☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
パーティ報告78(2)

「女が津軽海峡を渡ると『冬景色〜』になるが、男が津軽海峡を渡ると『は〜るばる来たぜ函館へ〜』になるの、男と女は、平等は目指せても、同質を目指すべきじゃないし、同質になってしまったらもう男女じたいの意味がない」
「男のほうが、身分が上ということはだねえ、男のほうが気の毒ってことなんだよ、女がオリるところで男はオリれないの、女が『わたしこんなの無理です〜』というところで、男は『そう? こんなの余裕だけどな』と、オリることが許されないってことなんだ」
「厳しいな〜」「厳しい……」「いやあ厳しい」、なんなんだお前ら、今回はやたら「厳しい」と言ったな、ウン厳しいと思うぜいろいろ(泣)。
――男だって人間なんだからさ、女が「こんなの無理です〜」と感じているとき、男もやっぱり「こんなの無理です〜」と感じているんだよ、でもそこでふと、「そう? こんなの余裕だけどな」と強がりを言ってしまう、この強がりが実は、単なる「ウソ」ではないということなんだ、このどこからともなく出てくる強がり、法螺(ほら)、口からでまかせ、これが実は「男の声」なんだ、嘘から出たマコトというやつで、実はその法螺(ホラ)の中にこそ男の魂が入っているんだよ。

男も女も、同じ人間だ、ただピアノの鍵盤を想像してくれ、このピアノの鍵(けん)が、なぜか女より男のほうが「一本多い」んだ、だから男の鳴らす和音のほうには、スペクトル上に「ん? なにこれ」というピークが出てる、このピークは「魔を祓う」というような力で、男に特有なんだ、この「魔を祓う」という力に関しては、女は男を頼るしかない。
男と女で、どちらが劣っているということはないんだよ、ただ男が津軽海峡を渡ると「は〜るばる来たぜ函館へ〜」となる、このバカ明るさは男しか持てないんだ、男と女が同じことをしても、男には無闇に光が差し、女のほうには「魔がつきやすい」という性質があるんだよ。
ここで、男は注意が要る、男はその特有の鍵とピークを消失すると、必然的に「女と波長が合う」ようになるんだ、でも波長が合うから「イケる」かというと、そこは女に「いや、ちょっと」と拒絶されてしまうことになる、その後はもう、男女ともいっしょくたになって魔につかれて不穏な感じになっていってしまう/男はそこで女と波長が合ってはいけないんだ(厳しい)。
たとえば近所で揉め事があったとき、通りすがりの強力なオッサンが、「じゃあかっしゃあぞコラアアアアア!!!!」と腹の底から怒鳴りつけると、何かもう一撃で終わりになって、一目散にワア逃げろ逃げろと、揉め事が消し飛んでしまうことがある、これが「魔を祓う」という力だが、この力は男に特有で女にはないものなんだ、男と女でいうと男のほうがアホなんだが、このアホのほうが魔を祓い光に近づくということにおいては性質的に優れているんだよ。

「男の人には、自分のことをやってほしい。わたしのことなんか気にせず。そもそも平等はしっくりこない」と一人の女性は言った。

まあそうは言っても、今男は「厳しい」「厳しい」「厳しい」のだ、今男が必要としているのは女ではなく、スケベ心でもなく、「男の魂」だ、女が男の魂を必要としているのと同じに、男も今は男の魂を必要としている(よって今現在、当パーティはスケベ心禁止です、野暮だが状況的にしゃーない)。
なりゆき上、「あっ」というタイミングで、一人の頬に軽くビンタをしなくてはならなかった、まあダメージになるようなものではないが儀式的処理として、<<発生してはならない揉め事をそこでオワリにしてしまうために>>、「すまんね、でもこのビンタだって、わずかでもしくじればパワハラになるの、正直今、このビンタをパワハラにしないことのほうが、女性に触れてセクハラにならないことよりはるかに技術的にむつかしいよ、これは本当に一ミリも狂ってはいけないやつだから」。

