☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
カルマ肉の真相2

は蛇として生まれ、生涯シャーシャー言い続けるし、猿は猿として生まれ、生涯キーキー言い続ける。
カルマというのはそういうことなので、何もむつかしいことはない。
ホモサピエンスの場合、表出は多様化するが、それは表面上のことにすぎず、カルマの原理はシンプルなままだ、やはりホモサピエンスも、生涯シャーシャー言い続けたり生涯キーキー言い続けるのだ。
重要なことは、それが一切「変わらない」ということ、生涯に亘って変わらないというのもそうだし、先祖から末裔までずーっと「変わらない」ということだ、色んな波瀾万丈があるように表面上見えるが、それは欺瞞であって、カルマが繰り返されているという本質には一ミリも変化がないのだった。

だから、言ってしまえば、われわれが一般に思っている「人生」など、存在していないとみなしていい。
カルマが循環しているだけなので、人生といっても、ただのコピー&ペーストなのだ、同じハンコが繰り返し捺されると見てもいいし、同じ版画が繰り返し刷られると見てもいい、その木版がすり減って消え失せていく劫のかなたまで繰り返される/この版画ボンバーのいちいちをじっくり見せられても何の利益もないのだ、だって「前回と同じでしょ」ということが先にわかっているのだから。
われわれは「時の流れ」みたいなことを言いたがるが、確かに時空として時間は流れているにせよ、カルマ肉的なものはずっと同じ循環をしているだけなので、「時の流れ」みたいなことは関係ない、その関係ないことを言いたがるということを、過去もやってきて、現在もやっており、未来もやるというだけだ、こんなものをいちいちじっくり見せられ&聞かされていたらヒマで退屈でしょーがない。
千年前の蛇は「シャー!!」だろうし、今年の蛇も「シャー!!」だろうよ、千年後の猿も「キー!!」だろうな、これは時が流れても変わらないということではなく、カルマという事象平原に時間が流れていないということだ、劫末まで同じディスクを回転再生しているだけなんだよ、「いいかげんに飽きろよ」と言われたらぐうの音もでない。

シャーシャー、キーキー、ドッカーン言っている人があるが、それは人ではなくてディスクです、お疲れ様でした。

だから、本当にそこに注目しても、何の意味もないのだ、だってそのディスクが大画面・大音量で再生されるか、ミニモニタ−・微音量で再生されるかという違いしかないからな/えげつないことを言っているみたいに聞こえるが、おれがえげつないんじゃない、真相がえげつないから自動的にえげつない話になるのだ、しゃあないだろう。
まさか「人」ではなくて「ディスク」だったとは……僕は人を罵っているのじゃない、人を愛しているからディスクを罵っているのだ/単に凶暴化したカルマ肉なら大画面・大音量でディスクを再生するというだけ、縮こまった肉ならミニモニター・微音量でディスクを再生するというだけだ、内容は同じだ、僕はすべてのディスクが放棄され「人」の姿が生じてくる光景にずっとあこがれ続けている。

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カルマ肉の真相
「カルマ肉が循環しているだけですやん」という看破は、一部の人に大ウケしたようだ、「目が覚めるようでしたよ!」と/確かに僕自身、改めて「んっふwww」と笑ってしまうだけのパンチ力がある。
僕は人をバカにするのではなくて、こんなものを「人」とは認めないというだけだ、だって本当にカルマ肉が循環しているだけなんだものな、<<どうりでコイツ何も勉強しねえなと思ったよ>>、人として存在していないものなら勉強しないのは当たり前だ。
カルマ肉は、もう長いこと「人」のふりをしているので、ここまで膨大な「裏切り」を蓄積してきているはずだ、そしてその「裏切り」を、いざというときには泣き落としで許してもらおうという魂胆でいるな、なぜ彼(彼女)の中でその甘い見通しが独自に成り立っているのかは意味不明だが……
カルマ肉はけっきょく、立ち回ったり、恫喝したり、立場や慣習を利用したりで、本当のことを引き受けて対峙することを避けてきたのだ、そこには罪というより近所迷惑が生じた、そして本当にただのカルマ循環の時間しか過ごさなかったというのは、懲罰というよりはただの「妥当なところ」だった。

「カルマ肉循環」or「学門」という、単純な二者択一だけがあるのだ。
すべての生きものは、放っておけば、生来的に付与されたカルマのとおりに、その生涯をぐおんぐおんさせるだけだ、「なんだこれ」と言われても、本当に何でもないのだ/木星が木星として浮かんでいることが、「ただそれだけ」としか言えないことのように、カルマ肉の循環というのも、「ただそれだけ」しかないのだ。
生きものは、いったん生まれたからには、死に向かっていくしかないので、ゆくほかはないのだ、<<下へ下へとゆくほかはない>>、何に焦がれていようとも、どれだけ焦がれていようとも、下へ下へとゆくほかはないのだ/その唯一の例外が「学門」にあたる。
おれの言うことより、カルマ肉の誰かが言うことのほうが、ドーンとした迫力と説得パワーがあるよ、なぜならそれはカルマ肉の呼応があるからだ、おれの話すことは笑えるだろ、あちらさんの話すことはけっきょく「笑えないこと」に行き着く、それがドーンとした説得力の正体だ、アンド、グッバイだ。

