☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
どーでもいい話
れはまったくどうでもいい話なのだが、今日、たまたまちょっと鍵盤に触れる機会があって、ふとためしてみたのだが、いつのまにか僕の声域が、低音側にぐっと伸びていた。
いつのまにか、低音域がLow Aぐらいまで伸びていたのだが、これ、詳しい人にとってはわかることだが、「えー!?」と驚くようなたぐいだ、だって以前はDぐらいまでしか出ていなかったのだから。
合唱団にいたことがある人ならわかると思うが、だいたい男性の場合、「低い方のミ」がきっちり出ていれば、まあベースパートでもいけるだろう、というような判断だ/そしていわゆるローツェー(Low C)がきっちり出る男性というのは、日本人ではあまりいないのだ、どこの合唱団でもLow Cがきっちり出るベース男性は「選ばれし者w」という扱いを受けていると思う。
僕はひさしぶりに、鍵盤の低いドを叩いてみたのだが、そのLow Cが自分の声帯からあっさり出たので、「あれ!?」と、冗談でなく三十分ぐらい困惑していたのだ/僕はもともとバリトン寄りのベースだったので、Low Cなんか絶対出ないはずだったのに、いつのまにかその下のB、さらにAまで出るようになっていた。

なぜこんなことになったのかわからないし、いつの間にこんなことになっていたのか知らないが、とりあえず驚いた、なぜなら基本的に人の声域というのは、特に低音側に向けては広がらないからだ/四年間も合唱団にいてDが精一杯ならそれより下にはまず広がらんでしょというのがそっち方面の一般常識ではないだろうか。
僕にもその常識があるので「んなアホな」と思い、どこぞの外国の合唱団で低音がバキバキ出る奴に重ねて発声してみたのだが、どうやら僕も本当に出ているらしい(と、これぐらい確認を重ねてもどーも自分で信じられないのだ)。
だって、そもそも、男声の合唱曲なんか、低い方のミより下はほぼ使わないのが暗黙のルールだからな、それぐらい「ミ」より下の音は選ばれし者だけの領域なんだよ、それがオメー唐突に、Low Cより下まで出るようになっているとか、「なんじゃこりゃ」と困惑するしかないのだった、今でも何かの間違いの気がしてならない。
そして、この話は、だから何だということはまったくないのだが、えーとな、おれはふだんカラオケでサザンを歌ったり、一部のジューダスプリーストを歌ったりしているが、実は声域的にはものすげえ「フツー無理でしょ」を突破してやっているのだということを、この際はアピールしておきたい、本来は「宇宙戦艦ヤマト」がらくらく歌える声域なんだよ! そういうヤツがhi Aの付近で小回りを利かせたりしているのは、実はスゲーがんばっているなということを見抜くように/hi A付近って、つまり最低音の三オクターブ上じゃねえかよ、明らかに無理があんだよ。

具体的に、できることの幅を広げよう。

「具体的」って、そりゃこれ以上に「具体的」なことはないわな、いつの間にか幅が広がっていたわけだし、まあそりゃ確かにわかりやすーい「幅」だわ/いいかげん誰か僕のことを褒めるように、これ以上おれを奇人変人に育てても何の利益もないぞ。
まあ、人間、己の「身」にマジに向き合ってアプローチすると、本当に「具体的」な成果は得られてくるようだな……利益にならんことまで含めて笑/そんなわけで、どうせヒマに生きるなら、「身」にマジで向き合うほうがまだ楽しいらしいよと申し述べたいのだった。
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(恋人とロブスター)
浜過ぎて 慣れない湘南
曜日が消えて 東西飛んで
生まれたばかりの 潮騒が轟き
星空とネオンの 夜が来た

誰が誰とかわかんなくてさ
わかるのは恋人とロブスター
こんな日だけが続くと思って
そんな日だけが続いたわ!

だからあなたが笑っている/おかえりなさい、いつもどおりね

永遠に続く 夜の都
どこにでもある いつもの居場所 夢多かりし 恋人とロブスター
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正しい抵抗はLove Entertainment
るダンスの先生が、「九折先生の話を聴いていると(コイツはいつの間にかおれを勝手に先生と呼んでいる、ナイスだ)、ごまかしてもダメだということがいよいよわかった、情熱ナシに時間をすりつぶしていたらそりゃ落下しますわ」とメールしてきた。
そういうことは、とてもナイスなのであって、よっしゃおれがダンス教えたろ(※ダンス経験ゼロ)という、わけのわからない逆転現象にもなりかねない/僕はこうした、「んなアホな」という展開が好きだ、わけのわからないことが成り立っていくとき、「あーこの世界を生きているなあ」という感触が直接する。
まあ実際、ダンスの先生であろうがなかろうが、厳密な感覚で視認性の「オン・ザ・ビート」を見せられるかというと、それはダンスうんぬんとは関係ない話でね……と、そんなことを言われるとワクワクするだろ? しないか、いやワクワクしましょうよ、この世界は秘密のナゾに満ちているのだ。
今週末はパーティで、また今回も新しい人が参加してくださるので、サラサラ〜っと飲んでいるあいだに、何か知らんがいいことになればいいな! 何にせよ「熱烈にやる」アンド「こだわらない」というのが吉相だ、熱烈にやったあげく「そんなことしてたっけ」と当人が忘れているぐらいがナイスなのだ、さあ季節は遊び心がまっさかりです、およそ一月から十二月まで遊び心の爆発しない季節なんて存在しないのだった。

僕の本サイトの屋号は「Love Entertainment」だが、なんだかんだ、元から正しいところを突いていて、今もなお正しいところを突けているんじゃないの、と最近になって勝手に思う。
Loveのない娯楽や遊興は、ただの消費になってしまうし、Loveというのもけっきょくはデートしたりするわけで、どこかでEntertainmentとつながっているのが健全だ/僕はLoveの切実さに胸が痛くなるばかりの中、向こうからEntertainmentの現実性が「おい」と高圧的に呼びかけてくる瞬間が好きだ、「ホレ、実際に面白くしてみろや」と。
元からわかっていることだが、愛すれば愛するほど「遊ぶしかない」ということに行き着くのだから、なるべくこのことから離れたくない/もはや、誰にもわかってもらえなくなったとしても、僕は独りでこの道を歩むだろう、いつかわれわれの終焉のときに、「あの人に遊んでもらったな」と、わずかでも永遠に残るものの足しになれたら最高だ。
何をしょーもないことを、と言われそうな気がしないでもないが、そのしょーもないことがおれの最高到達点なんだよ、そりゃおれがもともとしょーもない存在だからだね、おれは銀河系を創り出せるような偉大な存在ではない、創れるとしても、五月の或る一日とか、数年続いたあのこととか、そんなもんだ/しかしそれがないよりはあったほうがいくらかマシってもんだろう!!