そのほか | comments(0) |
パーティ報告78
回は爆裂に遊んだ、人数が多かったのでドッカーンと盛り上がった、オクターブ上で乾杯を繰り返してやっタyeahhhhhhhh↑。
毎回、これぐらいの人数が基本メンバーなのがいいな、いやもちろん他にもっと楽しい場所があるなら別にいいけどね、土曜日の夜に楽しくないほうを選ぶようになったらそれはビョーキである。
ビョーキになると楽しい場所でなく癒やしの場所へ行くようになるわけだが、それは考えてみれば当たり前だ、ビョーキは恥ではない、ただビョーキはなるべく管理と治療に向かわせねばならず、ビョーキに「浸(ひた)る」というのはただの理性を失った判断ミスだ。
いやあそれにしても楽しかったな、初参加の人もどっぷり楽しんでくれたようだし、春だし、飲み過ぎたし、なぜ僕が頑なに遊びつづけるのかについて、真の理解へ進み始めてくれる人も出てきた……なぜ僕が頑なに遊びつづけるかというと、僕はとっても遊びたいからだ。

けっきょく、19時から朝5時まで飲み(あれ? 今回って全員朝までいたのか)、次は早朝のファミレスに行って「ビーフステーキのAセットにエビフライ2本追加で、あとコーンスープとヘルシー赤身ローストビーフとトリュフ塩ポテトフライ」を食べてカフェラテを6杯とオレンジジュースを2杯のんで、正午になったらランチ客に席を譲るため隣の宇田川カフェに移動して、コーヒーをすすってぎゃあぎゃあやっているうちに夕方になったら「そろそろ……」とみんな予定のタイムリミットが来るので、お疲れさんっしたー、また来月よろしくー、という具合になる/毎回この報告も飽きたのだが、まあ毎回こうなのでそのまま報告するしかない、僕は人に思い出の場所をつくってやるのも役割のひとつだ。
人はこれだけ遊べる、食える、飲める、疲れない、これだけ話せる、これだけ声が出る、これだけ脳みそが回転する、これだけ男は女の子を笑わせることができる、という、実物の展示がメインコンテンツだ、ただしそんな九折さんを愛さない奴は鼻からジッポーオイルを入れて点火して「ゴジラ」という成功しない芸をして東宝に筋違いの訴訟を起こすこと。
ん? そういえば、けっきょく九折さんを愛する奴だけ生き延びることができて、九折さんを愛さない奴が破綻していくというだけじゃないか、結果的にそういう事実があるな、今回新しく来てくれた人も僕のことを愛してくれたので、即日「あのあとすぐ、奇跡的な、人との出会いがありました、なんだこりゃあああ」という連絡をいただいている。
まったく洗脳されやすい民だなお前ら、と思うが、まあ結果的にマジに心身と生活と愛が上昇しまくっているなら、それでいいんじゃないの、繰り返し言うと「楽しい方より癒される方を選ぶのはビョーキ、ただしビョーキは恥ではない」ということなのだが、さあ不思議なものだね、「九折さんの声を聞いていると生き返っていく」という人と「九折さんの声を聞いていると死にそうになっていく」という人に分かれるね、この指摘に参加者のみんなは「うおおお」とよろこんでくれるだろう、まったく洗脳されやすい民たちなのであった。

平和とは、男が女に愛されること、同時に、男が誰に愛されているかを忘れることだ。

これはキビシイ掟だ、間違っても男が、「ボクは誰に愛されているかな? それとも愛されていないかなあ」などとサーチし、カウントするようになると、女の表情も曇ってゆき、もう負け戦は始まっている、その後はどういじくっても不穏にしかならないので、ハンバーガーのパティにキャベジン顆粒をまぶして食うこと、そして最高難度の知恵の輪エニグマを「おかあさん……」と呼びながらベッドで眠ることだ、うーんサイアクの夢を見そうだな。
男が(何を言いたいのか忘れた)、(ホントに忘れた)、そういえば、その後精魂を使い果たしたぜと思って昏倒するように寝たのだが、「うおおおおー超眠った」と思って起きたら四時間しか経っていなかった、今はそれでスッキリなのだが、これはいったいどういうことなのだろうか、おれも洗脳されやすい民なのかね。
そのほか | comments(0) |
第78回Quali's Party[3月17日(土)]参加者募集!

