの或るナイトクラブのステージに、女たちが彫刻になって林立した、あまりのことで舞台は当局に警護された、確かそんな話だ。

彫刻は結婚しない。

立ち込めるスモークに身を伏せながらアルミの皿でビーンズ煮を食った、彫刻にはエネルギーが必要だった。
彫刻に名は付くにせよ彫刻がその名を自負してはおらず、彫刻はただ肋骨から立ったりねじれたりして日々を過ごす――シカゴだ!
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100回遊べば観念が変わる
のことをさんざん見て来たように思う。
多くの人が初め半笑いで僕に付き合ってくれた。
そしてなぜか多くの人が僕から離れずにくっついてきた。
なぜくっついてきたのかは当人にもほとんどわからないようだった。

100回遊べば観念が変わる。
だいたい遊ぶのも30回目ぐらいになると、「遊ぶってこういうことなの?」と震えだす。
何か全身に駆け巡るものがあり、音楽が血肉に聞こえ始め、夜の街が意味を持ち始める。
何か、「うわ」と感じるものがあり、「離れたくない」と感じる、そう感じる理由はわからなくて……でもそれがせいぜい「入口」に過ぎない。

100回遊ぶ前にあった「観念」とは何だったのだろう?

ぜひこのように考えてみて、「100回、骨身に染みるまで遊んだとしたら、あなたは何も変わらないだろうか」、そんなことはない。
じゃあ、その100回遊ぶ前、「観念」にしがみついているあなたはいったい何をしているのだろう、それは正解を抱きしめているのだろうか。
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投げやりな問いかけと過去の袋

われわれは物事を、まず記憶し、次に認知する。
よって、われわれの認知はすべて過去である。

久兵衛さん、久兵衛さん!
なんだぃ五助どん、さっきからうるさいねえ。
だからぁ、もぅ、聞いてくださいよ、あっしホントに聞いたんですって! この耳で!
またまたぁ、あんたあたしをからかってんだろ? いいよ、あたしもそういう話きらいじゃないんだから、で、なんだってんだい。

あのねぇ、未来のやつが、過去の袋に、何もかも押し込んでるんだー、って……
……なんだいそりゃ、わけのわかんない話だねぇ、あんたおつむのほう大丈夫かぃ?
だから、その、未来の奴が……過去は全部フィクションだー、って言うんですよ! そんであっし、そんなの信じるか信じないかはアナタ次第だって言い返してやって……
おいおい五助どん、あんたそんなメタっぽいこと言っちゃだめだよ、なんだいそのふぃくしょんてえのは、あんたその未来とやらからいろいろ聞いたのかね。

そいつ、認知は全てふぃくしょんに流れてるから大丈夫なんだーって……

まあまあ、五助どん、そうは言われてもよ、そもそもそのふぃくしょんてえやつがわからねえんだからよ、その話何のこっちゃわかりっこねえよ。
久兵衛さん、あっしの聞いた限り、その未来のやつがあっしらをこの袋ン中に入れたーっちゅうことらしいんですよ、なんかコレわかります? わかんないですよねぇ、あっしもわっかんないんです、でもなんかわかるんです、あっしらの世界って無限に広がってますよねぇ?
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こちら目黒区低級感覚屋
「胸」は「感じる」部分でもあるが、それ以上に「出る」部分でもある。
説明はめんどくさいのでしない、ただわかるのはセックスも芸術も衝動として「低級」であるということ。
だからこそ岡本太郎も自分の芸術衝動を「縄文」につないだ、現代より縄文時代のほうが「低級」なのは明らかだ。
では「低級」「高級」とは何かということになるが、僕は低級なので高級なことはわからないのだった。

高級なことは他人に任せようとつくづく思う。
アイドルのいわゆる「グラビア」を見ていると性欲がメタメタに低下していくのは僕だけだろうか?
たぶんそれは「高級」な人々のたしなみなのだろう、これは嫌味ではなくただのマジ話だ。
僕は低級なので、女性と寝るときや作品を覚えるときにそのいちいちを「評価」なんかしていない、それはもう原生生物のような低級さで単に性交しているのであった。