この演算はどうでしょうというだけだ、Love × Entertainment。

まあ、それ以外のことは、おれ元々マジメに生きるつもりないし〜、そりゃマジメに生きているヤツがこんなところに四千件もナゾの記事を書いているわけがあるか/もともと「女の子ちゃんが好き」というアホな原点から、「まあ他にすることもないので」ということで、ここまでやってきているだけだ。
それはとてもチンケなことかもしれないが、一点、どれだけチンケでも「ウソ」ではないとだけガンバって主張したい/おれは何もエラソーに言うつもりはないし、きれいな女性さんを見たら「きれいだな〜」とあこがれるという機能しか持っていないよ、僕はなるべくそのきれいな女性に、ウソだけは向けたくないのだった、おれみたいなモンが表面的に立派なことを言い出したらそれは完全にウソってもんだぜ。
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一羽の鳳凰と孤独が大勢

メリカの保険会社と調査会社が、二万人を対象に調査したところ、アメリカ人の43%は、「人間関係は無意味」と感じているそうだ(2018年5月)。
その他、25%は「自分を理解してくれる人がいない」と感じているとか……まあとにかく、「人間ってクソやわ」が蔓延しているということだろう/43%が「人間関係は無意味」と感じているとか、リアルに滅茶苦茶ヤバいやつやん。
今から十年ほど前、2007年、ユニセフの調査によると、日本の子供が感じている「孤独感」が、先進国中でぶっちぎりのトップだった(三人に一人の子供がガッツリ「孤独」だと答えている)わけだから、日本人の感じている孤独感や人間関係のむなしさだって、水面下でドエライことになっているだろう。
ちなみにアメリカの調査によると、孤独感うんぬんは、SNSを使っているかどうかには何も関係ないそうだ、とにかく絶望的な孤独が進行しているという状況だけがある/実際僕も、表面的な「リア充」の女の子が、水面下でまったく逆のことを見つめているという話を、これまで何十回も聞かされてきた、だからこれはどうやらマジのことのようだ。

考え方を逆にしてみよう。
というのは、実は、僕はよく心配されるのだ、「九折さんは天才すぎて、孤独なんじゃないでしょうか」「同レベルで話ができる人がいなくてかわいそう」と、まあ確かにそういう側面もあるかもしれないが、この発想を逆にしよう。
つまり、孤独なのはおれじゃなくてお前らだということ、そう言われたらそれなりにギクッとするところもあるんじゃないのか、ただしくれぐれも、深刻な気分になることは何の意味もない、学門もないくせにシリアスぶるのはやめような、小鯛の笹漬けでも食ってろ(ウマイ)。
現代人にとって、内心で「孤独」というのはよくわかるだろうが、それを「どうしたらいいか」は、さっぱりわからんだろ〜(ざまぁみろ〜)、まあみんなで揃って100億円ぐらい積んでくれたら解決法を教えてやらんでもないのだが、たとえ教えてやったところで実現されるかどうかだな/初対面の人と同じ歌を唄ったことはないか? そのときはものすげえ感動するぜ。

「全員」という事象を知っているおれを、鳳凰のように保護しろ。

現代、あちこちで「炎上」が起こっているが、炎上に人々が群がっているのは、もはや野合でもなくて「孤独が大勢」にすぎないじゃないか、その貧しさたるや、ペンギン村にさえ大きく劣るところだ、どうしたらいいかはホントにわかんないだろ?/そりゃ「全員」という事象へ届いているビートを感得できないとやりようはゼロなのだから、あまりデカい面さげていないほうがいいぜ。
「みんなで」なんて、つまんねーことをおれは言わないぜ、だってそういうことじゃねえし、幼稚園の先生じゃないんだからよ/ただ「全員」の事象だ、全員の目の前に一羽の鳳凰が飛んでいる、その映像がイメジされるのではなく、そのときのビートが聞こえてくるかどうかだ、これを鳳凰理論と呼ぶことにしよう(そのとき孤独が消し飛ぶ世界が現成する)。

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40000

、この記事で四千件目らしいな。
四千件目らしいので、記事のタイトルは、景気づけに40000にしてやった、これが文学ショーというものである。
せっかくなので、たまにはということで、拍手ボタンのなんやようわからんやつを拾ってきたぞ、たまにはこれを押しておれのことを応援するように。

恋あいはするする〜である、だってしょうがない、ボクは愛の人なんだもの。

注目するのをやめろ!!
おれに対してではなく、というか、誰もおれには注目しないと思うが、そうではなく、何に対してもだ、「注目」という状態そのものがいただけない。
注目というのは視力を失っている状態なのだ、見えなくなっているのだ、あなたの大好きなそれはマチガイということだ。
ついていけない感じがするだろ? そのとおり、ついてこられてねえんだよ、注目しているからついてこられてねえんだよ!!

見よ、

お前らだって何回押したってかまわねえんだ。

何をしゃっちょこばっているのか、というかしゃっちょこばるって表現自体が古すぎるというかジジイすぎるか、まあいい、どうよこの短期間に二度も拍手ボタンを掲示するスタイル、これが注目するなということだ。
恋愛はするする〜という記事を、40000件も書いてきたのだな、数が割り増しされているがまあ別にいいだろ、どうせ全部おれの記事でお前らの記事なんだから。

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他人のことなんか知らなくていい
人のことなんか知らなくていい。
インドのガンガー(ガンジス川)に行ったことがあるか? 夕暮れになると祈り(プージャ)が始まるのだが、人がわらわらと集まってきて、こんなもん他人のことなんか知ってどうするんだよ。
他人のことなんか知らなくても、もともとつながっているでしょうが、「つながらなきゃ」みたいなのはもう初めから穴に落ちている証拠でっせ。
インド人は祈っているだろ、僕は美女と美少女を愛しているのだ、雲は夜空を流れているだろ、ほーれつながっているじゃないか、乞食のガキどもはスタタタと川辺を走り抜けていくぜ。

他人のことなんか知らなくていい。
他人のことを、知らないと愛せない・愛されないというのは、もう何かその時点で、すげー負けフラグの感じがするだろ。
ガパオライスを食い過ぎのナゾの外国人と目が合って、ネオンライトの下で言いうるのは、「知〜ら〜ん〜わ〜」の一言に尽きる、だって本当に知らねーんだもの、知らねーけど大好きだよ、たぶん詳しく知るとあんまり好きじゃなくなるだろうな、他人を知るのなんて新聞記事を読むみたいなことだからな。
フラッシュライトは光るのが仕事だ、おれたちの仕事は? まさかフラッシュライトに眼を細めているのが仕事じゃねえよ、おれたちもそれぞれ光るわけだろう、何のために光るのかって、そんなもんフラッシュライトに聞いてこい、「アホか」とバカにされるだろうよ。

