☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
人間関係をお前がなんとかできるなんて思うな
ず僕のことなんか否定しろ。
見てのとおり、僕なんかわけのわからん奴なのだから。
そしてあなたもわけのわからん奴でいい、もともとわけのわかるものだと思っているのが思い違いだ。
わけのわからん同士のままでいられたら、別に笑顔でいたっていいよ。

わけなんかわかってたまるか。
だから、わけのわからん人、みたいなアピールもしなくていい。
もともと、人間なんて、互いにわけがわからんのだ、そこを曲げるからインチキになる。
わけがわからないのに、何か惹かれるものがあって、それはなぜか「確か」なのだ、そのときはじめてかけがえのない感触が得られる。

わけがわからないで、お互いクタクタになって、でもなぜかしゃべってやめられず、なぜか大好きということがある。

「わかりあう」とか、そういう安易なことじゃない、かといって、要らんアピールも要らない、すべてそのへんはあさましい誤解だ。
人間関係をお前がなんとかできるなんて思うな、僕だって僕のことを好いてくれる人が何が好きなのかさっぱりわからないままだ。
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わしづかみ轟々

しづかみ!!(何をわしづかみするかは不明)
わしづかみされたい人はそこに一列に並ぶように。
あーもっとみんなマジメに生きるように、チャクラを開かんとね、チャクラを……
自分が人からどう見られているかを考えたことは一度ポッキリもない。

仕事がダルくてセックスが気持ちイイというのはウソだ。
仕事もつまらんしセックスもつまらんのだ、どちらもイヤーンバカクサイーと感じているはずだ。
ところがどっこい、おれがやれば違う、何もかもそりゃサイコーよ。
ヨダレが出ている? そりゃあセックスでもメシでも仕事でもヨダレぐらい出る、オマエもわしづかみされたら出る、いろんなヨダレがな……

百万の銅鑼が打たれて静寂。

そりゃヨダレも出るしわしづかみも発生するし仕事もはかどるわな、視力を失えば万物がよく見える。
慾望の餌食になれお姫様、サラリーをもらったからってサラリーマンになるとは限らない。

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やさしきそうさく(はぁと

んなエロ小説でも書けばいいじゃ〜ん(書きたいでしょぉおお!?)。
純文学なんか書いちゃダメよ、ダメダメ。
でもエロ小説だからって、人を傷つけるようなのは書いちゃダメ(はぁと。
特に自分自身を傷つけるような書き方をしちゃダメよ、おにーさんとの約束だ。

ホントは原作の尊厳があるから、二次創作とかで冒涜しちゃダメなのよ〜ん。
でもね、どーしても書きたいっつーか、何かこうめちゃくちゃしたいってときは、まあしょうがないじゃない? オッケー☆
ただしいそうさく、それわ、じゅーだいでもなんでもない、でもチョーやりたいことを、まっしろなキャンパスにまっしろにかきこむことなのであった……
どんなバカみたいなことだって、紙の上は紙の上なんだから、ワタシってこんなにバカダゾ☆ってところを、こっそりぶちまけてみればいいんだ!

ゆかいに書いたものなら、駄作なんて存在しないの(はぁと。

だからせっかくなら、ほんとーにユカイに、きもちよーくなりましょうよ〜人生楽しまなきゃ損よ。
サイコーなモノって、高級なモノとはまったく限らないの☆そのことだけは万人にビョードーなのよ、だからおにいさんとあそぼうね〜(犯罪臭

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この日この世界で最もシリアスなこと
日なんかは特に、お酒を飲んで酔っ払って遊んでいたいんですけど!!
まあ色々と野暮用があり、やらなきゃならんことがあり、そんなことをわずかも崇高に思わないので、ぐぬあああと呻いているのだった。
先日も、クラブイベントに行きたいところをガマンして、無理やりテンションを下げたのに……ああいつまでこんな地味なことをしなくてはならないのか。
僕のように、何もないのに浮かれている奴がビョーキなのか、それとも、何もないのに落ち込んでいる奴がビョーキなのか、議論が必要なところだが、議論は面倒くさいので、オレが正しいということにしておこう、議論は後付けでうまいことよろしく。