3/19 Quali tweet> 爆裂に遊んだでござる。 pls entry

joined: ともこ(新)、ひろみ、りさ、ゆか、あきら、まなみ、こりん、かなみ、やじま、わっきー(久)、つかごん、トム(久)、ゆうさく(久)、くおり
日時:2018年3月17日(土)19時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


おかげさまで今回も無事盛会(強)でした! 次回もよろしくお願いします!!
九折

キラキラ次回[4/21(土)]加エントリはこちらから!キラキラキラキラキラキラ


→その他詳細はこちらから

宣伝コラム「パーティへの誘い その1」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その2」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その3」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その4」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その5」はこちらから!

そのほか | comments(0) |
No.376 どうすればあなたはおびえずに済むようになるか
掲題のコラム、本サイトにアップしました。

No.376 どうすればあなたはおびえずに済むようになるか

――「女がやらかす、永遠事象の強奪」、これが引き返せない巨きなトリガーになる。

どうぞよろしく。九折


うぉぉ〜
パーティ前日やのに徹夜してもうた〜
時間ないときに書く分量じゃないだろこれアホかぁぁぁ
そのほか | comments(0) |
No.375 社会に寄与するべきだが、寄与を目的としてはいけない

掲題のコラム、本サイトにアップしました。

No.375 社会に寄与するべきだが、寄与を目的としてはいけない

よろしくお願いします。九折空也
 

そのほか | comments(0) |
パーティ報告77(2)
ういえば、バレンタインデーの関連もあって、このところすさまじい量の贈り物をいただいている。
フランスに旅行してきた方からみやげ物を、どっさり(なんでもかんでもカートに突っ込んだなこりゃ)もらったのだが、フランスのお菓子やらバターやらは、実際美味すぎて腹が立つレベルだ、日本はフランスに文化レベルで負けているのではないだろうか。
よくよく考えたら、手作りのチョコレートも、アソートでコーティングされた(説明になってねえ)高級チョコレートも、望外のものだし、ウマいし、ロブションのジャムとかよくよく考えたらサイコーのものだし、そのとき飲むのにとてもナイスなレア物のスコッチも頂いているし、なんかもうとってもいいじゃないか、とにかくウマくてステキなものをありったけ僕のところに持ってくるように。
帰り道に、トップバリュのマスカットグミを食って「うめえ」と満悦していたときに、ハッと気づいたのだ、「もっとええもんを大量にもらっとるやないか!!」と/世の中のものにはすべてピンキリの格差があるわけだが、ピンであれキリであれウマいのには違いないのだった、ただしピンキリというのはあり、今日はとりあえずフランスの菓子が美味すぎて腹が立つのだった。

報告がバラバラになるが、いわゆる男女平等問題について、あっさりとして的確なヒントというか、解答が見つかった。
それは「男女平等で構わんが、それをゴリ押ししても、陰陽の性質は変わらんから破綻しまっせ」ということだった、これは僕としてはとてもすっきりするので、僕の結論はしばらくこれでいいかなと思っているのだった。
陰陽の性質、それはたとえば酸性とアルカリ性のような性質だが、その性質によって「まぜるな危険」ということが発生するのだ、つまり男性の毒舌は毒ガスを発生しないが女性の毒舌は毒ガスを発生するというようなこと/これはいくら平等でも「異性(性質が異なる)」のだからどうしようもない。
人間に殺虫剤をかけても、人間には抗体があるから死なないが、虫さんはケイレンして中毒死してしまうのだった、そのことのように「このことは男はへっちゃらだが、女がやるとえげつない中毒をしてしまう」ということがある/まあだから平等のゴリ押しをやめようということではなくて、僕はこれですっきり合点がいくなという話なのだった。