識化したら穴に落ちている。

あなたこれ、読んでいて、文章だなあって感じがする? まさかしねえよな、ということは、楽器だって楽器に聞こえたらダメだし、音楽だって音楽に聞こえてはダメ。
他人のことを知ろうとするから、識化して、楽器は楽器に聞こえてしまい、音楽は音楽に聞こえてしまうの、知らなくていいってほうが気が楽なんだからいちいちヘンな抵抗をするもんじゃないよ、フラッシュライトくん。
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秘密の拡大法
動は大きいほうがいい。
ある意味、戦争でさえ、活動としては大きいほうがいい(絶対にナイショ)。
活動は大きいほうがいいので、拡大したいわけだ、我欲ではなくてね……
秘密の拡大法を使っていきましょうか。

秘密の拡大法は、秘密なので教えられない。
なんじゃそりゃという話だが、まあヒントをいうと、なるべく多くのものに「見てもらう」ということですよ。
僕たちがみんなつながっているということは、ひとつのことは、すべての人に見てもらうということじゃないですか!?
やったろうじゃないかと思っている、あなたが何かしっくり読めるということは、それは前もって知っているからだ。

たとえば「いとしのエリー」はわれわれの言葉だ。

このビート音が聞こえるか……といって、いとしのエリーにビート音はなかったな、しかし聞こえるか、このビート音が。
「わたし」と「世界」のことを忘れたことはなかったが、「全員」ということは長いあいだ忘れていたな、全員拍手、もう忘れないように。
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楽しくなけr(以下略

て今日はパーティだ、楽しくやらねえとわれわれは世界を呪うだろう、そして楽しくやるということは、努力はしないということだ。
努力しないということは、つまり、何か弱いヤツをみつけてイジメでもやろうかなああああということであり、いわゆる金色のハラスメント、まあなんというか、おれのスタンド名は「ゴールド・ハラスメント」だ、パワーもスピードも超スゴイのである(成長性は皆無)。
もう当日になってしまったが、気にせず女の子はワッサワッサくるように、女の子が安心していいのは、特に僕がケアをしないので、あなたにとっては居心地がいいよということだ、まあ隅っこに座ってヘエエエと眺めていたらあっというまに終電の時間まで過ぎるだろう←これが割とマジで初めて遊びに来てくれた人の感想かもしれない。
なお言うまでもないが、おれが遊ぶぞーというのは、何もパーティだから遊ぶのではなく、パーティ前からも個人的に遊ぶのだ、わざわざ自前のパーティだけにターゲットを絞るほどヒマじゃねえよ、一日にパーティが一回だけというのはきわめて貧しい発想である。

まあ、わりとマジに、発想を豊かに展開する、切り拓くということは重要だ。
つまり、自分のやりたいことをする、というような発想は、浮き輪にプープー空気を入れるようなことであって、わかりやすいが、例え話としてまったく成立していないので、これは何を意味しているのかさっぱりわからない、こういうものを駄文という。
いいんだよ、別にキミみたいなモン……いや違った、キミみたいな美少女、あるいはまあゴリゴリに酔えば美少女に見えるかもしれないキミは、この僕のようなよーわからん者を、一晩楽しく飲ませてやるために、何か知らんが来てあげたわよウフフフというだけでいいのだ、そうしたことはあなたの青春の一ページになり、あなたのババア化をとこしえに防ぐだろう。
逆に考えるんだ、美少女あるいは気持ちだけ美少女のあなたよ、「縁もゆかりもないので行きにくいな」と考えるのじゃない、その逆、「ナチュラルローソンで五〇〇円のお菓子を買って持っていってやれ」と考えるのだ、これはテキトーに言っているようで割とマジの話でな/オトナは「手みやげを渡しにいくから面談になる」のであって、「面談にいくために手みやげがいる」のじゃないんだよ、この粋(いき)がわかっていないと永遠に営業のお仕事は務まらないだろう、お世話様&手みやげの「ついで」に商談があるんだ(ふだんからそういう役に立つ話をしろ、と言われている気がする)。

朝廷にみつぎものを差し上げることを「朝貢(ちょうこう)」という。

ん? これはただの、国語であり歴史の話だ、辞書にそう書いてあるのだからしょうがない/民主主義はあくまで市政の話であって、民主主義なんて世の中のごく一部だよ、誰が社長になるかなんて従業員が投票したことないでしょ、そんなことに疑問を持っているヒマがあったらさっさとその秘密のノウハウを取得してしまったほうがいい、自分が芳醇に生きていけたらその他のことはまあどうでもいいじゃないか。
ちなみに、貴族とは、朝廷が成り立つのによく貢献した者たちのうち「居場所」を安堵された者のことを言うのだ(これは本当)、つまりキミの目の前には貴族への道が拓かれている、キミの居場所なんかあちこちにあるべきで……というこの話は説得力があまり出なかったのでまあいいかと放棄するが、本当に風薫る初夏だね、この世には二十歳の初夏を二回体験できる人は存在しないから、一度きりの初夏を取り逃さないように、ちょっとだけマジメに、どこかの居場所で、二十歳は二十歳の貴族を過ごしてくれ。

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楽しくなけりゃ話にならんというのはマジ
ういえば明日パーティなのに、新規参加の人のエントリーがないぞ、ササッと気持ちを切り替えてドカーンと参加するように。
こんなものは、自分が参加したいから参加するのではなく、「この人が頑張っていらっしゃるし……」ということで参加するのだ、どんなことでも自分視点ばかりで考えるのはよくない(強引)。
そういえばポスターもまだ作っていないじゃないか(忘れてた、しかも他にやりたいことがまだあるという)、そして今日こそは意を決してこれから美容院にいくので、もうとにかくテンテコ舞いでわけがわからんのだった。
とにかく明日は飲みますよ〜楽しくやらんと意味がないのでね、明日は月一の定例イベントであって、イベントなのだから会場でおれはしっかり休めるであろう(錯乱)。

楽しくなけりゃ話にならんというのはマジであって、楽しくなけりゃそりゃ第79回まで続かねえよ、しかも初めのほうに参加してくれた人がそのままずーっと参加してくれているんだからな、今ではフツーの月一の楽しみになっている感じもある(陳腐化禁止)。
こういったことは、楽しく飲み明かし、そこでナイス&正しい何かを嗅ぎ取って、その結果何か知らんが「幸運」が向いてくるという、そういうパターンでないとだめだな、運につながってこないとだいたいハズレというのがこの世界の理(ことわり)だ。
ところで、おれがサポートしてやった就活生のエントリーシートは、ことごとく通過しているぜ! 我を称えよ/なんつーか、そういったことのベタな利益を追求していかねばならない、われわれは常に利益と幸運のおかげで生きているのであり、それが失われると対向車線から暴走車が突っ込んできてオダブツするのである、不運のまま無事に生きられる人間など存在しない。
遊びますよ〜少なくとも、誰も彼もが、土曜日の夜はどこかに遊びにいかねばならない、何のラブもなしに一晩中スマホをタップタップしていたら運気があがるわけないのだ、そしてこの世界に僕以上にラブな対象はありえないはずなのであなたはさっさとエントリーするのだった、うーむ理路整然で気分がよろしい。