東京の夜にはたまらないものがあるだろう。
もちろん神戸の夜にもある、バラナシの夜にもある、あと他の誰も知るまいが、コンスタンチノープルの夜にもたまらないものがあるのだ。
たまらないものがある/ないという点において、ないという奴は問答無用で雑巾がけの刑である、どこかを必死でザブザブやれ。
きれいな女の人ならだれでもいいので、それも二の腕ぐらいでガマンするので、猛烈にセクハラさせてくれないかな……たまらないものがあるのだ、きれいなら誰でもいいし二の腕だけでいいというあたり僕はまったく誠実で控えめで、貞淑なので、きっと人格が成熟しきっているのであろう。

大丈夫、セクハラしかしない。

たまらないものがあるというのに、セクハラしかしないということを誓おう、と、このあたりでそろそろ冗談もほどほどにしないと本当に怒られることがあるので引き下がるのだった、僕は根性のパラメーターが0しかない。
この日この世界で最もシリアスなことは、僕が飲みたいのに飲めないということだと思うが、新聞はそう報道してくれないかな(何の足しにもならない話ですみませんでした)。
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誰しも共感のせいで動けない

クティブの生きるのが正しいとか、楽しいとか、うつくしいとか、そんなことはまるで思わない。
一方でもちろん、退嬰的に生きることに滋味があるともまったく思わない。
どちらも正しいとはまるで思わないが、いつも同じ考え方をしている、「どちらも正しくないならどっちを選ぶ」と。
よもやこの僕が、「正しいこと」なんて選ぶわけがそもそもないのだ、僕は好き勝手に好きなほうを選ぶ、僕が正論をゴミ箱にぶちこむことを誰かが制止できるわけではない。

僕が「おれは無限に遊んで生きるよ」と言うと、「それいいですね」と言われる、それに僕は「そうか? 知らんけど」と冷ややかに答えている、意地悪がしたいわけではない。
ただそれが「いい」とか「悪い」とか言い出すと、いかにも面倒くさいのであって、別にそれが「悪い」であろうが、僕はそちらを選択するのだ、別に似合っていない服を着たって何の咎もない。
むかし青森に旅行したとき、三日三晩、ビニール袋に突っ込んだ大量のホタテ刺身だけを手づかみで喰って過ごしたことがあるが、そんなことに意義があるとは思わないし、「正しい」とか「楽しい」とかも思わない。
じゃあ何を基準にして万事を選択しているのだ……ということになるが、基準は特になく、強いていうならきっと共感されないように選択している、共感されると時間の浪費が増えてしまうからだ。

退嬰の問題点は、共感にすし詰めにされてしまうことだ。

「やらなきゃって思うんだけど、できなくて」「それすごいわかる」というような類が、僕は生理的に不得手だ、本当に強い目眩を覚えるので致し方ない、よって僕は「わけのわからない」「頭のおかしい人」と思われて生きていくしかない、僕の側の目眩はなくなる。
共感にすし詰めにされたら、もう動けなくなるが、それはすし詰めだからであって、これは僕に限らず誰だってそうだろう、誰しも共感のせいで動けない。

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Don't think, don't feel, exist!
のワークショップ、「ちゃんでき教室」をしつこくやっている。
自分の身体を動かす→人の身体を動かすということが、「こんなに動くんかい」と体験され、ひとまず来てくれた人には驚嘆していただいている。
驚いてもらうことが、一番の退屈させない方法なので、武術風味のパフォーマンスもするが、刀相手に素手で勝つ(一発で)などということは、やられてみれば原理的には簡単だ。
もちろん本質的には、武術がどうこうというのではなく、こころがこころに届かないといけないという話で、それだってやられてみると原理的には簡単なのだった、これは何の説明にもなっていないが(当ワークショップは武術系のモンではございません)(強いて言うなら遊び系です)。

こういったものは、どうなのだろう、必要なものなのだから、もっと広くやっていくべきなのかもしれない。
が、困ったことに、僕自身にはそういったことの拡散に根本的に興味が無い。
どこまでいっても、「技術なんか要らんでしょ」というのが僕の本音だ、事実僕はどこにも何も習いに行っていない、これはもちろんそういったワークショップを冒涜する意味で言っているのではない。
「こころがこころに届く」という体験で、震えてくれる人がどんどん出るのはいいことなのだが、僕はそのことさえ「要らんでしょ」と感じている、何かもうひどい無茶苦茶だが、もともと僕は無茶苦茶なのでしょうがないのだ。