男は足し算(+)、女は引き算(-)。

もちろん足し算と引き算のどちらがエライなんてことはない、ただ性質が違う、ゼロ点に男をおくと、基本的に男はそこからプラスを生じようとするが、女はマイナスを生じようとする/たとえば川縁にいくと女の子は花を摘もうとし、男の子は川にダムを作ろうとする。
男がプラスだけなら何も足しにはならず、女がマイナスだけというのもやはり足しにならない、男のプラスを女のマイナスが消費する、ということで目に見えない何かが営まれている、インビジブルなカルマ償却が起こっているのだ/だから何の善性もない僕に女性があれこれステキなおみやげを持ってきてくれているのだった、何か足しになっているのである。
そのほか | comments(0) |
パーティ報告77

「報告」といっても、情報量が多くてまともに報告しきれない。
さしあたり申し上げるべきは、「当方のパーティでは激論は交わしてないぞ」というあたりか、どうもブログやコラムの論調がイケイケなので、パーティでもそのような激論が……と想像されてしまうらしい、まあそれはしょうがないが、実際そういうのはナイのでよろしく。
おれが一番飲んでいるし、おれが一番ヘラヘラしているのだ、それでやることは何かといえば、「底上げ」だワッショイワッショイ、てなものである、盛り上がる声を発揮できてりゃそれでいいだろうという、まあホントにそんなことしかしていないからそのように報告するしかない(すっごく楽しいヨー、とテキトーに勧誘)。
「今日の九折さんは春が見えていてヤバい日のパターンだぜ」みたいなことを話して……あとは何だっけ、そうそう「夢だよ夢、夢はあんのか」「ひええ、怖いこと言わんでください〜」みたいなことを話した、「夢、つまりマイドリームなのだが、それがたぶん誤解されている、夢というのは達成したい目標というのではなく、『なぜかわからんが自分はこれをしなくてはならんのです』というようなヴィジョンのことなんだ」と、確かそんなことを話したはずだった(えんえんハイボールを飲み続けている)。

今回は、新しい人が来てくれて、しかも或ることの専門家(かつイケメン)だったので、フレッシュに盛り上がった(なお常駐のメンバーどもは己のノンフレッシュぶりに深く慚愧を覚えるように)。
やっぱりイケメンがいてくれると盛り上がっていいな、としょーもない感慨を覚えながら、僕みたいなアホなのところに誠実な専門家の人が話を聴きに来てくれるようになるとはなあ、と不思議で信じられないような心地がしていた。
いくつかの実演をヘラヘラやりながら、内心で割とマジメに「どう話せばヒントに持ち帰りやすいかな」と考えていたのだが、とりあえず「顔面にスイッチを入れないことです」「失敗に寛容になることです、成功と失敗を区分したがるのは意識であって、遊びやフィクションには成功も失敗もないのですから」というあたりを話した。
テキトーに歌ってみたりもしたが、ああいうことでよかったかね、まあ一度実物を観てみるとその後ずっと取り組んでいく何かのきっかけになりうるわけで、とにかくこんな僕みたいなアホでもできることなのだから、遊ぶということは誰にでもできることなのだった、ちなみに今回のおれの飲み代はナターシャの後援によってタダですヒャッホウ(情報量が多くてまともに報告しきれない)。

「遊ぶ」というのは確かに、到達しづらい秘奥義ではある。

たとえばトランプでババ抜き遊びをしているとき、ババを引いたら「ぎゃあああ」となるわけだが、それは遊んでいることの「失敗」ではない、本当に「遊ぶ」ということに到達できたら、すべての失敗は消え去る/そのときまで真の自由は得られないだろう、何しろ人は成功に一番縛られるのだから。
どこまで遊べるかな? とりあえず今回は、二十四時間遊んで二十四時間休んだ(マジ困憊)、この四十八時間の後の僕が現在あるわけだが、この現在の僕は、四十八時間前の僕と明らかに同レベルではない、同レベルでない感覚と流れが胴体に宿っているのが正直わかってしまうので、まあごまかしてもしょうがないのだ、きっとそういうことなのだろう、来月もよろしく。

そのほか | comments(0) |
第77回Quali's Party[2月17日(土)]無事盛会!