カルマ肉の真相は、「人」の真相ではなかったのさ、グッバイ。

だからカルマ肉の真相を、見つめて追究することには、畢竟何の意味もない、意味のない苦しみが猛然と繰り返されているだけだ、<<繰り返されるものの始まりや終わりを探して何かが見つかる可能性があろうか?>> 今さらグッバイではなく、初めからグッバイだったのだ、そこにもともと「人」なるものは存在しなかったから。
カルマ肉は、いっそ、すさまじいと呼ぶべきほどの執念で、「人」のふりを続けている、その涙ぐましさまでちゃんと計算に織り込んでだ/しかしその執念的なやり方をいかようにしても、カルマ肉が「人」の身分に昇格することはありえない、どれだけ焦がれてもがいたとしても、下へ下へとゆくほかはないのだ、なぜそうなるかというと、うーん、正しいやり方を知らないからだ、シンプル過ぎて笑える結論だな。
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「やることがある」というすばらしさ
は安定して暮らしたいものだ。
だから多くの人は、安定して暮らすことに成功する。
だが、今日も一日、安定のために頑張りましたということをずっと続けていると、ふと寝床についたとき、「何のために毎日を安定させているのだろう?」という想念に襲われる。
翌朝、予定通りに目が覚めるのだが、「さあ今日もがんばろう」と思いつつ、その向こう、「こうして安定を続けていってどうするのだろう」という想念に襲われる/とりあえず「いってきまーす」と言って出て、がんばって、帰宅するしかないが、また寝床では同じ想念に駆られる、このことはいずれ宥めるのに酒や薬物や刺激物を必要としてくる。

誰もが大企業に勤めているわけではないし、誰もが大都会に暮らしているわけではない、むしろそんな人は一握りだ。
ありふれた街で、ありふれた立場にいて、具体的に、毎朝起きたら何をしたらいいのだ? そして何をやりきって夜眠ればいいのだ? けっきょくその問いかけには誰も答えない、年配の方などほとんどが漠然と「テレビを観ている」だけで、何かを特別に「やっている」ということはほとんどない。
若年層は、マンガを読んだり、アニメを観たり、アイドルを観たり、ユーチューバーや動画を観たりしているだろうが、それだって積極的に「やっている」わけではない、何もしないのが「怖い」ので、その埋め合わせに娯楽を補充しているだけだ。
「やることがない」という状態に、二週間でも置かれると、人は朝も夜も怖くてしょうがないのだ、朝は何のために起きるのかわからないし、夜は何のために今日起きていたのかがわからないのだ/それで、本当はやることがないからマンガを読んでいるのに、マンガを読んでいることを「充実」とすり替えるようになる。

「忙しい」は不幸で、「時間が足りない」は幸福だ。

サグラダファミリアは今もまだ建設中だが、あれは時間が足りていないということだ、忙しいということではない、忙しいというのは誰でもトラブルとリソース不足を抱えれば強制的に忙しくなる、そのときに人は「時間が足りない」とは言わない。
マンガを読んじゃダメとか、ゲームをしちゃダメとか言っているのじゃない、マンガを読んでゲームをきっちりクリアするのに、「うおおお、時間が足りないいいいい」と感じるのが幸せだということだ/ゲームをしちゃダメと説教してくる教師がいたら、それはその教師当人が時間を余らせているということだ、やることがないから人にしょーもない口出しをしているのだ。
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多くの場合、人生はびっくりするぐらいつまらない3
いこと、「どうしてこの人は他人のことがわからないのだろう」という疑問に直面することがあったのだ。
その回答はどうやら、他人がわかるどうこうの前に、本人が「人」ではないということらしい、どうやら単なる生命体というのは本当にただのカルマ肉のようだな、そりゃ他人のことなんかわかるわけなくて当たり前だ。
他人のことを、わかろうとしてわからないのではなく、そもそもわかろうとするメカニズムそのものを所有していなかったのか……そりゃ同じことがえんえん繰り返されるわけだよ。
これは人のことを悪く言っているのではない、<<無存在を看破>>しているだけだ、そりゃライブ会場がスカスカに見えるわけだよ、まさか人の集まりではなかったとはな。

カルマ肉は、繰り返ししかできない、のではなく、繰り返しを選択している。
それはカルマ肉の意志なのだ、だからこちらから口出しする筋合いはない。
カルマ肉は、人ではないので、何かを理解するということがない、円周上の点Pのようにぐるぐる回り続けるだけだ。
朝、目が覚めたときから、夜、トイレに行き、夜中、眠るときまで、何かしらの幾何図形の上を点Pが巡回しているだけだ/カルマが歩いているのだ、これは幽霊が歩いているという話とは違ってオカルトではない。

アナログ時計がぐるぐる回っているのが珍しくないように、カルマ肉がぐるぐる回っているのは何も珍しくない。

一種の時計が歩いているようなものだと思えばいい/人は時計で時刻を理解できるが、時計が人を理解できることは永遠にない。
時計が何かを所有するということはないし、何かを命じるということもない、人が時計とのかかわり方を誤解しないことだ、時計はけっきょく人の正当な利用物でしかない。
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多くの場合、人生はびっくりするぐらいつまらない2

、これはどうやらマジで、ドエライことに気づいてしまったらしい。
「カルマ繰り返されるマン」は、正確に言えば、マンでさえない、「カルマ繰り返される肉」だ、本当に「カルマ」という現象が肉の姿に成り立っているだけだ。
カルマ肉が生成されて、カルマ肉が滅んでいくだけなんだな、そりゃ何も変わんねえわけだ、それはなんというか、「紙芝居に描かれている絵が変化するわけないだろ」というような次元のことだ。
なんというか、本当に繰り返される「だけ」なのだ、そりゃ何にも出会っていないんだものな、同じ肉の同じ具合が繰り返されるだけに決まっている(と、理知としてはわかるが、それにしてもあまりにもオドロキだ)。

もはやここにきて、こころのある人とない人、という分類さえ意味がないじゃないか。
分けるとすれば、「人」と「カルマ肉」を区分しないといけない、後者は言ってしまえば「人」ではない。
でも確かに、考えてみれば、「人」という感触はしねえもんなあ、とはいえまさか、「人」と対話しているのではなかったとは……ある意味「カルマ肉」だからこそ、何も進まないその生き方にまったく疑問も迷いも生じないということなのね、それなら逆に話はわかるわ。
そりゃカルマ肉が何かと「出会う」なんてことはありえねーわ、カルマ肉の機嫌がよくなったり悪くなったりするだけなんだな、そしてカルマ肉の生産活動が、向上したり下落したりするだけということか、でも確かに、それがこの世界だという見方は実態にも学門にも合致している。