すべてを忘れるということが、すべてを肯定するということだ。

もちろん、ワークショップで教えるぶんには、合理的に教えている、みんなが辟易するほど合理の極みで教えているので、その点はご心配なく……
が、そうではなくて、僕は歌とか絵画とか世界とか、AさんとBさんとかが、分離しているのがイヤなのだ、何がイヤといって分離しているということは認識しているということで、認識しているということは覚えているということだからだ。
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二十四時間耐久ワークショップ(済)
ークショップ「ちゃんでき教室」が、土曜日の部、二十四時間ぶっとおしで続いた。
なぜ続いたかというと、みんな帰らないからだ、みんなが帰らないと僕も帰れなくなる……お前らどれだけヒマなんだと言いたくなるが、ヒマなのはすばらしいことだ(「仕事なんかしてる場合じゃないんですよ」と言った女性有)。
途中で食事も挟んだが、基本的に屋外で、二十四時間も過ごすとヘトヘトになる……と思いきや、逆に人間はどこかマトモになるように感じる、それはまあ当たり前のことかもしれない。
だからといって、何かがすばらしいということはまったくないが、元々僕は自分のすることのすべてを「すばらしくない」という一点で統一しているので、これはこんな感じでいいのだろう。

汗と青春と、スポーツと頑張りは、すばらしいものだ、だから僕はこれらの一切をやらない。
青春といって、スケベなほうの青春はきっちりいただいてしまうが、これはすばらしくないものなのでよいのだ、スポーツ的青春は全品輸出してどこかへ追いやってしまおう。
誰も話を聞いてくれないという状態がいい、誰も他人のことを知りたがらないという状態がいい、寂しさに食われた人間のあさましさを善行にすり替えるような阿呆をしてはならない。
ちゃんでき教室を二十四時間やりました、という、これはレポートであって、それで何があったかというと、別に何もないので、引き続き僕は「天才しか成長しません」という最低の言説を無責任に言い放っておきたく思う、根拠はもちろんない。

よく自分が天才でないなんて言えるな。

僕は完全に無能非才の人間だが、僕は僕の才に頼らず天の才に頼るからなんとかなると言い張っている、根拠はもちろんないが、強いてこじつけるなら二十四時間遊び続けることが根拠か。
こうして書き話しながら、よしやっぱりすばらしくないなあということを確認して、今日もごきげんでいる、誰もこんなふうになってはいけない、楽しいものは人に譲りたくないものだ。
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爽快
日は秋が来たのか、爽快だ。
それ以上に、この数ヵ月、新しい技術を身に着けようとして苦闘していた感触がある。
その苦闘も一段落したということか、特別な、それでいてよく馴染んで来たような爽快さがある。
爽快でない者が、爽快な者に勝てるわけがないので、そのあたりはどうしようもないなと独りでしみじみ思った。

新しいものというのは、異様さの中でしか手に入らない。
その真っ最中は、別に「異様」と感じているわけではないが……後になって考えればやはり異様だ、よくわからない夜が何夜も来る。
なぜ現段階の僕が"これ"(説明が面倒くさいのでしないが大したことではない)を身につけなくてはならなかったのか、よくわからないけれども、今になって「これが必要だったのね」という感触がする、理由は依然よくわからない。
部屋に香水を焚いて、交換するのが面倒なのでずっと同じレコードを聴いている、いつものこの感じだが、このいつもの感じが気がつけば久しぶりだと感じる。

手に入れるまで、休めるわけがない。

休むふりなんかしたって無駄だ、けっきょく休まらない、それならもう異様さの苦闘の中にいることに慣れてしまったほうが健康にもいい。
という暴論が、誰にでも成立するわけではないのだろうが、僕などは頑丈な人間なので、これでいいのだろうと思っている。
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Up up, up up up!
生時代の頃のことを話すけど、あのとき僕が所属していたのは合唱団だったのか。
いいや、あれを合唱団とは言えないし、ましてあれを部活動なんて言えない。
インドに旅行していたこともあったけれど、あれを旅行と呼んでいいものか、いいやそんなはずはない。
あれを友人と呼んでよいものか、あれを恋と呼んでよいものか、あれを神戸と呼んでよいものか? いやいや、そんなはずはない、あれらは何か、もっとしっちゃかめっちゃかだった!