さっと来て覗いてみて馴染めなかったら抜ければいいじゃ〜ん。

というわけで、説得力がマジパネェ勧誘記事を書いたところで、おれは美容院にいくのだ、裏原宿のいつものとこなのだが、ここも気づけばもう十年以上通っているなあ(遠い目)、おれは前世で竹下口に何か縁でもあったのだろうか。
大学生のゆるめの合コンぐらいの格好でいらっしゃいませ〜単におれがいい気分で飲みたいだけの会合なので、イッキの強要とかヘンなゲームをさせられるとか、勧誘行為とかそういうのはまったくありません、他のブースのお客さんが「なんや楽しそうやな」と覗いていくような感じの、まった〜りの平和な飲み会でございます、ヘンなワザを見せてほしけりゃ見せてやるけどそれも酒の肴にしかしてきてねえな/さあおれが美容院に行っているあいだにガツーンとエントリーしておくように、さもなくばおれががっかりするであろう。
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シャワージェルの香り
、ある人がGというブランドのシャワージェルをくれたので、それをちびちび使っている。
Gのシャワージェルはとんでもなくいい香りがする。
これは、使い切ったら、自分で買いに行ってしまうかもしれない。
色々といいものがあるもんだね、Gの創り出す香りは本当に別格だという感じがする。

そういえば最近、「○○のアカウントが凍結されます」「違法なアクセスがあったのでセキュリティ対応しました」「復旧はこちらから」という形の、フィッシングメールが流行っているらしいので気をつけよう。
今のところAppleを騙るものと、Amazonを騙るものがあったな。
日本人が作文しておらず、翻訳ソフトでも使っているのだろう、少しでも読むと「こんな日本語ないわ」というような文面だ、気をつけていればひっかかりようがない。
僕はどこにでもいけるし、気楽なもんだ、僕はけっきょくどんな状況でも遊んでやるということしかできない、そんな馬鹿げたことだけが僕の誇りだ/どうかこんなしょうもない話がどこへでも届きますように。

おれだけは別だ。

自分に何ができるのか、あるいは何もできないのかもしれないが、もうこうして奇妙な生き方をしてきてしまったのだ、最後までおれはこのようでいこう、それがどうだったのかは、最後におれ一人だけが確認すればいい。
どこか気まぐれに、新幹線でも乗ってふらっと、無意味な旅に出たいな、何もなかったというような一日の旅がしたい、何か口実でもあればいいんだけどな。
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何度か見る夢/教師どもの顔面を踏み蹴り、その後は警棒でメタクソに打ち伏せねばならない
度か見る夢/出身の中学校が、再演出した「卒業式」をもう一度やるので、みんな参加しろとのこと、僕もしぶしぶ参加する、今度は何か全員にトロフィーを渡すとかなんとか。
しかしそうなると僕は、オープンカーに乗って逃げ回る教師どもの、その車のボンネットに降り立ち、その顔面を蹴り(踏み)まくってやらなくてはならない……なるべく顔面が破壊されるように。
画面を何度も蹴り、踏みつけ、その後はその顔面を、鋼鉄の特殊警棒でメタクソに打ち伏せてやらねばならないのだ、別に殺すつもりはないが、もう生きてても死んでても同じだという感じになる、それを見て級友たちが「相変わらずだな」と安心したように遠巻きに笑っている。
僕には何の憎悪もなく、暴力の感情もないのだ、ただ「クソが」と面倒くさがる感情はあるけれども、なぜか僕はこのことを<<しなければならない>>ので、怠りなくしている、だから級友たちも遠巻きに安心して眺めている、教師どもも悲鳴を上げたりするわけではない。

目が覚めたときに「ああ」という確信があって/「ああ、こんな夢があること自体が、僕は決定的に他の人とは異なるのだ」。
どうして「他の人とは異なる」のかは、あまり自分から話したくなるようなことではないし、確信はあるが朧だ、どうせ自分で知っていることなのだろうが、いちいち確かめたりはしないでゆきたい。
中学のとき、美術のS先生が担任になったときだけは、面白かった、ある意味大胆なことだったろう、S先生は初めから「おれからお前に教えられるようなことは何もない」と断言し、三者面談でさえそう話した、「こいつにはもうこいつの哲学があるんや」とS先生は言った。
確かにS先生は何の無理もしていなかったな……夢の中には出てこなかったが、S先生の顔面を破壊する必要はさすがにないのだろう、いやどーだかわかんねえが、何度かこの夢を見るのだった、起きたとき「はーしんど」とため息が出る。

なぜ、じゃれあって柔道ごっこをしていただけなのに、Iくんの大腿骨は、爆発音を立てて折れたのだろう。

大腿骨が折れるとき、「ポーン!!」とものすごい爆発音がするのだと、僕は目の前で見たのでこれまで確信してきたが、本当にそういうものなのか、今さらになって怪しくなってきた/だいいち、ちょっと足を引っかけてじゃれあっただけで、大腿骨がヘシ折れたりするものかね、今考えるとどうも物理的に不可能な気がしてならない、塩田剛三じゃねえんだからよ。
今になって考えると、小〜中学生にかけての時点で、すでに「?」ということが無数にあるのじゃないか、これはサンプルとして一度すべて棚卸しして記録しておいたほうがいいのかもしれない(とは思うが、とってもめんどくさ〜い)。
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世界とあなたと「命がけ」の仕組み
がけでやらんと何にもならんのだが、命がけというのは武士道的なものではなく、したがって「決死」「特攻」「死ぬことと見つけたり」というたぐいのものは必要ない(武士そのものは別、ありゃ殺し合いを引き受ける人なんだから)。
命がけというのは、単に「むつかしい」のだ、何がむつかしいかというと、「生きているうちに、『何をする人』になる?」という問いかけ、それに答えることがむつかしいということだ、これは根性で通じるたぐいではないから手ごわいのだった。
で、これは何というか、自分の願望とか思念とかではないのだ、<<万人に向けて>>というところがミソになる、万人から見て「この人は○○をする人」と見えないといけない、それは形とかポーズとかではなく、たとえばライオンが「ライオンだな」と見えるようなことだ。
たとえば、「わたしは愛に生きる人になります……!!」みたいなことを言ったところで、本人は熱烈にその気分でも、周囲の人からは説明されないとそうは見えない、<<万人にそうと見える>>ということが大事なのだ、かといって牧師やシスターになってもしょうがないのだが、とにかくそれは「自負」ではないのだ、「命がけ」を「自負」にすりかえると大きな負け戦が容易されているだろう。