事実、僕の感覚は低い。

僕には女性を「押し倒す」という感覚はわかるが、「抱きしめる」という感覚はわからない、押し倒すというか……身を寄せれば女性は勝手に倒れるじゃないか? そういうもんだろう。
僕は色んなことに取り合わないのではなく、感覚が低いため高級なことには取り合えないのだ、感覚が「低い」というのはもう物理的に「低い」というものだよ。
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行動の迅速化(つぎつぎ理論)
ょっとだけ真面目な話。
女性は風呂で髪を洗うだろう。
シャンプーをしている間、思考は先に、リンスをどうするか考えて。
そうしたら次の行動に移るのが早いから、今度はリンスをしている間、髪をタオルドライすることを考えて、そうしたらまた次の行動が早くなるから。

これは割と、本当に真面目な話でね。
行動→終わる→さあ次どうしよう→決定→行動、とやっていたら色んなことがものすごく遅くなってしまう。
そうではなくて、行動(次どうしよう→決定)→行動、という状態でないと行動が連続しないんだよ。
Aをしているとき、考えるのはAのことではなくBのことだ、シャンプーをしているときは決してシャンプーのことを考えないで。

動作はゆっくりでいい、思考もゆっくりでいい。

なぜならシャンプーをしている間、思考する時間はたっぷりあるもの、それがシャンプーが終わってから考え出すから時間が足りなくなる、そして時間が足りないから思考も動作も慌ただしくなる。
あなたが出掛けるとき、靴を履いている間に、カバンから家の鍵を取り出すことを考えてね、玄関を出てから「鍵を出そう」と考えていたらすべての行動は途切れとぎれですごく遅くなってしまうよ。
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間違っている!!
違っている!!
といって、何が間違っているかの説明はイヤだ、ただ「間違っている!!」と言いたかったので言ってみた。
別に僕が何かの説明責任を負っているということでもないだろう、よくよく正しく考えることが必要だ。
まあとにかくお前らの持っている正しい方法みたいなものは全部間違いなのでサボテンに頬ずりして反省するように、あと明日からロシア語でしゃべって両親に心配されろ。

そうだな、初デートのときは、あなたは左に右に胴体をどったんばったん、倒してハアハア息を切らせばいい。
その間僕は、イヤホンを耳に差し、スマホで何か動画でも見ながらフルーツパフェを食べていよう。
そんなことってせいぜい三十分か、一時間ぐらいで済むじゃないか、その後僕は「靴下集めを趣味にしようかなと思っている」という話をするので、あなたはその間話を聞かず、ずっと無言で僕の指先にキスを続けろ。
いやこれは大真面目な話であって、みんなが思っている「正しい方法」と比べて、疲れないのはどっちだよ、お互いに打ち解けてくっつけるのはどっちだよ、これは本当に真面目な話なんだ。

なんで「問答」を熱烈にして、それを「デート」と思うのか。

そんなの疲れるに決まっているじゃないか……そのときはどれだけ頑張れても、絶対に「明日はイヤ」ってなるよ、だって問答はしんどいもの、めんどくさいもの。
あなたが胴体をどったんばったん、その後は無言で指先をぺろぺろしてくれる、それってそんなにおかしいか? あなたが犬なら何の不自然さもないことなのに、どうしても問答デートが正しいと思うか。
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怒りの「なんでやねん!」
「なんでやねん!」というツッコミがある。
関西弁を排除して、「なんでだよ!」でもいい、「なんでよ!」にすれば女性でもいける。
ところがこの「ツッコミ」という動作、実際に口に出してやってみると、多くの人がなぜか「サマにならない」という現象がある。
「あのなぁ」でもいいし、「いいかげんにしなさい」でもいい、よく知られた「ツッコミ」の動作、これがなぜかやってみるとサマにならない、さてサマにならないのはなぜだろうか?

実は単純な原理があって、実はツッコミというのは「怒り」なのだ。
「いらっしゃいませぇ。こちらの雑誌、あたためますか」「なんでやねん!」というとき、その「なんでやねん!」は実は「怒り」の機能によって発されている。
だから「怒り」が機能していない人がツッコミの真似事をしても、ツッコミにはならないのだ、これは吉本の養成所で教えてもいいぐらいの重大な原理だ。
「Why Japanese people!?」でも同じだし、そういえばダウンタウンの浜田さんはよく番組中に「腹立つわぁ〜」と言っている、あれは「腹が立つ=ツッコミたい」というこころの原理を言っているのだ、さあこれであなたも今日からツッコミ芸人になれる。