あれからどれだけ経ったのか、今も東京にいて、やれ丸の内にいたり文京にいたり葛飾にいたり、今は目黒にいて、てんやわんや……
まったく何をやらせてもだめだ、何一つ「それ」と呼べるまともなものにしようとしない、必ず脱線、必ず歩調は説明不能。
垂水で食ったあのラーメンはうまかったな……そんなことはいいとして、つまり僕は先人の何一つをもサンプルにできない。
なぜなら先人たちはみなそれぞれ、誰だってちゃんとしているからだ! 何一つちゃんとしようとしない僕にはサンプルにできるものなど何一つないのであった。

暗くなるヤツは正しく、明るくなるヤツも正しい、僕だけずっと間違った奇人。

それでよろしい、というか、けっきょくそうしかできないんじゃないか、作為をすると痙攣するという致命的な性質があるもの。
何度も同じことを言ってきたように思うが、つまり僕は、女の子にキラわれ続けないと僕自身であれないということだ、そりゃどうりで昔のほうがアップアップ、僕らしさにあふれていたわけだよ!
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三周年
末にはまた定例のパーティをやります、そして忘れていたが、今回はQuali's パーティ(復活後)三周年だ!
ということは、今常連で来てくれている人たちは、今から三年前の夏に出会ったのだなあとしみじみ……
しみじみ、感慨にふけるかというと、そんなことはなくて、そんなことは正直どうでもよくて、まあ色んなことについて「それどころじゃねえんだよ」としか思わない。
何しろ遊ぶのに忙しいのだ、遊ぶといって、昨日はついに「太刀筋をバッと変えて小手を打つ」というアレができて、やり方がようやくわかったのだが、もうこんなことはいちいち説明していられない、とにかく言えることはおれの太刀筋はもうアレになったぜフヒヒということだけだった。

パーティのポスターも作らないといけない、今参加者の方から提案していただいているポスター案もあるのだが、これをどうするか、うーん、今回のおれのがショボイ出来だったらそちらを使わせてもらうことにしよう。
でもあんなインチキポスター一枚でも、何かしら「おっ」と人を面白がらせるのはけっこうむつかしいもので、いつだって頭のネジを外していなければ面白いものは何一つ出て来てくれない。
ところで明日はワークショップのはずだが、明日って雨? よくわからない、今年はなぜかオリンピックの映像さえ見ていない、なぜか知らないがオンエアを視聴するタイミングがまるでないのだ。
まあもし雨でも、人がわざわざ来ちゃったら、何かしらやってやるしかないのだが、そのときは何しようね、あれかな、太刀筋をバッと変えて小手を打ちたい? そんなことしたくないか。

なんだかんだ、三年間、マグレのように遊びまくった。

ね、振り返ってみれば、三年間でどんだけ遊んだんだよ、一応何もかもうまく行っているわけで、これはもうマグレの類じゃないか。
ここまでの三年間がそのようで、これからの三年間はどのようにすべきかというと、そんなことを訊かれたらまた「それどころじゃねえんだよ」としか答えられない。
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手放してスッキリするもの
「成長」といって、人は色んな知恵や技術や情報を身に付けていく。
そうして有利さを蓄積していくものだが、この有利さが生きていくことそのものをまったくつまらなくする。
知恵や技術や情報の「有利さ」は、まったく真実だが、この真実に逆行できる度量が必要だ。
いいじゃないか、別に不利でも……そうして手放してみると、一気に生きることは生彩を取り戻してくれる。

いつの間にか、自分は豊かに生きるものだと思い込んでいて、気がつけばいつも豊かさを探しまわっており、そのことがすでに豊かさを失わせている。
どういうことが豊かでありえて、どういうことが貧しくしかならないだろうと、予測を立て選択しようとしている。
だから「成長」というのも考え物なのだ、「成長」ほど手放してスッキリするものは他にないと、このごろつとに思い知らされる。
「成長」、似合わないね、本当に自信があるものなら、成長にしがみついたりせず自分の光輝だけを信じるだろう。