逆に言うと、「変質者」のほうがわかりやすい、公衆でバッとチンコをさらけ出したら万人から見て「変質者」だ、同様に「犯罪者」もわかりやすいのだがこちらは物騒なので取り扱いはやめよう。
「わたしは○○をする人」と、いくら自負していても無駄なのだ、その○○は決して実効をなさないだろう、周囲がその実効を為していないものに空気を読んで付き合わざるをえなくなるので、近所迷惑になってしまう。
つまり「命がけ」というのは、マザコンというか、ママに支配されている子供ちゃんには不可能ということなのだが、まあそんな悲しいことを言っていてもしょうがないな、とにかく自負とは違うということ、そしてそれは願望でもないし志望でもない、ただの実態だ、万人から見てそう見えるという実態を採るしかないのだ。
むしろ「自負」が消える必要がある、何しろライオンはライオンの自負があるわけではないからだ/「命がけ」というのは自分の命を損耗させるということではなくて、<<万人に向き合う命をそこで名乗る>>ということだ、命を損耗させるのではなくむしろそこに命を誕生させるということだ、「××さんは○○をやっている」ではなく、「○○をやっているのが××さん」になる←読み飛ばさんとちゃんと考えい。

われわれは歌っていない桑田佳祐を知らない。

木村ヒマ三郎さんが「歌をやっているんですって」というのと、「桑田佳祐」は事象が違うだろう、単に有名ということじゃなくて、命がけだということ、「歌手」ということが桑田佳祐という名前に命を吹き込んでいる。
木村ヒマ三郎さんがボウリングをやっていると、「ボウリングをやっているな」と見える、桑田佳祐がボウリングをやっていると、「ボウリングをして遊んでいる」と見える、これは別に有名と無名は関係なくて、木村ヒマ三郎がボウリングをしている光景は、残念ながら「何をしているのか究極わからん」という光景に見えるのだ、それは木村ヒマ三郎が動物的生命の他には「命」を帯びていないからだ/木村ヒマ三郎は自他ともに「何をしているのかけっきょく永遠にわからん!!」という状態になる、この状態になるのがイヤなら、<<期間限定でもいいから万人に向けて「○○をする人」になることだ>>、「個人的」「内輪的」では命は与えられなくて、万人に向き合ったとき初めて命が与えられる
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若さでは足りない

前、「若さ」はイコール「光」だということを書いた(よね? もう覚えてらねんえよ)。
しかし今日また気づいたが、確かに「若さ」は「光」だが、「若い」ということだけでは足りない。
もう一ランク先に、「少年」というのがあるな……そして少年というのは、何だこれ、「風」なのか、「匂い」なのか? 鼻先に直接「精霊」が入ったりしていない?
なぜ少年にとっては、気温がイコール「匂い」なのだ? そして少年は何も知らないが、何を知る必要もない存在だ、あああああ、そして最もうつくしい女性の寵愛を一身に受ける権利を有している。

「若い」は確かにイコール「光」で、そんなもの電灯を見りゃわかるだろということなのだが、若さは確かにカッコイイ。
が、なんというか、「少年」のほうが永遠度はさらに上だな! なんだこの話は、さすがに意味わかんねえよ。
少年の嗅覚は怖ええぞ、春夏秋冬以外の季節を、毎日自分で嗅ぎ取っていやがる/少年は明らかにマンガなんか必要としていないな、少年がよく迷子になるのはまだ既知の世界を持っていないからだ。
若さはイコール光で、少年はイコール匂い? そういうことってどこかに書いてある? もうこれ以上ウィリアムブレイクとかウパニシャッドとかヤベー奴の本を読むのイヤだよー(泣)。

「ジャックと豆の木」「ガソリンスタンド」「アラジンと魔法のランプ」「裸の女の人」「夕焼け(紫彩)」「雲の形」(意味不明)

少年は交遊を必要としていない、むしろ大人のオンナを連れているほうがいいな、でしゃばりでないオンナなら、という条件がつくが。
少年の目から、大人は「何もわかっていない」のだ、「何もわかっていないから、誰にもわからないことを口々に言い合っている」、少年は年長者を憐れんでいるのだ、何しろ少年は匂いで未分化の季節を直接嗅ぎ取っているからな、「ボク何年生?」とにこやかに訊く老人に、「自分の迷いを人になすりつけてごまかしたふりをするな」と少年は言っている、億劫なのでいちいちその言葉を発さないだけだ。

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一分間に4〜6回しか呼吸しとらん
ういえば「ためしてガッテン」でやっていたから、つい自分でも計ってしまったが、僕は一分間で4〜6回しか呼吸していないな。
ふつうは一分間に15〜20回ぐらいらしい。
僕はタバコを吸いながら4〜6回で、リラックス体勢だったらもっと下がるだろうし、たぶん文章を書いているときはさらに呼吸数が下がっている。
僕は文章を書きながらハアハア汗を流すことがあるが、それはスポーティな呼吸でハアハア言っているのではない、呼吸が止まるからハアハアするのだ、まあそんなこと別に誰もキョーミないがね(おれもない)。

僕は「呼吸法」うんたらのことをやった試しはない。
呼吸数を落とそうとしているのではなくて、これが僕にとってのフツーだ。
しかし、以前、管楽器をやっている人から、「あなたの呼吸数ってどうなってるの、何かおかしくない!?」と驚かれたことがあったな、あれはどうやらマジだったのか、僕は他人の呼吸数になんか注目したことがなかったのでな。
僕の呼吸法のコツをいうと、まーた例によって胴体の最下部(ボトム)で呼吸しているので、どうせこれを普通の人がやるとまたクンダリーニ症候群になるんだろ、だいたいパターンが読めてきたので調べる気もしないが、そういうことを習いたいなら教えてくれる教室に素直に行った方がいい、たぶんこれからはそういうのが当たり前になる時代だ(もうそういう時代になっているのか? 知らない)。

ためしてガッテンは、山瀬まみちゃんがいたほうが好きだった。

志の輔さんとまみちゃんの、息の合った掛け合いが好きだったのに……もう志の輔さんがまみちゃんを弟子にとって落語家に育てるしかないな!
たまにはこういう、極限に落差のある話をブッこんでみるのだった、ただ呼吸数の話はマジだし、まみちゃんがいたほうが好きだったのになあというのもマジだ。
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LGBTについてはまったくわからん

の回りに、実物がいたことがないので、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)というのは実感としてまったくわからない。
歌舞伎町に行ったとき、キックボードのおねえさん(オカマ)がシャーと滑ってきて、「寄ってかな〜い」と声をかけてくることがあって、その絶妙な登場のしかたに大爆笑したことがむかしあったのだが、たぶんこんなオモシロなものは、昨今言われているLGBTとはあまり関係がないのだろう(そうでもないの? 本当にまったく知らんのでよくわからん)。
昔、「保毛尾田保毛男」というホモアピールのコントキャラクターがあって、現代ではこれがLGBT差別だということで大バッシングされているらしいのだが、しかしあんなオモシロキャラを見せられたら笑わないわけにはいかないし、一方で「バカ殿」だって若い娘にひたすら鼻の下を伸ばしているのを見て笑ってしまうので、それを笑ってしまうかどうかというのは性愛が同性か異性かにあまり関係がないのではないかと思う。
LGBTというのは、感覚的に「まったくわからん」というのが正直なところだが、それについてどう思うかというと、正直「どうとも思わない」ので、もしそれに向けて差別の卑しい眼差しを向けている人があるのだとしたら、それは「どんだけヒマやねん」としか思えない、僕は女の尻を追いかけ回すのに忙しく、ヨソの男が「実は男の尻を追いかけています」というようなことに、いちいち関心やコメントを向けていられない、仮にその男が回転中の扇風機とセックスしていたとしても、そんなことには僕は何の意識も感想も持てない。