カルマ肉に何かが届くことはないし、カルマ肉から何かが届いてくることはない。

届くとしたら、カルマ反応物質が届くだけで、また届いてくるとしたら、カルマ反応物質が届いてくるだけだ、だからキャバクラのねえちゃんに褒められてごきげんになるという人が、ガチで存在しうるのだ。
僕は人に冷たくするようなダサ男じゃない、が、カルマ肉にやさしくするというのは理論的に不能だし、カルマ肉に「人」という性質を恢復してやるというようなことは、正直僕にはさっぱりやり方がわからん、そんなやり方は存在しないのじゃないかとさえ思える。

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ポル・ポトが理想的全体主義社会を希求して市民を殺しまくった理由

ほどの記事に、拍手ボタンをつけてみたのだが、たまにはいいものだな、ラブメッセージをまだ入れていない奴は早く入れるように。
それで、もういいかげんわかってきたよ、「社会」を幻想している人は「全員」という事象が見えていないんだろ。
それで、「全員」という事象が本当に見えない人が、絶望的に全体主義社会を希求して、そのなれの果てが共産主義国家になり、独裁者を生み出して、市民の虐殺を生んだということだ。
つまりポル・ポトには、「全員」という事象が本当に見えていなくて、「社会」という幻想しか見えていなかったんだよ、それで完璧な全体主義社会を作ろうとした、完璧なそれを作るためには、わずかでも個性を持ちうる人を殺すしかなかった(ムリ)。

「全員」という現象がある。
というのは、現在のわれわれは、たとえば聖書に倣えば、もともと一個の「アダム」(ウパニシャッドでいうと「アハム」)が分散したものにすぎないからだ。
われわれはもともと、一つの存在なのです……と、ウルウル神秘主義に耽っても意味ねえよ、そういうことじゃなくて、「全員」という感覚事象があり、その事象と己が接続可能だということ/おれはマジの話しかしねえよ。
ポル・ポトの対極に、たとえばチャビー・チェッカーがいるな、別に不思議がることでもなく、「全員」というナゾの力に接続している奴は実際にいるということ/この接続を得られない奴が現代で「社会」を幻想しているという、ただそれだけの話だ、たいして悲しい話でもねえな。

他人を傷つけてしまう病気を「社会人」と呼び、また、他人に同情してしまう病気を「社会人」と呼んでいるだけだ。

なぜかというと、「全員」という事象が捉えられていれば、他人を傷つけることは「全員」のテンションを下げることなので、そもそもそんな発想が出ること自体おかしい、他人をボコボコにするのはかまわないが傷つけるのはいけない、「全員」という事象を弱らせてどうする/もともと「全員」が視えている人は、そもそもそんなアホな発想を持たない。
ビートは万人に平等、ということではなくて、ビートは初めから「全員」という事象に届いている、疑問とか迷いとか躊躇とかが出てくる時点で土台が根こそぎ大間違いだ、「わざとらしさ」が出てくるようでは毎日がツラ〜イでしょ/映画「フットルース」には何のわざとらしさもないし、どのシーンを見ても「社会人」なんて映像はない。

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社会幻想と野垂れ死に

を聴いていると、どうやらマジに、自分には仕事や愛や結婚が与えられると思っているらしい。
どこでそう誤解したのかは知らないが、完全に誤解だ、われわれに仕事や愛や結婚なんて与えられはしない。
われわれは<<野垂れ死に>>するのだ/「何も悪いことはしていない」「ずっとマジメにやってきた」なら、野垂れ死にするのだ。
だって、与えられるはずがないものを、与えられると思ってずっと待っているのだから、遅かれ早かれという差だけがあって、けっきょくは野垂れ死にする/いったい何をもって、「与えられる」と思い込んだのだろう?

いったい何をもって、誤解に至ったのかわからないが、この社会があるとして、この社会はあなたの野垂れ死にを防ぎはしない、ニュートラルに生きたらあなたは野垂れ死にするコースが確定だ、もともとそういう合意で成り立っているのがこの社会だ。
「助けてくれるはず」って……自分は誰も助けないのに? どうやらすでに、少なからぬ人が、この世には「人」以上の存在があって、そういう巨大な何かがズーンと自分を救済するものだと思い込んでいるふしがあるようだ/そんなもん、野垂れ死に寸前の人に手を差し伸べる人なんて、タコ部屋管理のヤクザさんしかいませんぜ、いったい「社会」に何の夢を見ているのだろう。
社会が悪いとか、いろいろ言うし、いろいろ思っているようだけれど、それをどう思うかは自由だとしても、どれだけ健全な社会であっても、あなたの野垂れ死にを防いだりはしないよ、ロールプレイングゲームじゃないんだから、次のイベントなんか設定されていないんだって。
誤解という以上に、巨大な幻想を抱え込んだようだな……まあ別にいいけど、結婚とか、「したい人はどうぞ」という社会があるだけで、市役所の側から結婚を持ってきてくれるわけじゃないよ、若いうちは青春のチャンスがあるというだけであって、若ければ青春が供与されるということではまったくないからね/あなたが何十年も間違っていたとしても、社会はあなたに何の口出しもしないよ、社会についてボヤいているとして、「社会」なんて実体は存在していないんだよ、どうもそこのところに幻想があって、何かヌーンと実体として存在している「社会」があると思い込んでいるみたいだ。

ひょっとして、自分の番が回ってくると思っている?