僕は恋も旅行もしたことがない。

もちろん記憶を掘り起こせば、いろいろあるし、ノウハウもあるのかもしれないが、いちいち記憶を掘り起こしてやる義理は自分にない。
僕は女を口説くのが色よいものなのか、また女と寝るのが快楽的なことなのか、そんなことも知らない、今日まだ何もしたことがない。
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初老の肩
ーティのポスターを作る時間はけっきょくなかった、あとで何かビミョーにごまかしてお茶を濁そう。
ポスターを作る時間どころか、ふとするとメシを食う時間もところどころあやしい、メシを買ってはくるのだが食う前に眠ってしまうのだ。
感覚としてはまるで忙しくなく、「すげえヒマだなぁ」としか感じられていないから辻褄が合わなくなっている。
さっき起床したのだが、この後すぐにパーティに行かねばならず、どうせ朝まで飲むとして、よく考えれば明日は明日で昼からお邪魔するイベントがあったのだった、こんなことしていたら夏が終わってしまう。

今回のパーティはほとんど人数がギリギリというかMAXになってしまった。
まあこじんまりやる類のもんで来たからな……今後も人が増えるようだとちょっと考えなくてはならない。
重要なことはとにかく、物事にやる気を一切持たず、静かに料理屋のカニミソでもつまんで安い酒を飲むことだとしみじみ思う。
安い酒っていいよね、と、そんなことを言いたくなってくるのだ、これが一般に言うクソ老化である、こうして老いてくると膝に乗せている女の子が誰だったか忘れ始める。

肩からは熱しか出なくなった。

いつからか、肩こりという感覚が思い出せなくなった、ずっと以前はそれなりにあったはずなのだが、まあ人間の記憶なんていかがわしいものである、肩のことも膝のことも忘れていく。
たくさん歩くと足の力がだらんだらんに抜け、たくさん人を持ち上げると腕の力がだらんだらんに抜ける、そしてたくさん与太話を書き連ねていると脳の力がだらんだらんに抜ける、寝て起きると肩からベッドへ熱が垂れ零れている。
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本当に超えたい「そこ」

夜はワークショップ「ちゃんでき」教室……今夜は曇り空で済みそうだが明日はどうだろう、明日は雨に見舞われるかもしれない。
それでもまあ、来てくれる人がいる限りは、何かしら来てみて損がなかったという教室にしよう、さいわい世田谷公園には小規模ながら屋根のある区画もあるから、豪雨でなければ何かとやりようはある。
いいかげん、誰も彼も、ちゃんと「できる」ヤツにならないといけない、誰だって同じだ。
誰だって、本当に気分のいいヤツになり、気分のいい関係を持って、そのうちかけがえのない瞬間を得ないといけない、そうでないと長年生きているうちに気がヘンになってしまう。

みんなはるばる、岡山とか大阪とかからわざわざ来てくれる、交通費だって苦しいだろうのにお構いなしだ。
なんというか……それだけこれは「必要」なのだ、必要なことなのだと骨身のどこかに感じられるのである。
たまには素直に言ってみたくなるが、こんなことが「必要」なら、こちらは出し惜しみしないので、この機会により多くの人が知って得て持って帰ってほしいと思う。
何のためのワークか? 理知とインスピレーションに優れ、他者と爆発的に友人になるためのワークだ、まあこんなことが現実にあるのだということを、せめて知っておいてほしいと思う、言いたかないが本当にそういうものなんだ。

あなたが誰かを驚嘆させればそれで済む。

そこが肝要だ、僕が「すげえ」でも何の意味もない、あなたが誰かから見て「すげえ」にならないと意味がない。
「こころ」と身体感覚ということを、真面目に取り扱うワークショップはいくらでもあるだろうが、唯一ここだけは品質保証できる、どこのワークショップにもこんなテキトーでデタラメな"先生"はいないだろう、僕はすべての人が本当に超えたいのは「そこ」なんだと感じているからこのようにする。

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女なら誰でもいいのさ
の役目は、「女の子を笑わせること」だ。
僕の役目は、「好きな子を笑わせること」ではない。
目の前に女がいて、笑わせるのに、それをいちいち「好きかどうか」なんて考えるヒマがどこにある。
あるいは目の前の女が、僕のことを「好きか嫌いか」「どちらでもないか」、そんなことを考えるヒマがどこにある、女の子を笑わせるのはそこまで悠長な遊びじゃないぞ。

僕が誰のことを好きか、あるいは誰が僕のことを好きでいてくれるか。
そんなことは、そうだな、たまたま陸上自衛隊の戦車のキャタピラに踏まれて「あっ」となることがあれば、そのときになって考えよう。
それ以外のときには考える余地なしだ、さすがに戦車のキャタピラに踏まれているときはヒマだろうから、それぐらい考えてもよいかもしれない。
まさかいい歳をした男が、「好き」とか「恋」とか……母親に弁当箱の代わりに対人地雷でも持たせてもらえばいいんだ、「いただきまーす」と開封したときすべての真実を知ることになるだろう。