僕は、たとえば四十歳の男が十五歳の女の子に恋をしているのを見たとしたら、様相にもよるが、それについては「きもちわる」と思う。
だから、四十歳の男が十五歳の男の子に恋をしていたとしても、それを「きもちわる」と思うだろう/僕が「きもちわる」と思うのは、性愛の形式ではなくその当人の陶酔気質とナイーブさについてだ。
僕が、X歳の女性に恋をしたとしたら、僕は無条件でそのことじたいを「きもちわる」と自分で思う、そりゃ当たり前だ、チンコの生えた者がオメェ、「恋」(草不可避)なんかしたら、自分は気分がよくて絶頂モノなのかもしれないが、はたから見りゃキモチワルイんだよ、同性愛も異性愛も関係あるか/「恋」なんて、ぶっちぎりの美的な奴にしか似合わんもので、われわれが入れあげてよいのは恋ではなく「トンコツラーメン」あたりだ、トンコツラーメンでミソ味がマイノリティだと差別されても誰も社会問題には扱わないだろう。
もし繊細なホモの少年が僕の前に現れたら、ズッタズタにされるだろうが、その点は心配いらない、繊細な異性愛の少年が目の前に現れたって、ズッタズタにされるのは同じだからだ、繊細・陶酔してナイーブになっている奴が周囲に庇護してもらおうという主張に転じるのは愛ではなく魂においてキモチワルイのだ/もしおれが「ボクの恋……」とか言い出したら死ぬほどキモチワルイだろ? お互いにそんなしょーもないものはズッタズタにしていこうじゃないか、魂はどうよ、魂がヨレヨレじゃ異性愛でも同性愛でも救われないのは大前提だ。

同性でも異性でも、「恋」なんてキモチワルイもので、唯一例外は、「かっこいい」にまで至った奴だけだ。

僕の敬愛するシンガー、ロブ・ハルフォードや、同じく敬愛する偉大な指揮者、故バーンスタインなどは、どちらともゲイの人らしい、僕にとってはゲイというのはよくわからんが、とにかくかっこいい人たちなので、何も気持ち悪くない、実際ロブ・ハルフォードがゲイをカミングアウトしたとき、たしかファンのあいだでは何のリアクションもなかったはずだ/なんつーか、今「彼はゲイだ」と言われても、「あ、そういえばそうだったな」としか思わん。
というわけで、もし僕自身、陶酔気質のナイーブ異性愛くんになったとしたら、あらゆる形態や事情を無視して「キモチワルイ」と、石を投げつけて差別してよろしい、ただしかっこよかったらキスを投げつけて祝福するように、そりゃ両方なかったらバランスが崩壊しているだろ/さあお互いに、悪あがきはよそうな、かっこよくなれないと石を投げつけられるのが本分だ、石を投げつける軍勢は「ヒマ人」につきるのだが、世にヒマ人の尽きたためしはないんだ。

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天地と人についての与太話2
の世界は、天地がメインコンテンツで、人間はオマケだ(とほほ……)。
そして天地のあいだでやりとりされているものには、「エネルギー」と「重さ」がある。相対性理論によってエネルギーと重さは同一のモンだが、この場合「重さ」というのは「ヒッグス粒子のせいで光ではなくなったやつ」ということでもある、「重さ」とは「動きにくさに縛られているやつ」だな。
われわれは体感のせいで、地面が地で、空が天、地面が「下」で空が「上」だと思い込みがちだが、そりゃ地球という天体にいるからそう引き当てられるだけで、本当にあるのは「重さ」と「重力」だ、天地に重力上下があるのではなく、重力の方向を上下と定義してそれを地球上で「天地」と呼んだだけだ/まあそんなこと詳しく見抜かなくても別にいいけど……
われわれが永遠の国に行けないというのは、いうなればわれわれがエネルギーを極めても光速度を突破できないということだな、どれだけ光速度に近づいても、そこからエネルギーは「重さ」に転換されていってしまう、このへんはただの物理なのでブルーバックスでも読めば書いてあることだ(ただし改めてびっくりするような物理ではある)。

ともかく、ここで話したいのは、われわれがそれぞれ、「エネルギー」に与するか、「重さ」に与するかという話/エネルギー党と重さ党のどちらにあなたは入党するかという話だ。
いやあ、率直なところ、ある体験に基づいて、僕はエネルギー党への入党をオススメしたいわけだ、われわれには自分の「魂」について選択できる方向性が二つある。
1.地と親しみ、「エネルギー」を得て、上に向かう、というのがエネルギー党だし、2.天と親しみ、「重さ」を得て、下に向かう、というのが重さ党だ/これ、たぶんおっかない話、「天を拝みたおして地の底に落下していく」という現象が有為にありうるということだよ、理路からいってそれが正規の道筋だとまで断定するしかないのが正直なところだ。
いわば「バベルの塔」などが、その落下の話だろうな、天にすり寄ることで結果的にドエライことになったというストーリーだ、何はともあれ、僕は与太話としてエネルギー党をオススメしたいのだ、だって「重さ党」とか名前だけでもしんどそうでヤバそうじゃない。

つまり、人に罪の「重さ」ばかり見て、それを指摘ばかりしている人は……

芥川龍之介が、子供向けに「蜘蛛の糸」という話を書いた、お釈迦様が地獄に向けて救済の糸を垂らすという話だが、この話を書いた芥川龍之介本人は「漠然とした不安」という不明の理由で自死している/芥川龍之介は、どう見てもきっとエネルギー党の人ではない。
地と親しみ、さらに言えば、地中や地の底と親しみ、エネルギーを得て、上に向かう、僕が体験したのはとにかく、人のエネルギーは自家製ではまったくないということ、それに気づいて使っていこうぜ(感覚技術的にふつうムリっす)ということだった/しかし理屈から明らかに、地の底から膨大な「自家製でないエネルギー」を引き受けられる奴がいる以上、逆に、天上から膨大な「自家製でない重さ」を引き受けてしまう奴もいるということだ、そうなるとおっかないので、うーん僕はエネルギー党がいいな。
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天地と人についての与太話