そんな、共産主義国家じゃないのだから、配給制で仕事とか結婚とか青春とか、回ってこねえよ、みんな大学を卒業したら就職だね〜というのは、おおむねそういうタイミングになるのが一般的だよねというだけであって、自動的に就職というイベントがやってくるわけじゃねえよ、また適齢期になったからって結婚イベントが発生してくるわけじゃねえよ、自動的にやってくるものは「野垂れ死に」だけだ。
われわれには、青春も、恋あいも、学門も、仕事も、結婚も、夢も、与えられたりはしないよ/情報を集めこんで、それを冷暗所に保存して、熟成させて……としたとき、その情報は熟成なんかせず、単に「古くなる」だけだよ、「いつかきっと何かになる」って、ならねえよ、そこを誤解しているから何かずっとスマイルでいるのか。

正しく見ないとな | comments(0) |
頭上からの涙
「全員」は「ビシャッ」だ。
そして、頭上の感覚は、天というか星空というか宇宙だが、この「ビシャッ」と「天」が同時に起こってつながると、涙が出るわ。
「天」のほうとつながると、「あ、これは涙だわ」というのがわかる/「全員」イコール「ビシャッ」のほうは、唸りであり無限の間熱であり咆吼なのだが、そのとき天は星空だ、たぶん同時にやるのはけっこうむつかしいことだが(おれは余裕だ)、おれは昔このビシャッと星空を淡路島の夜に見たことがあるぞ。
「個人」って何だろうな、たぶん「個人」というのは、本当にただの「容れ物」だぜ、この「個人」という感覚事象をあれこれしてみるということは、本当に何も本番じゃない、「弁当箱をかじっている」というような状態だな。

「個人」というのは「箱」なのだ、いわゆる「殻を破れ」というときの殻にあたるのかもしれない。
自分を解放するというのは、自分という「個人」を解放するということではないな、薬のカプセルみたいに、カプセルが溶けないと薬効がないよ、というようなことだ。
その薬効をステージに並べるのに、カプセルを並べる人は、「何やってんねん」という状態だな、おれは薬効であって、カプセルになっている「個人」はおれの容れ物でしかないよ、このカプセルが対話することにはまったくといっていいほど意味が無い。
自分を解放するということは、個人(カプセル)の中の、「全員」という事象を解放するということだ、「全員」こそ真のおれだということ、おれを解き放つということは「全員」という事象を解き放つということだ/いやあまさか「おれ」は「全員」だったとはな。

すべての景色に情熱と涙がある理由がわかった。

ついにわかった、ということかもしれない、そしてこの「全員」というのが、たぶんヨーガ的な「真我」でもあるのだろう、よって、真我イコール全員という、結論だけ聞くと「なにそれ」必至の、おもしろい話ばかりなのだった。
「全員」が「ビシャッ」なら、「天」は「キー」だ、耳鳴りのような高い音が鳴っている、これは涙になる、楽器の音色でいうとバイオリンの高音に近い、直撃すると涙のみならず鼻血になる可能性もある/バイオリンが涙の鼻血を出させた、という事例が過去のレポートにあるかもしれない(調べようはない)。
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「ビシャッ!!」

「全体」より「全員」がいい(言い方としてステキだ)。
そして「全員」とは、個人の集合ではない。
「全員」は「全員」という事象だ。
個人たちの総意が全体の意思になるのではなく、初めから「全員」という事象があるのだ、言ってみりゃ一人でも全員だ。

「全員」には意思があるのかないのか……おそらく「ない」と思う、思うというか、見当たらない。
「全員」には、ただ作用だけがある/その作用は合図的にはたらき、この合図は意思以上の強制力を持つ。
ひょっとして、ダンサー大野一雄が言っていた宇宙意思ってこれのこと? 宇宙意思って個人に届かず「全員」に届くの? と、またこんなことを言い出すとわけがわからんのだった。
「全員」というナゾの作用がある、それはわれわれに、踊り続けることを命じている、雰囲気で言っているのではない。

音楽から統一が生じるのではなく、統一から音楽が生じている。

個人の思念より、ずっと底のほうに、「全員」という事象エリアがあるわ、これすげーわかるし、感覚的にカチッとつながれるぜ、あーコレはコレだわ、これはおれだが個人ではなくて「全員」だわ(意味不明だがこの表現で合っている)。
個人キラ〜イ、全員なら「ビシャッ!!」だわ、なんの説明にもなっていないが「ビシャッ!!」なのだからしょうがない、これたぶん永遠に生きているおれだよ、いわゆる個人という感覚事象のほうはやがて死滅するわ(つまり寿命で)。

正しく見ないとな | comments(0) |
I love you

れのつまんねー話を聴けよ〜何しろボクには愛があるのだ。
そりゃ僕が愛の人だから当たり前だが、愛なんて僕だけがやっていればいいのだ、不向きな人がやらんでもよろしい。
おれが愛をさんざんやるということは、ラーメン屋がラーメンをガンガンやるということだ、店主が湯切りするとき、自衛隊員はアサルトライフルを発砲する。
われわれは愛とラーメンとライフル発砲を同時にこなせるということだな!! そりゃ当たり前だろうよ!!

ボクに愛を向けられたからといって、女の子は驚くことはないし、猛ダッシュで逃げる必要もない。
そりゃボクは愛の人なのだから、愛が向けられて当たり前じゃねーか、ラーメン屋でラーメンが出てきて走って逃げる奴があるかよ。
何も意識高くなる必要はないというか……そもそも「意識」って何に向けて持てるんだよ、天ぷらが動物園のカバを意識したりはできなくないか? 今頃ポリネシアの海には颱風の種が芽生えていると思うが、揃ってゆさゆさ揺れる椰子の木の影にどうやって「意識」なんか向けるんだ、あっちもまだ早朝で薄暗いだろ。
われわれが全員で連動するというだけの話/人が陥る「ピンチ」というのは、この連動から外れた「穴」に落ちてしまう場合のことだけを言うんじゃないかな、まあおれはピンチなんてイヤなので知らんし、知りたくもないけどな〜。

すべてのカーストがダンスする。

掃除婦のババアは箒を振るうし、王族は処刑のシャムシールを振るう、エジプトのラクダはオアシスの水でも飲んでろや、馬喰町の証券マンはどれだけ頭を下げられるか競争中だ。
個人的におれは愛を担当できてよかったと思っている(サイテー)、もし来世があったら、僕は正直またこの担当でヨロシク。