女性が目の前にあるとき、男性には1ナノ秒で義務が生じる。

この義務にわずかでも遅れた者は、七年間湯船を舐め続けて過ごすという刑を科される、そうすれば舌先はナメクジよりは少し早くなるだろう、これはスピードの問題だ。
世界中の男性諸君よ、この宇宙のすべての生命および、人知を超えた神々の存在に至るまで、断言してよいことがある、誰もあなたの「好き」なんか聞いちゃいないんだ、砕け散って消え去るときまで何も気づかずやり続けろ。
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或る教室

妙に感じられるという物事、それ自体が帯びている誘引力によって、僕はこの新しい遊び方を慎重に受け入れている。
こういう立場の成り立たせ方は、もともと決してしたくなかったものだけれども……僕は今このとき、「教える」ということを始めている。
やむをえずということも確かにあったのだ、「きちんと自己の才能を開花させたい」というまっとうな申し出を無下にできるほど僕は未だ老いさらばえていなかった。
料金を取るような職業的なものではないけれども、これはれっきとした教室であり、講義であり、講習であり、レクチュアだ、とはいえ教室などというものは、誰にとっても便宜のもので、教室は誰の住むところでもない。

わたしたちの胸と腕はどうつながっているのか?
わたしたちが椅子から立ち上がり、また椅子に座るというとき、全身はよくよく見るとどう挙動しているのか?
賢明な女生徒は、ただちにモノクロ映画を観て、その中で古い女優が確かに教わったとおりの挙動をしていましたと報告した。
僕などは本来、教えるような人間ではないし、こういったことは本来、教室で教わることではないけれども……「奇妙に感じられる」という誘引力によって、これらの遊び方はあたらしく肯定されうると思うのだ。

今夕、世田谷公園で、肌に虫よけを塗りながら。

こうしていざ教え始めるということならば、僕のような、ひたすら遊び続けてきた人間から、教えうることが無尽蔵にあると感じている。
誰もが胸の内に想い描いたことがあるように、凡人と歴然とした差を持って生きることには、どうしようもない爽快感があるものだ、どうせやるからには、その差を歴然とつけてゆこうではないか。
(定期開講していく予定です。もし興味のあられる方がいらっしゃればお手数ですが本サイトよりメールにてご連絡ください。要するに身体操作の無責任ワークショップです。料金は一切頂いておりません。無責任だから)

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これは夏の夢幻の中

ーティのポスターをなんとかしないといけないのだが……
夏が濃すぎてその気になれない。
これは感性が閉じているのではなく開いているから頓挫している。
窓の外も部屋の中も夏が来ている、そんな中でオモシロイコトなんてやっていられるか。

夏が来たからクーラーをつけるのではなく、クーラーをつけるから夏が来る。
今、季節と噛み合って、異様な体調のよさがある、渋谷の雑踏が端っこまで見えた。
イルガチェフェのコーヒーを何杯も淹れて飲んでいるのだが、まったく鎮静しないし興奮もできない。
横になればただちに眠れるだろう、だがどうしたって夏の夢幻の中だ。

明日、みんな来る。これからもずっとだ。

夏というのはすさまじいな、人が空に花火を打ち上げてそれが正常だと信じられるぐらいまともでなくなる。
明日はみんな来る、今のところ厄介なやつが紛れ込まず、とても助かっている、なんとなくこれが今の本音だ。

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シカゴ!
を彫刻に近づける。
女は思ったより人間より彫刻に近い。
いや彫刻が本来の人間らしいと言うべきか。
あなたの肋骨を掴ませてもらえるならば僕はあなたの姿を彫刻に変える。

シカゴ! という話、キャノンという名前、詳しいことは忘れてしまった。
物語冒頭は「彫刻には"顔面"がないだろう?」というせりふから始まる。
それを受けて「そうよ、だから"顔"があるわ」と誰か女が答える。
シカゴの或るナイトクラブのステージに、女たちが彫刻になって林立した、あまりのことで舞台は当局に警護された、確かそんな話だ。