2/19 Quali tweet> 楽しかったぜいえぇぇぇーい。 pls entry

Recent entry: (新)やじま、ひろみ、ゆか、まなみ、つかごん、くおり
日時:2018年2月17日(土)19時〜23時 場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


おかげさまで無事盛会でした! 次回もまたよろしくお願いします!
遊び続けて幸運を引き込んで勝ち逃げっつーのが最高だな!!

九折



キラキラ次回[3月17日]加エントリはこちらから!キラキラキラキラキラキラ


宣伝コラム「パーティへの誘い その1」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その2」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その3」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その4」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その5」はこちらから!

そのほか | comments(0) |
パーティ報告76(4)

ーティの最後は「当たり前」でシメめようかと思った、今回はそれがいい感じだった。
「部屋を拭くのはマイペット、台所まわりの油を拭くのがマジックリンなの。水で流せない場所は激落ちくん、広い面積を削り落としてやるぜという場合はジフ(クレンザー)、そして局所への最終兵器としてボンスターがある。清掃の基本じゃねーか」
「男って、車の運転がまともに出来て、テレビとDVDの配線が説明書なしでできて、ナインボールの並べ方を知っていて、将棋と麻雀をヘタなりにルールは知っているというのが当たり前なの、おれは二十五歳の男がナインボールの並べ方を『検索』するようなら、そいつは何か生き方を間違ってきたんだと思う」
「女だって、たとえば家事とか裁縫とか、料理とか、『あまり得意じゃないんですよね』というのは、『一通りできるけど上手じゃない』という意味であって、やらせてみたら壊滅的、って意味じゃないんだよ、壊滅的なのは単に人格レベルでヤバいだろ」
「お前らなあ、ホッケと、アカウオと、サワラと、それぞれ焼き魚で出てきたとき、どれがどれかわかっていないんじゃないか。それがわからないなら文化的を気取るんじゃねえ、物を知らんのは罪ではないが、ホッケとアカウオとサワラさえわからんヤツがグルメとかフレンチとかに関心を持つのはひでえ罪なんだ、そこは自戒しろ」

「ワインといったら、フランスではブルゴーニュか、ボルドーか、コートデュローヌじゃねえか、そして瓶の肩が角ばっているのがボルドーだよ、そしてブルゴーニュといえば要するにピノノワールだろ、セパージュ(品種)のことだ、ピノとカベルネとシラーとメルローがほとんどだ、グラスを白い布に当てて色を見たり、グラスの壁面に脚がどう出るかを見たりするだろ、そしてヴァンドペイ(地酒)でないフランスのワインの正統派はフランス政府からお墨付きをもらっている、グランクリュとかアーオーセーとか、アーオーセーというのはアペラシオンオリジンコントレのイニシャルで原産地証明のことだ。なおボジョレーヌーボーなんてのはイベントのワインであって、キャッシュフローの味がしてしまうのはしょうがないというか当たり前のことだ」
「で、そんなもん、フランス限定の話であってな、これらのすべてのことを通して、おれは『ワインはさっぱりわからん』と自認している、ドイツとかイタリアとかスペインとかチリとか南アとかカリフォルニアとか、無数の産地で無数のワインが作られているが、こんなもんわかってたまるか/そして物事がわからんというのは罪ではないが、わかっていないものをわかったフリをするのは大変よくない、正当に行こうぜ、みんなしてフツーのまともな奴になろうぜ」
「ふつう、料理が趣味なんです、高校のとき料理部にいましたというヤツが、料亭の料理長の脇に立って同じ厨房で料理をさせられたら、ビビるもんだ、『こんなところにわたしが立っていていいわけがない』と、でも本当の本当にわかっていないヤツは、平気でそこに突っ立って『前向き』みたいな態度をしやがるんだ、それはちょっとまともじゃないよ」
「ちゃんと返事せえ!」