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オール・ダンス・ダンサーズ

は女の子が好きなんだよ!!
女の子のことは、そんなに好きじゃないなという男もいるかもしれない。
それは個性ではなく、全体性だ。
全体性とは、全体が揃うことじゃないよ、全体が揃ったら、それはむしろ全体性の喪失だ。

夏になれば海に行く奴、山に行く奴、それぞれいるだろ。
そして、海に行く奴と、山に行く奴は、趣味が違う……とかではなくて、それぞれが全体性を担っている。
海辺で乾杯する奴は、山にいる奴と乾杯なんだよ、山で寝ているやつは、アーバンホテルで寝ている奴と「おやすみなさい!」なのだ。
何もむつかしいことはない、一つのビート音の上で、それぞれの楽器が鳴るだろというだけのこと、それが「全体性」って、何もむつかしくない、当たり前のことだ。

同じ小説に出てくるバラバラの人なんていない。

ひとつの小説なのだから、同じ世界の登場人物だろ、海で叫んだ奴がいたら山で告白している奴がいるよ、そんなの見えないし聞こえないって? そりゃあどうだか。
舞台の上で踊っている人がいれば、客席の人は踊っていないだろうが、それはダンスではないのかいね、この世界にダンスが一体でもあればそれは全員がダンスしてんじゃない?

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全員の思い出
ょーもないものまで含めて思い出に残る。
否定しなかったものはすべて思い出に残る。
自分の思い出だけじゃなく、全員で選んだ思い出というのがあるので、それが残る。
自分の思い出じゃないつもりでも、全員の思い出だねと、そしてその全員の中に自分もいたことを否定しなければ、その思い出は残る。

赤の他人とでもつながっているからな。
お互いのことを知らなくても、何かで通じ合ったことがあれば、こころあたりがなくても友人だ。
われわれは個人ではどうしようもないアホだが、「全員」ならそこまでアホでもない、それなりに強い。
誰だって、「今でしょ」を見ればわかるだろ、それがいつ現れて、どう現れたか、どうでもいいことでも、われわれは知っているだろう、じゃあそれは全員の思い出だ、もし走馬灯を見ることがあったら楽しみにしといて。

全員の思い出には、全員が拍手する。

われわれは今、個々人として生きているので、その拍手が生じづらいが、やがて個々人ではなくなった先、全員の思い出を「そっかあ」と再発見する、そのときになってあなたは「なるほど、このことを言っていたのか」と、おれの言っていることにびっくりすると思うぜ/そう思えば、実は本当に悪いことなんてなかったんだなあと、そのときになってわかるだろう。
自分としての思い出や、二人きりの思い出というのもいいけどね、まだそれはわかりやすい、「全員の思い出」があるというのは、なかなかわかりにくいんだよ、でもいつかのときにそれは必ずあるからそのときがくるのを楽しみにしといて。
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勉強するということ

強するということは、賢くなるということじゃない。
勉強するということは、己がどれだけ愚かであるかを知るということだ。
慈愛について勉強しなさい、そうしたら、自分にとって「慈愛」がどれだけ真に困難かが理解できる。
こころについて勉強しなさい、そうしたら己のこころが、いかに業や思い込みに振り回されて正体を失っているかが理解できる。

盲目的な自信が欲しいなら、むしろ一切の勉強をしないことだ。
勉強して、蒙が啓けたら、いかに自分の身が小さいか見えてしまう、そしてこれからどれだけ気の遠くなるような努力が必要になるかが見えてしまう。
何もかもわかっている気でいたいなら、勉強はしないことだ、勉強すると「何ひとつわかっていない」ということが見えてしまう。
正義でいたいなら、勉強を遠ざけ、足蹴にすることだ、勉強すると己の不潔や不正義がいかに救いがたいものかが見えてしまう/勉強はあなたが誰かを笑うためにあるのじゃない、あなたがあなたを笑うためにあるのだ。

今夜あなたの向かう先は、「謎」か「正論」のどちらかだ。

謎に向かうのが勉強で、正論に向かうのが炎上だ、「わからない」に迫っていくのが勉強で、「わかる」に迫っていくのが炎上だ。
あなたの部屋の、あるいはあなたの手元の、時計をみなさい、時刻が「わかる」だろう、でもその時間がどうやって計られているのかは「わからない」だろう/「わからない」に向かうのが勉強だ、勉強するということは、自分がどれだけ無知でアホかを思い知らされるということだ。

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マジヤバイ現代社会に巻き込まれない唯一の方法

いうわけで、現代社会はマジヤバイというお話でした。
で、どうしたらいいかというと、勉強しろ。
勉強して、その先に何かに出会え。
自動的に飛び込んでくるゴシップのトピックに、自前の正義で反応するというようなことは、生きる時間の1%だけでいい、そうして自動的に飛び込んでくるものに育てられるのじゃなくて、自分から獲得しにいったものを吸収して育て。

慈愛のない正義風情が横行し、慈愛のない者が人道風情を説いているというありさまを、今から0.5秒で看破しろ。
われわれは、この社会の全員と出会うわけじゃない、それどころか、百人とでも”本当に”出会えたならば、それは大豊作の人生だ。
あなたは社会に寄与しなくてはならないが、社会に寄与するということは、「現代社会に寄与する」ということではない、現代社会を本当によろこんでいる人なんて一人もいないのだ/炎上社会に寄与することなく、本当に機能している社会のほうに寄与しろ。
今日お世話になった薬局のおねえさんは、すごく美人なのに、すごく感じのいい、明るいこころの向かってくる人だったよ、こっちが本当の社会だ/騒いでいる人は社会ではない、あっちは炎上界の人たちだ。

この世には勉強家と炎上家しかいない。

よく見てみろ、現代社会の「炎上」の仕手には、必ず「勉強しない人たち」しか集まっていない、あなたが勉強を放棄するということは、己を彼らの側に所属させるということなのだ/勉強しない人は必ず不毛な炎上の仕手に行き着く、「必ず」だ、なぜならわれわれはもともと、学門をするためにこの世に生を享けたのだから。
今はもう、電車の中でむつかしい本を読んでいる人がいなくなっただろ、全員がスマホを見ているじゃないか、現代社会がマジヤバくなったのはそれが原因だよ/あなたは、勉強している気配がない人とは何の関わりも持たなくていい、彼らはもう寄与のすべてからドロップアウトした人たちだから。