彫刻は結婚しない。

立ち込めるスモークに身を伏せながらアルミの皿でビーンズ煮を食った、彫刻にはエネルギーが必要だった。
彫刻に名は付くにせよ彫刻がその名を自負してはおらず、彫刻はただ肋骨から立ったりねじれたりして日々を過ごす――シカゴだ!
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100回遊べば観念が変わる
のことをさんざん見て来たように思う。
多くの人が初め半笑いで僕に付き合ってくれた。
そしてなぜか多くの人が僕から離れずにくっついてきた。
なぜくっついてきたのかは当人にもほとんどわからないようだった。

100回遊べば観念が変わる。
だいたい遊ぶのも30回目ぐらいになると、「遊ぶってこういうことなの?」と震えだす。
何か全身に駆け巡るものがあり、音楽が血肉に聞こえ始め、夜の街が意味を持ち始める。
何か、「うわ」と感じるものがあり、「離れたくない」と感じる、そう感じる理由はわからなくて……でもそれがせいぜい「入口」に過ぎない。

100回遊ぶ前にあった「観念」とは何だったのだろう?

ぜひこのように考えてみて、「100回、骨身に染みるまで遊んだとしたら、あなたは何も変わらないだろうか」、そんなことはない。
じゃあ、その100回遊ぶ前、「観念」にしがみついているあなたはいったい何をしているのだろう、それは正解を抱きしめているのだろうか。
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投げやりな問いかけと過去の袋

われわれは物事を、まず記憶し、次に認知する。
よって、われわれの認知はすべて過去である。

久兵衛さん、久兵衛さん!
なんだぃ五助どん、さっきからうるさいねえ。
だからぁ、もぅ、聞いてくださいよ、あっしホントに聞いたんですって! この耳で!
またまたぁ、あんたあたしをからかってんだろ? いいよ、あたしもそういう話きらいじゃないんだから、で、なんだってんだい。

あのねぇ、未来のやつが、過去の袋に、何もかも押し込んでるんだー、って……
……なんだいそりゃ、わけのわかんない話だねぇ、あんたおつむのほう大丈夫かぃ?
だから、その、未来の奴が……過去は全部フィクションだー、って言うんですよ! そんであっし、そんなの信じるか信じないかはアナタ次第だって言い返してやって……
おいおい五助どん、あんたそんなメタっぽいこと言っちゃだめだよ、なんだいそのふぃくしょんてえのは、あんたその未来とやらからいろいろ聞いたのかね。

そいつ、認知は全てふぃくしょんに流れてるから大丈夫なんだーって……

まあまあ、五助どん、そうは言われてもよ、そもそもそのふぃくしょんてえやつがわからねえんだからよ、その話何のこっちゃわかりっこねえよ。
久兵衛さん、あっしの聞いた限り、その未来のやつがあっしらをこの袋ン中に入れたーっちゅうことらしいんですよ、なんかコレわかります? わかんないですよねぇ、あっしもわっかんないんです、でもなんかわかるんです、あっしらの世界って無限に広がってますよねぇ?
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こちら目黒区低級感覚屋
「胸」は「感じる」部分でもあるが、それ以上に「出る」部分でもある。
説明はめんどくさいのでしない、ただわかるのはセックスも芸術も衝動として「低級」であるということ。
だからこそ岡本太郎も自分の芸術衝動を「縄文」につないだ、現代より縄文時代のほうが「低級」なのは明らかだ。
では「低級」「高級」とは何かということになるが、僕は低級なので高級なことはわからないのだった。

高級なことは他人に任せようとつくづく思う。
アイドルのいわゆる「グラビア」を見ていると性欲がメタメタに低下していくのは僕だけだろうか?
たぶんそれは「高級」な人々のたしなみなのだろう、これは嫌味ではなくただのマジ話だ。
僕は低級なので、女性と寝るときや作品を覚えるときにそのいちいちを「評価」なんかしていない、それはもう原生生物のような低級さで単に性交しているのであった。

事実、僕の感覚は低い。

僕には女性を「押し倒す」という感覚はわかるが、「抱きしめる」という感覚はわからない、押し倒すというか……身を寄せれば女性は勝手に倒れるじゃないか? そういうもんだろう。
僕は色んなことに取り合わないのではなく、感覚が低いため高級なことには取り合えないのだ、感覚が「低い」というのはもう物理的に「低い」というものだよ。
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