二十年前、僕は「ちゃんと返事せえ!」と先輩に叱られ、二年後には「ちゃんと返事せえ!」と後輩を叱った、そのことは二十年後の現在も続いている。

「運動靴のヒモが結べないヤツが陸上部で優勝したがるとか(いつぞやのアフリカ人は別だ)、これまで友人や恋人はまともになかったが愛は最強クラスに持っていると言い張りたがるとか、居酒屋で声も通らないのにホイットニーヒューストンになりたがるとか、そんな目も当てられないデタラメが横行している、もしまともに敬語さえ使えない国語力のモヤシ男が『小説家になりたい』と言い出したら、お前だって途方に暮れるぐらい疲れるだろう? そういったことのすべては大前提として根絶やしにしないといけない、おれたちみたいなモンにとっては、まともな一人の大人になるってことだけでも大事業じゃないか」
「おれは、まともなことができないヤツが、ごまかしに超能力やオカルトや精神力に逃避したがることに対して、一ミリも情状酌量しない、端末で情報を検索できるから物事を一人前に知っている・わかっていると錯覚したんだろう、輸出に必要な書類はインボイスとビルオブレーディングだ、国によっては非木材証明も要る、動植物検疫は面倒なものだ、横浜税関は一切のシャレが通じない、銀行は信用状の発行にいやがらせのようなアラ探しをして修正費用を稼いでくる、見積書や日経新聞に書いてあることがわからないということは単に不勉強のアホであって霊的な素質なんかじゃない、ついでに言うと悪霊が見えたりついたりするようなヤツは霊的に不全を起こしているということであって霊的に優れているってことじゃないんだよ、霊感なんかないまともなヤツのほうが霊的に優れているんだ」

そのほか | comments(0) |
パーティ報告76(3)

ういえば今回のパーティでは、「愛」というベタなこともまじめに考えたのだった。
「愛」というと、それだけで何かヤバい人たちの集まりみたいで僕もノーサンキューだが、一方で、実は「愛」がなくて「愛」がわかっていないという人たちの集まりも、それはそれで、ヤバい人たちの集まりじゃなのじゃないかと僕は思う。
「愛」ってそんなにありふれているんですかね……もしそうだとしたら、大多数の人が、「わたしはえらく愛されているなあ」と感じて生きていなくてはおかしいということになるが、どうもツイッター等を見ている分には、愛はそうしてありふれているようには見えない。
ダサいことのすべては、愛がないから、という一言で決着する可能性があります、という類の発言というか指摘もあったが、それはまっとうな考え方だと思う、誰でも一番ゲンナリするのは、愛のない人が自分では愛があると思ってニッコリ近寄ってくるときだ、誰しもそんなうさんくさいことにはならないのが一番よいことだ。

今回のパーティは、僕が気まぐれに(しかしまぎれもない真実として)「カッコよくないと疲れるでありんす〜」と始まったわけだったが、そうして考えると、「愛が当然にある」ということが「カッコいい」の大前提と言えるかもしれない。
「当然にある」というのは、たとえば「冷蔵庫がある」というようなことだ、今どき「わたしの家には冷蔵庫があるんですの〜ウフフッ」なんて近寄ってくる人はいない/冷蔵庫を持っている人が「?」とまったくそのことに顔面の変化を起こさないように、本当に愛を持っている人は「?」と、まったくそのことに顔面の変化を起こさないと思う。
「ここにウマイシュークリームがあったとする、それが『うめえ!!』となるので、コイツのぶんもおれが食うわけだ、いいだろ食わせろよ、別に『お前が食ってもおれが食っても同じだろ』『お前はウマくないかもしれないが、そのぶんおれがウマいんだからいいだろ』」と、僕は愛を正しく説明した。
「おれが二個のウマイシュークリームを持っていたら、こいつに食わせるかもしれない、『食え、ほれ食え』『めっちゃウマいやろ!!』、おれがウマいのもこいつがウマいのも同じだ、愛というのは『なんでわたしがゲットせなあかんねん』と呆れて言うことに定義されるわけだ」と、やはり僕は正しく説明した。