自分自身に、「なんでやねん!」と怒ってきたか。

いわゆる喪女と呼ばれる人たちは、自分に「なんでやねん!」と怒れずにきたし、あるいは自己卑下に陥るような人も、自分に「なんでやねん!」と怒れずにきた、怒りの機能がないと何一つも始まらない。
勉強を投げ出す自分に「なんでやねん!」、面接でトチる自分に「なんでやねん!」、仕事を覚えない自分に「なんでやねん!」、それは「腹が立つ」ということだ、「頭にくる」ということじゃない、頭にきたらツッコミじゃなくケンカになる。
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(点に漸近する)
ラ ギラ ギラ
ギ ラ ギラ ギラ
ギギラ ギギラ ギギラ
ギギラ ギギギ ギギラ

ギギラギギギ ギギギラ
ギギラギギギラ ギギラ
ギギラギギラギギラギラ ギギラ
ギギラギギラギギラギギラ ギギラ

(点に漸近する)

ギラ ギラ ギギラ
ギギラ ギギラ ギギ ギ ギ
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遊ぶということ
「遊びだったのね」と言われるように、「遊び」とは一般に低級なものだと蔑まれている。
あなたはそんな蔑まれるような低級なことはしてはならないし、しないだろうし、今後も一切やらないだろう。
つまり、子供を作らないセックスなんて、何の用事もない遊びをしてはならないし、今後もしてはならない。
用事もなしに声を出す、つまり「歌う」とか、何の用事もなしに身体を動かす、「踊る」とか、そんなことは一切してはならない。

小説を読むことにも何の用事もないから、同じ読むなら教科書と新聞記事を記憶するべきだ。
かわいいカップでお茶を飲むとかフランベしたステーキを食べるとか、もってのほか、ちゃんと栄養だけを最適に摂取しないと時間の無駄だ。
彼と手をつないで初夏の野山を歩くなんて何の用事もないのだから、そんなことよりさっさと入籍すること。
すべての時間は用事に向けて、有意義に過ごされるべきだ、ただしこれは一般の話であって僕の話ではない。

遊びで発揮される人間がある。

つまりそれは、一般に低級で蔑まれる人間だということになる、ちょうど僕にふさわしいなという気がしている。
「教養」「情緒形成」「ストレス解消」「自分磨き」、そういったものをなるべく失いつくすように、僕は遊び続けている。
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パーティは十万人まで
ーティ企画なんかやっているが、「最大で参加者何人まで考えますか?」と訊かれることがある。
僕は「さあ? 十万人ぐらいかな」と答えるのだが、だいたいそれで「えっ」となり話がクラッシュしてしまう。
僕は不思議でならない、十万人を想定外とする、「夢のない」人が若い人にさえ多すぎるぞ。
少なくとも僕は、想像力の中で十万人は処理できる、ただそれでも騒がしいのはイヤだよ、騒がしいのはもともと苦手だ。

もちろん漠然と人数だけ多いのはまったく意味がないし、「イベント!」みたいなのも僕は疲れるのでイヤだ。
ただ、ややこしいことは抜きにしてだ、パーティの人数は十万人で、開催期間は十か月間と、そういうのは楽しいのじゃないか。
十万人と十か月間遊び呆けるということが、もしなかったという場合、それは「ツマンネー人生だったなぁオイ、とほほ……」ということでいいのじゃないか。
冷静に考えてもらってだ、十万人と十か月間遊び呆けるというのが「楽しそう」と賛同する人は、本当にこの世界に十万人もいないのか? その十万人がいるなら何もおかしいことではないはずだけど。

僕が十万人と遊ぶ可能性と、あなたが夢のような恋をする可能性は、だいたい同じだ。

あなたが「ありえない」というなら、あなたにはありえないのだろう、なぜそんな入水自殺をグイグイやるのか僕にはよくわからないけれども、まあ仕方ない。
冷静に考えてくれよ、僕は「遊びたい」と言っているだけだ、「幸福な家庭を築きたい」というような困難なことは一言も言っていない、ただ遊ぶだけなんだからはるかに簡単なことだろ。
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フルスロットルの幻影
ログ記事は一日一件と決めているんだがこっそりルールを破ろう。
僕はつまりエネルギーが余っているから文章を書いているのだが……
この場合エネルギーというのはついに「胴体にある気の流れ」のことだ、これが余っている。
なかなかこいつを振り回していい機会がない、最近は文章を書くことについても不自由になった!