まりへんちくりんな話をしたくはないのだが、もろに体験したことを隠すわけにもいかないので、「与太話」というジャンルに放り込んでレポートしておく、全力で聞き流すように、<<人間はあまり重要じゃない>>。
ナンノコッチャという話だが、まず聖書世界で言われている人間の捉え方を見てみよう、最初にカミサマがあって、カミサマが土くれから男を作って、男の肋骨から女を作ったが、その女が蛇(悪魔)にそそのかされて禁断の知恵のリンゴを食べたものだから、「お前ら揃ってアホか」ということで、人間は永遠の国から追放されたのだった。
で、これ、われわれが人間だから、「こうして人間は創られたのだ!!」ということで、ここを超重要命題に捉えてしまうのだけれど、僕のとある体験に基づくと、ここを重視しているのが誤解なのだ、確かに人間はカミサマによって創られているだろうが、人間はカミサマにとって<<メインコンテンツではまったくない>>。
カミサマにとってはおそらく、サタンとか堕天した天使とか、それらとどう戦争になるか、あるいは神の国に還ってくるのか……ということが重要なのであって、人間は残念ながらオマケだ、われわれが人間を主題にカミサマを捉えようとすること自体が土台として見当外れなのだった(与太話だ聞き流せ)。

こういう例え話にしてみるとわかりやすい、たとえば米ソが冷戦に陥っていた時代、その両国のあいだに日本や朝鮮半島があったのだが、それはたまたま間に挟まっていただけで、本当にやりあっているのはアメリカとソ連だ、日本も朝鮮半島もメインコンテンツではまったくない。
それと同じように、もともと「天地」があって、そのあいだに人があるのだが、人はたまたま間に挟まっていただけで、人は何もメインコンテンツではないのだ/冷戦においては「米ソ」がメインコンテンツであるように、この世界においては「天地」がメインコンテンツだ、それを人が「挟まっている奴」の分際であれこれ主人公めいて口出しをしようとするからおかしくなる。
与太話だから聞き流すように、天から地へは、重力、「重さ」が降り注いでいる、地から天へは、「エネルギー」が湧き上がっている、われわれの身に起こるさまざまな感情などは、すべてこの「地から天へ向かってぐいぐい出ているエネルギー」が流れ込んでいることの結果にすぎず、実は自家生産ではないのだ/自分の胴体が頭上まで貫通していればエネルギーは天へ昇華してくれるのだが、胴体のどこかが詰まっていると、詰まっている箇所でクラッシュする、そしてそのクラッシュ部位の性質に合わせた感情や六処の激化が起こるというわけだ。
よって、一般に言われる「その膨大なエネルギー、独特なエネルギーは、どこから出ているんですか」という問いがあるが、これは「エネルギーはおれから出てるんじゃねえよw」というのが正答になる、地から天へ鉛直真上に出ているエネルギーが胴体に流れ込んでいるだけだ、だから人は胴体を直立させたままでは眠れないのだ(即身仏を除く)。

すべての地から、すべての天へ、エネルギーが向かっている、そこで人間はオマケというか、「別に重要じゃないので好きにしたら」の扱い。

人間以外の動物は、肛門から脳天までがタテ並びじゃないので、首を立てたまま眠れるが、人間はだめだ、胴体の鉛直真上に頭があるとエネルギーが流入して眠れない/逆に「覚醒」にはもってこいなので、ヨーガや禅などでは「胴体の最下部を地面につけ、脳天までピシッとまっすぐにしてみようか」という方法が採られる(もちろんわれわれシロウトがやっても精神病になるだけなのでマネしないように)。
「エネルギー」に与する者は、精神が鉛直真上に向かっており、「重さ」に与する者(いのちの「重さ」とか罪の「重さ」とか)は、精神が鉛直真下に向かっている、樹木だって根を張らないと幹が育たないわけだが、それでも樹木はやはり「上へ上へ」と向かっているので、その樹木には上向きの「魂」があるのだと言われてよい。

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おう、おう、とハッピーにふらふら〜
は基本的に人が好きだ。
好きだ、とは別に思っていないのだが、実際に人と接しているときの心境や態度を見ていると、好きなんだろうなと理解できる。
別にアホなやつでも、あんまり美人じゃなくても、実はあまり気にしておらず、なんというか、第一にふつうのワンちゃんを「おう、おう」と感じるように好きらしい(正直あまり考えてないな、実際の場面を思い出すと)。
まあ、人に対してだけではなく、食いものを置かれてもおもちゃを置かれても、何を置かれてもけっきょくそれに「おう、おう」と食いついてポカーンと自我を忘れるので、好きというのか何というのか、本当に何も考えていないらしい、自分でいつもそうしていることを思い出してみたのだが、思い出してみたらわれながら「これはひどい」と思った(他人事のように「なんやこいつ……」と思った)。

人が好きというより、とにかく現場が好きなだけかもしれず、それも「好き」というのもなあ、本当に何も考えていないからそのときのコイツは。
ただ、ワンちゃんでもそうだが、「おうおう」と構ってみたとして、何か「……」とワケありというか、何か事情があり、何か不穏なことがありますよという気配なら、「はいはい」とこちらが引き取って、「まあ知らんしわからん」と、別のほうへふらふら行くみたいだ(やべえな、ホントにコイツ何も考えてないわ、こんなのでよく無事に生きてこられたな)。
つまり僕は、何か本心でもない「約束事」とか、そういうことを強いられないかぎり、すべての局面で同一にハッピーらしい、ハッピー事にはふらふらと近寄り、不穏事を見るとふらふらと去っていくらしい、去っていくというか、別の方角にあるハッピーに向けてふらふらと行ってしまう様子、とにかくこいつは「感動していないときがない」らしい(なんだコイツ胴体にマジで何か流れてるな)。
自分で言うのもアホみたいだが、たしかにコイツは、点検してみると、ふらふら〜と挙動するその挙動の決定が、意思決定じゃないので時間軸上「あれ?」というぐらい早い、動きを決めるのに予備動作がないというか、どれだけ記憶を点検してみても、行動や発言は「明晰」なのに、そう行動してそう発言しようと「企図」した時間が検出されない、なんなんだコイツは、みんなよくこんなヤツを平気で認めてあげているな、みんなえらいやさしいんじゃないの。

みんなの期待の目が突き刺さっている。

記憶を点検すると、ほとんどそのこと「だけ」が光景に残っている、大変恥ずかしい話だが点検した結果をレポートすると、僕はその向けられた期待の目に「愛」で応えているらしい、「愛」で挙動が決定している様子だ、何か水色の気配の(半分液体で、半分気体ののような)モンが胴体の中を駆け巡っているが、これがどうも「愛」くさく、そして誰かに愛を向けるというよりは、その水色の流れているモンが爽快で「んんんん」なので、ただそれだけのために、その流れているものがよどまないようにだけ挙動しているらしい。
つまり、この「愛」は、何ら努力でもないし、特に「人のため」とか「誰かのため」というのでもないな、肉は紅色をしているのだがその中に水色のモンが流れている、爽快、爽快ってなもんで、現場に行くといつもこれなのね、ちなみに僕は「圧倒されちゃって」と言われるのだけが好きなのでスピリチュアルな人ではまったくない、ああ世界の中にいるのだなーということが自己観察からわかって、文章を書くのにさらなる足しになったのであった(意味不明だが許せよ、これで合っているので)。
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用事は増やせば軽くなる