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「身の甘さ」と制裁について
っ払って女の子に手を出してしまったというのは、確かに「身の甘さ」かもしれない。
放置自転車の迷惑や、副流煙の健康被害、上司が強い口調で部下を叱責して体調を崩させてしまうのも、すべて「身の甘さ」だろう。
そして「身の甘さ」を徹底的に弾劾し、それを糺すには、極大化した「制裁」が有効になる。
ささいな一言で、人を傷つけてしまうこともあるのだ、そのことに配慮できないのは「身の甘さ」だ、そのことには極大化した制裁を加えよう/ということで、現代社会というのは、「身の甘さを極小化し、制裁を極大化した者」が正義となる、それがこの時代の常識だ。

さて、そのことをSNS化した各人が選んだわけだが、ふと気づけば、本当にわれわれは、そんな「身の甘さゼロ、極大の制裁社会」を選んで、その中を生きていけるのだろうか/Xさん、あなたはこの先の生涯すべてに亘って身の甘さはゼロということなのか、だとしたらハンパねぇ自信だなと思うが、僕にはそのマネは到底ムリだ。
自慢じゃないが、僕なんか、身の甘さがスターフルーツ並なので、誰に向けても「制裁」なんて発想はもたないようにしているのだ、ガチの罪だけ司法に裁いてもらえばいいやと、僕は現代人らしからぬ甘〜いことを考えている(あくまで僕個人は)。
このところ、長いこと「カルマ」うんぬんのことを研究しているが、他人の身の甘さに「制裁」の発想をもった人は、当然、自分の身の甘さについても「制裁」が下るものだ/それはなんというか、ゲームが超難度になるという感じで、わずかでも操作ミスしたら即ゲームオーバー、破滅です、永劫の闇が妥当です、というようなゲームに自分もなるということ、僕にはそんなゲームをまともに生きていける自信がまったくない。
一言もミスなし、一手もミスなし、一ミリもブレなし、他人への迷惑ゼロ、それをわずかでも違えたときはただちに入水自殺してサカナのエサになるべしという、そんなハードモードで生きていける気が僕はまるでしないのだ、器量の問題でね、そういうハードモードは超絶器量の人々に任せるとして、僕のほうは制裁といってもほっぺたをつねるぐらいで許してね〜☆お願い/と、僕は文学者として星マークを使っていくぐらい身の甘い人間だ。

Xさんは、生涯にわたって身の甘さゼロ、我が身に極大の制裁も辞さず、真実の愛のみを所有し、純潔多大なる社会貢献をなし、尾籠のない超越満足を得る/少なくとも他人にかける迷惑はパーフェクトゼロだ。

Xさんは、わずかでもそれを違えたら、ただちに地獄に落ちます、帰ってきません、と宣言している、ものすげえ根性だと思うが、今一般に現代人に求められているのはそのクオリティだ、一分でもサービス残業をさせたら煉獄行き、一秒でも差別意識をもったら地獄行きだ。
なんというか、仮に、「甘々」の世界が――自転車の放置はしゃあない、タバコぐらいポイ捨てしろよ、上司は怒鳴るぐらいしゃーない、先輩にシバかれるのは慣れろ、セクハラしたらひたすら本気出詫びて許してもらうしかねぇ、という世界が――あったとして、それでも僕はなお、まともに生きていくのはそんなに簡単じゃないと思っている、僕はそれぐらい身の甘い人間だから、甘々の世界でさらに多くの許しに助けられてしか、「生きていてよかった」とよろこべる時間は得られないと思う/見よこれが真の「身の甘さ」ってもんだぜ、おそれいったか。
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【ガチ】胴体に「慈愛」の機能がない【日本人】

つてのオウム真理教や連合赤軍に向けてでさえ、その頓挫に対しては、「事は成らなかったか」という悲しみが湧く。
どれだけ間違ったところがあったにせよ、何かを成し遂げようと集まってがんばった人たちがいたわけだから、その為せなかった無念自体には、やりきれない胸の痛みがあるものだ。
この、「胸が痛む」という機能を失った現代の日本人に、あなたは追随してはならない。
「被害者のことを思うと胸が痛みます」という現代人の口ぶりは、本当にウソだからだまされてはいけない、「胸が痛む」という機能があったら、制裁を受けた側に対しても胸が痛むはずだからだ、作り物の「沈痛ふうの表情」なんかにまさかだまされてはいけない。

現代の日本人は、倫理や正義において厳しいのではまったくなく、単に<<「胸が痛む」という機能がない>>のだ、何に向けても「こころ」なんてはたらいていないと、これはもう断言してしまっていい。
いつぞやのベッキーさんに対する騒動についてもそうだったし、今の山口達也さんに対する騒動についてもそうで、何が起こっているかというと、これまで華やかであった人に「制裁」が加えられるのを見て、本当に<<興奮しているだけ>>だ、はたらいているのは正義でも何でもなく、根深く抱えているこの世への「怨恨」だ、これは各宗教で「蛇」と呼ばれている人間の闇で、日本人の水面下のムードはすでに<<蛇の興奮>>という一色で塗り尽くされていると見ていい。
どういうことかというと、たとえばあなたが、整備が不十分な自分の車に乗っていたところ、タイヤがパンクして走路を逸脱し、電柱に激突したとする、そしてあなたがあばら骨を何本か折ったとしても、それについて「胸を痛める」という人がいないのだ、日本人はそこで「そりゃ整備不良でしょwww」「自己責任www」「自業自得www」と笑う民族になったのだ、「胸を痛める」とか「慈しむ」という機能がなくて、ただ体内の「蛇」がウズウズするという、ド真っ黒のこころしか持ち合わせていない。
もしそのことを検査して数値化できる機械があれば、絶望的なデータが検出されるだろう、本当に「胸が痛む」という機能がないのだ/そういう人はもう何十年間も、友人や家族や恋人でさえ、自分が転倒したときに胸を痛めてはくれない、という世界を生きてきたのだ、そこに決定的な絶望と怨恨がある、だから他人が転倒したときに、慈悲の真逆にある蛇がおおよろこびすることを抑えられないのだ、これが現代の日本人の真相だ。