それはおれが不自由になったということではなく立場のものであってね。
自分で言うのもヘンだが、今おれが全開で気力を振り回したらもう誰もついてこられない(今さっきそれがはっきりわかった)。
それにしてもだめだな、やはり全開で気力を振り回すのを基本にしないとやっぱり"不衛生"だしまともな仕事もできやしない。
つまりおれなりに、いくらか空気は読んだりしているところがあるんだな、いざ振り回してみてわかったが、普段は出力を八割減ぐらいまで下げている。

おれは今でさえ奇人だが、ほんとはもっとひどい。

なんというか、これは分けて考えないとだめだな、ふだんから実力勝負をしているが、ほとんど実力では勝負していない。
なんて不自由な世界なんだ、おれの奇人ぶりが好きな女の子も、これじゃ縮みあがって逃げちゃうな、でもフルスロットルでやらないとどこかで病気になっちゃうしどうしよう(まあなんとかしよう)。
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まもなく情熱の0時
う一度、「情熱」の再定義からやりなおさないか。
大晦日だからと、つけこんで、グダグダに言ってしまうけれども。
たとえば、僕とあなたがこれから出会い、イチャイチャする理由と必然性は数学的にゼロだ。
でも互いに、「情熱」があれば違うね? 生き方の再定義なんかしなくていい、情熱の再定義だけしておきたい。

情熱の再定義、それは明瞭だ、つまり「情熱がなければ何も起きない」というだけだ。
何も起きないなら、世界を把握するのは簡単だな、脱線しない、何も起きない定例の世界をただ眺めているだけのことだ。
でも違うだろ、本当に必要なことは、「どうしてそんなことになったの!?」と驚かれるようなストーリーを生きることだろう、でなきゃ何の自慢にもならない。
平成二十七年/西暦2015年が終わる、あなたはこの一年を激しい「情熱」に包まれて生きただろうか? ここに胸を張れる人はそうそういない、それが悔しいんだ。

0時が来たら、ただちに去年を軽蔑しよう。

「情熱」の再定義、それは「常に脱線する」だ、だから0時にはただちに去年から脱線してね。
あなたが今思っている「正しいこと」、0時が来たら脱線してね、脱線して違うことをして、そうすればあなたは去年満たせなかった何かを新しく満たせる一年に踏み出せるから。

(追伸……恒例の大晦日コラムも強引にアップしております。みなさま、よいお年を。九折より)
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ちゃんと遊びましょう
びすぎて正気を失っている。
アリーナ・コジョカルは演目を終えてもまるで天使のようだが、シルヴィ・ギエムは演目を終えると控えめな女子大生のようになる。
その意味でのギャップはギエムのほうが大きい、ギエムは舞台上では演目によってはまるでシャーマンなのに。
ホールの裏口に、出待ちのファンたちがいて、そこにギエムが出てくるところを目撃した、驚いたことに誰一人ワーともキャーとも声を上げなかった。

まあ、それだけ、演目を終えたギエムは別人のように見えるということだ、ワーとかキャーとかいう雰囲気はない。
ただ、特級の訓練を経てきた50歳のはずが、無垢なままの20歳に見えるというのは間違いない。
舞台上で、ギエムはまるで「ボレロ」を楽しんでさえいた、何も難しいことをするわけではない、と。
すべてのことが、まるで当たり前のことにしか見えない、だからこそすごいのかもしれない、「すごーい」という感想は何もすごくないことの証かもしれない。

引き続き、芸術に興味なし。

一晩に数万円のメシを食ってしまった、こんなに飲み食いってできるものかね? そっちのほうが神秘的だったわ。
もうじきクリスマスが来て……その前にパーティもするんだった、今回は会場の関係で人数が限られるから、エントリーされる方はお早めによろしく、ちゃんと遊びましょう……(気が遠くなりそうだ)。
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やっちまえ
が泥棒になることや、殺人犯やレイプ犯になることは簡単だ。
瞬間、「やっちまえ」ということで成立する。
奇妙なことに、恋人も芸術もこの同じ「やっちまえ」で成立する。
同じ「やっちまえ」なら美しいほうを、ただどちらもやはり同じではある。

人と付き合うのは大変に決まっている。
誠実さの議論は役に立たず、直接の誠実さしか役に立たない。
人が人にやさしくなくてはならないのは、全てがその「やっちまえ」の向こうに成立するからだ。
「やっちまえ」へ踏み込まないなら、やさしさは要らない、踏み込まないならやさしさも何も関係がない。

愛は一瞬、その他は退屈。

愛とは何であるか? そんなものを前もって用意できると思っているのか。
銃で心臓を撃つのじゃない、心臓が飛び出て銃身を曲げるんだ、だから大変だ、そのことを感覚で言うと「やっちまえ」になる。
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