眠時間が取れていないぜ、もうパーティ当日だけど、気になる人来てくれよな! ナイスな人と、ナイスというほどではないけど、という人をお待ちしています、ビョーキの人はもちろんダメだぜ。
改めて思ったのだが、文章書くときにリアルにハァハァ息が切れたことある? ふつうないよなあ、おれだってこんなのは間違っていると思うぜ、フツーもっと文学って重厚な感じで取り組むだろ……
だいいち、インターネット的な環境が、この現代ではエグいわな、こんな書き物をやりだしたら、ホレ書け、今日書け、明日も書け、ってな感じになるものな、人間ってそんな常時「発信」しとるもんかね/お前ら通勤通学とかランチタイムとかに読んでるんだろ、そのときに更新されていないとカワイソーってつい思ってしまうから、とにかくなんぞ更新してやらんとと思い、今このザマだ、どうだ意外と人情があるだろ。
とはいえ、急に冷静になってアレだが、なんだかんだ、コンテンツに値打ちがなければ読んでもらえないので、おれが楽しくてもしょうがないんだよな、読む側が楽しくないといけない、といってもたまにはこうしておれのほうが楽しくてもいいだろ、おれは早く昨夜の残りの麻婆豆腐を今日の朝メシに食いたいのだ。

何か、こう……そうだな、とにかく楽しいのがいい、たとえばパーティのことだが、いつも参加者のHNをずらっと書いているけれど、これがズバーッと、一頁を埋め尽くすぐらいまで並ばないかな〜などと考える、そういうことは夢があっていい。
何もぜいたくはいわない、現在の十倍ぐらいの規模で遊べたらなあと、いつも思っている、たかが百人ぐらいじゃねーか、夏フェスに行くよりこっちのほうが楽しいぞ〜(てきとう)。
まあこのブログは、内容がいつもアレであるため、パーティどころか、ブログの存在自体あまり友人に紹介してもらえないものな、お前らはみんな「こっそり」読んでやがるだろう、うーんどう考えてもそれが正しい態度だとおれも思うよ、こんなもんおれだって友人に紹介しないもんな(でも自分はこっそり読んじゃうだろうな)。
さて、説得力ゼロの勧誘をしたところで、パーティはマジでやるので(当たり前だ)、気になる人は来てね、というかおれとデートするのを断らない奴は全員来いよ、もともとそういう趣旨で始まっているモンなんだし。

パーティで出会って、デートとか、くぅ〜、いいねえ!!

まあ実際にはそういう展開にはならんというか、実際ならんのだけど、夢であり憧れだ、実際にはそうならんでも「くぅ〜、いいねえ」ということは保たれないといけない、そういうキホンが共有されない世の中は不健康じゃないか、ブラック企業になんかリアリティほしくねえよ。
今回参加する、と考えるとぜったいに腰が引けるので、今回と次回と、そのまた次回と、ひとまず三回ぐらい参加する、と考えればよろしい、不思議とそのほうが腰は軽くなるものだ、それだけじゃない、パーティに参加したぶん、その他の用事もイベントも「増やせば」いい、減らして調整しようとしたらダメだよ、気が滅入って動けなくなるから/用事というのは増やしたほうが軽くなるものです、と、けっきょくマジメな話をしてしまった(麻婆豆腐食ってきます、お前は早く参加エントリーしろ)。

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三月のパーティはワンサカ
回のパーティは、人がワンサカ来るらしい、というか毎回ワンサカ来いよな(泣)、何はともあれにぎやかにやれそうなのでよいことだ。
春だし、来月からは新生活の人も多いしということで、ぜひこの機会に、これまで二の足を踏んでいた方も参加してくれたらうれしいなーと思っているので、ご参加お待ちしております。
空気に馴染むか馴染まないか、来てみなきゃわからんし、足しになるかならんかも、来てみなきゃわからん、いまいち居心地が悪けりゃ途中でしれっと離脱してしまえばいいんだからヘーキヘーキ、ということで、これからもパーティの拡大を志しております。
せっかくやるからには、盛り上がった方がいいもんな、そしてお前らは考え方を変えるのだ、自分の足しになると考えずにパーティの足しになるという方向で考えるのだ、お前みたいなモンがトクをしてどうなるってんだべらぼうめ、ご参加お待ちしております。

当方のパーティは現在のところ、露骨なスケベ心を禁止にしております、まあ最近世の中がそういうムードじゃないし、慣れてないモンがスケベ心なんか出してもトラブルにしかなんねえんだよ、みなさまご存じのとおり、そういうチャレンジングな時代はムード的に去ったのであります。
で、当方のパーティ、自己管理できないご病気の方はダメで、もちろん迷惑行為に及ぶ方もダメです、だいいちそんな大騒ぎする集まりでもないし、まあなんというか「若さがあり、生きることを豊かにしようとし、現在と未来を面白がっている健全なヤツ」が参加資格です、もちろん宗教とかスピリチュアルとか、その他勧誘的なものは一切ナシです、そんなヤツは全員叩き出します(これまでそんなヤツはいなかったが)。
なんというか……よほどムリをしていないかぎり、ふつう人付き合いの土台は「控えめ」からスタートするのが基本であって、かといって陰キャになったら話は別というかそれはただの陰キャだろ、ということで、よって現在のノリというかムードは、「これまで半分方リア充もやってみたけれど、コレジャナイ感があって、ずっと何かホンマモンを探していた」という人が多い、この「半分型リア充・離脱組」が当方のパーティの特色だろうか(そりゃそうだろうよ)。
メンバーには、東大卒とかお医者様とか、ダンスの先生とか公務員とか、現役女子大生やら劇団員やら、なんやかんやいます、まあ何一つおれは興味ないけど(えっ)、とにかく全員、「ごまかしながら生きるのはマズい」と感じていて、でも「毎日ごまかしながら生きているよなあへへへ」と苦笑いしているところです、「わかるわ」という方は早くいらっしゃいませ。

断じて、激論とか、熱く語り合うとか、そういうしゃべり場的なことはナイです(この誤解が多いらしいな!)。

こんなもん、想像すりゃわかるだろ、おれ一人がうっひょーと遊びまくって、周りの木偶(デク)がそれを見て「いやあ楽しいなあ」とニヤニヤしているだけだ、そして「お前何楽しんどんねん」「えっ(まずい)、あっハイボール頼みますか」と回避展開する、そういう極端に責任の偏差したパーティだ! これでも一時期よりはマシになったんだけどね(一時期は完全におれ一人が朝までライブパフォーマンス状態だった、あれは死ぬ)。
ためになる話をしてほしけりゃするし、ワークショップ的なトークとパフォーマンスをしてほしけりゃするわいな、実はそんなことを飛び越えて、どこかでお見せ(アンドお伝え)しなくてはならない独自の実体があるので、こんな企画をえんえんやっているわけです、だれか釣られて遊びにおいでね。
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