仮に僕が車に撥ねられたとしても、彼はこころの底がニヤニヤする。

たとえば何かの気まぐれで、僕のこのブログを数年来読んでいる人でさえ、そうしたことがありうるのだ、慈愛という機能がないというのはそういうことなのだ、何年もその人の声を聞いているのに不幸があると「ニヤニヤ」なのだ/断言しておくが、まともな人間というのは、何であれ人のマイナスが報じられると「ええっ!?」と、胸に<<悲痛>>という感情を覚えるものだ、この悲痛という感情を、向けたことがない・向けられたことがない人を、残念ながらまともな人と扱ってはならない。
そんなことがあってはならないと信じ、正直なところ救われたいという人は、僕のところに来い、どうせまた19日にはまたパーティもやるのだ、僕のところにきて僕の前でたちまち泣き出したという人は、特に女性など、冗談じゃなく全体の八割を超えている/胸が慈愛と悲痛を覚えると、それはそれで抱えていくのが大変だが、それでも表面だけ取り繕った水面下にド真っ黒がたゆたう未来に生きていくよりはずっとマシだろうよ。

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いのちを寄せ合って
つかしい話をしようかな。
僕はもともと畑正憲さんの動物学……というよりいのちの学門を敬う者だからな。
愛というのは、こころの現象でもあるが、それ以前のこととして、いのちの現象でもある。
いのちを寄せ合うというのが愛だ、これはちょっと動物的な側面もあるが、われわれは動物でもあるので問題ない。

「いのち」ということになると、人間はまるで主役ではない、この地球のすべてのいのちを寄せ合うべきだ、でも基本的には哺乳類だな!
今日もわれわれの知らない原野や海や氷の上で、キリンが駆け回り、ホッキョクグマが旅をし、数千頭のイルカが並んでジャンプをしているのだ、夕暮れを東西にナマケモノがぶらさがり名前を必要としない鳥が空を飛んでいるのだ、それが見えるとき「うおおおおおおーっ」という叫びが起こらないか。
いのちを寄せ合うとき、いっそのこと、こころさえ邪魔だということまでありうる、いのちはいのちだからな……僕がこれまで生きてきた時間の中で、共に生きている動物がいなかった時間はほとんどない(幸運な生き方だ!)。
ペリカンが大きな魚をくちばしの袋に収めるときの、誇らしいいのちの眼差しを見なよ、この地球の全体でいのちが「うおおおおおおーっ」と叫びあっている、その叫びを寄せ合うと愛になる、こころとは少し異なるいのちの誇りに満ちた愛が生まれる。

われわれが生きているのではない、「いのち」が生きているのだ。

われわれは、社会生活のしすぎで、自分とその周辺の生命活動を、「いのち」だと誤解しがちだ、「いのち」については人間はまるで主役じゃない、黎明のサバンナにゾウの群が歩いている、そのいのちに比べればわれわれのいのちはややこしくなってあいまいだ。
われわれが生きるということは、死ぬことと対照だけど、いのちはそうじゃない、いのちは死とは関係なしに存在している、われわれのこころでは取り消しようのない雄々しいいのちの叫びがある。
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悪の華5

はエラソーなことを言うのは好きではないのだ。
だが、みんなで戦って生きているので、みんなで勝つほうへ寄与するしかなく、そのためにすべてのことはやむをえない。
目が利いてくるとすぐわかるようになるが、身分というのは、高低以上に「大小」でよくわかるものだ、レベルの違いは何かしらんが視覚的にも「デカい」と感じられることで得られてくる。
慣れてくると、写真でもわかるというか、写真や画像でもそこに注目すれば割とすぐにわかったりするものだ、何かレベルの違う人は「デカい」のだ、存在がデカい上に、存在がくっきりしている、この「デカくっきり」が一目瞭然の場合、もうこれは明らかに身分が違う/というかこのわかりやすい感覚さえなくしていまっている人はいくらなんでもどうかと思うぞ、眼を覚ませ。

目の前で見ただけでウオッと圧倒される感じさえする、「デカくっきり」の人がいたとして、そのデカくっきりの人が、あなたの飲みかけのペットボトルをひょいと奪ったとする、そしてそのままグビグビと飲み干してしまう。
そのときに、「悪」の感触なんてするものか? 何か知らないがデカくっきりの人だ、そんなもの「どうぞどうぞ」という感じになるものだ/この感覚がない人、あるいは抵抗しようとする人が、頭でっかちに「でも……」と抗し始めると、たいへん時間が無駄になるし、不穏なストレスが発生するので大マイナスだ(本人が憂鬱側へ引っ張られていってしまう)。
だから、どうかそれぐらいは、気概というか、男気をもってくれ、明らかに自分より「デカくっきり」に見えているということは、もうその時点で<<勝負はついている>>のだ、そこからバトルを仕掛けることほど冒涜的で疲れることはない/あなたが他人のペットボトルも奪えないということは、それだけ身が小さく「悪」に満ちているということだ。
ある種の言い方が好きで、しっくりくるという人もいるので、そういう人向けの言い方もするが、われわれの肉身には「霊」が宿るものなのだ/この霊的なモンは、身のサイズそのものを超えて宿るところがあるし、物体以上に「目に映る」というところがあるのだ、だから極端に身が進んだ人は極端な「デカくっきり」に見える、こんなもんに立場も平等も通用するわけがあるかよ、これに刃向かうと本当にナゾの憂鬱側へ引っ張っていかれるからロクなことにならない。

「小さい」と見える人は、「悪いこと」をされるのが救済になる。

もちろん、このご時世に、問題アリアリな主張だということはわかっている、けれども聞こえのいいウソをのたまい続けて全員で負けていくわけにはいかないだろ、少なくとも僕はそっち側はノーサンキューだ/「小さい」と見える人は、身に「悪」がテンコモリで、霊体が全身に行き渡っていないから「小さい」と見える、こうなると顔と声をキツくすることでしか戦えなくなるが、まあそんなもの戦う前に勝負はついているので、こういう人はいいかげん「戦う」ということと「揉める」ということを区別しないといけない、人は揉めたって弱っていくだけでしかないのだ。
やれメールだったり、電話口だったりなら、相手の身が見えないから強気になれたりするが、実際に身を目の当たりにしたら通用しないから、イチビるのはやめるべきだ、きょうびの実態だと「他人のペットボトルを断りなく奪う」というレベルの「悪いこと」でさえ相当なハイレベルに該当するぞ/それまではおとなしく奪われる側になっていろ。

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悪の華4
い、苦しめて、愉しみ笑う者/それが僕だ。
もう面倒なので説明なしで進めてしまおう、本当のことが知りたいという人はどうか耳を傾けてくれ。
こちらが「奪う」ということは、向こうが「奉じた」ということと同じだし、こちらが「苦しめる」ということは、向こうが「仕えた」ということと同じだ。
まだ覚えている人はいるだろうか? かつて、この人に「奪われたい」、この人に「苦しめられたい」と、望んで身を差し出して、首を絞めあげてくれるように求めることは、決しておかしなことではなかったことを。

面倒なので説明なしに進む/身分の高きから低きへは「恩恵」があって、低きから高きへは「サービス(礼拝)」があること、それが成り立つときのみ両者の真の利益がありうるということ、研究していくとどうしてもその結論に行き着く。
で、ここにきて、「下が上へサービス」ということは、「上が下を奪う」ということでも、同じだ、変わらんということがわかってきた、意外にわかりやすい話ではあるな……。
上のほうがたいてい能力はデカいので、上が下を「奪う」という形式のほうが、進行のペースはぐっと早くなる、ただし「身がもたない」「踏み外す」ということが大きく起こりクラッシュするリスクも大きくなる、安全で堅実なのは下が上に「サービス」のほうだ(ただし進捗がトロすぎるというデメリットもある)。
われわれはふだん、「悪いこと」を、われわれの選択肢から除外している、まるでわれわれの身の内に「悪」がないと思い込んでいるかのごとくにだ/奪い、苦しめて、愉しみ笑うというと、まさに「悪いこと」の極北だな、しかし僕は「奪いにきたぜ」というときの僕自身が大好きだ。

奪いに来たぜ悪の華。

僕が奪い、僕が苦しめて、僕が愉しみ笑うのだが、さあ誰が「悪」だ/身から噴き出す「悪」に震えて、しかしだからこそ救われた心地がしているのは奪われた側だ。
僕のほうが身分が低い場合、つまり僕の身の「悪」のほうが重い場合、僕はさっさと奉じてきたし、さっさと仕えてきたな、だから変わらん/僕はおっかないことはきらいで、救済ばかりが好きなんだ、逆をやると本当に不穏でおっかないからな。
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悪の華3

性を数名と、女性を二十名、あとは一体のマネキン人形を用意しよう、ひとつの小さな会場でいい。
そして、女性たちが見ている中、男性がそれぞれマネキン人形に向けて、「おっぱいターッチ!」をする。
あくまで触られているのは人形だから、見守っている女性たちには、気分以上の実害はないはずだ、しかしそれでも「セクハラ感」という耐えがたい不快感が噴き出すことはいくらでもある。
マネキン人形に向けて「おっぱいターッチ!」をすること自体は、ベトナム戦争に比べれば「悪いこと」の量としては小さなものだ、にも関わらず、噴き出す「悪」は必ずしも小さいとは限らない、十分に目を背けたくなる何かが現れることはあるものだ。

「この人はマジメ」と言える、謹厳実直な学校の先生を連れてきたとする、この際はもう、その先生が男でも女でもいい。
それで、その先生と僕とで、マネキン人形に向けての「おっぱいターッチ!」を代わるがわるやってみようじゃないか、するとどのような「悪」が噴き出すだろうか。
自慢じゃないが、今さら僕は、そんな「おっぱいターッチ!」をしたところで、「まあ、そりゃあな」としか見えねえよ、だって毎日毎秒が「おっぱいターッチ!」をしていそうな奴だからな、それを今さらマネキン人形に実演したところで何というインパクトも出ないだろうよ。
一方、「マジメ」のカタマリのような、学校の先生が「おっぱいターッチ!」をしたときはどうなるだろうか? その先生の身の内に「悪」がわずかもなければ、そこに不穏な悪の臭気は一ミリも出ず、照れ笑いにごまかすようなことはやはり一ミリもしなくていいはずだが、そんなことはまず起こらず、往々にしてまったく逆の結果が生じる。

あなたが「おっぱいターッチ!」と口に出すだけでも、身から「悪」が噴き出す。

酒に酔わず、下ネタにまぎらわせず、照れ笑いにごまかしもせず、当たり前のように「おっぱいターッチ!」と言うだけだ、本当に言う「だけ」なのだが、それだけでも人の身からはギョッとするような「悪」が噴き出す、そこに何も「悪いこと」をしている行状はないのに、「悪」が噴き出す/それぐらい、「悪いこと」と「悪」はまったく異なる。
試してみろ/「冷蔵庫ターッチ!」と発声してみても、あなたの身からは何も出ないよ、でも「おっぱいターッチ!」だと、身の奥が何かグロッと動くだろ、それが「悪」だよ、「悪いこと」を何もしていなくても身の内に「悪」はあるの、それによってあなたの目の色と呼吸はいつまでも落ち着かないものに決定されてしまっている、だから今色んなことで騒いでいる人は……まあもうその話はいいや、とにかく身の内にある「悪」の問題、「悪いこと」は焦点のすりかえ。

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