これまで説明せずに来たが、パーティのメンバーはそれぞれ冷蔵庫を持っている。

愛は知らん、いちいちそんなもの訊いて回るものでもないだろう、しかしもし持っていないとすれば/「ええええ〜冷蔵庫持っていないの?」とおどろくだろう、そして「実は冷蔵庫というものがよくわからないんです」ということになれば、「こりゃ相当アホな暮らしをしてきたんやで」と相応の程度にはバカにするしかないだろう。
ここでもし、「わたしは冷蔵庫を持っていないし、どうせわたしには冷蔵庫が何なのかさえわからないんですよ」と、メソメソ、メランコリックなりセンチメンタルになりすることがあったとすれば、それは一番「カッコ悪い」と思うのだ、そして人はカッコ悪いものには不可避的に疲れてしまう、愛がわからんのは単に学門が足りないからだ/「二十年前、おれは愛のあるヤツになろうと決意したよ、決意なしには成り立たんよ、そりゃ当たり前でしょ。ちなみにエーリッヒフロムを読んだときからだよ」と僕は話した。

そのほか | comments(0) |
パーティ報告76(2)
大な話をすると、当パーティ(現体制、つまり第二十五回以降)は2013年の夏、僕が「現代と恋愛」(pdf)という話を書き上げた時期から始まっている。
「現代と恋愛」において、「意識と脳は違うんだ」、「脳バンザイ、意識はポンコツ」「脳と意識じゃ能力の次元が違うからな」ということが語られたことに、みんな希望と面白味を見出して、そのことへの追究が、パーティ企画の底を支えていたように思う/誰だってそりゃ、自分の未来をまともにしたいと願い求めるのはまっとうなことだから。
そうしていつのまにか、割とすぐにだったが、みんなでよく遊ぶようになったな、そしてよく遊べば遊ぶほど、「本当はどうなのか」ということが浮き彫りにならざるをえなかった/僕が「ふつう」と思っていたことの多くは、すでに世間から失われていた、結果的に僕は驚き、みんなはそろって「九折さんがフツーというのは無理がある」「うんうん」と合意するようになっていった。
それでついに、「どう教えても、こじれるばっかりだ、これは根本的に胴体が弱いに違いない」と思い、胴体を直接鍛える(流れ系において鍛え、脳の端末として開放する)というワークショップに展開した、「ちゃんとできるようになりましょーよー教室」/今ざっくりいうと、パーティに来てくれている人はその「現代と恋愛」から来た人とワークショップから来た人という二つのタイミングに分かれている。

僕は今、動画コンテンツの作成を考えているのだが、それは第三のタイミングになるだろうか/なるかもしれないし、ならないかもしれない、すでに五年前とは世の中のムードもまるで違うから。
まあそれはいいとして、ワークショップをしばらく(半年ぐらいか?)強行して、むしろそのワークショップによって、僕自身がまた「フツーというのは無理がある」という状態へ加速してしまった、「立っている姿がすでに何かおかしい」と言われ/また実際、このころから露骨に、すれ違いざまにポカーンと僕を見上げていくナゾの女性が多くなった、特にばったり出くわすとびっくりしてしまうらしい(と言われても、僕は僕のことを目撃できないので何のこっちゃわからない)。
そのうち、何かこう、能力を発揮するときに「身体の各処に点があるよな」と僕は言い出し、ウーンと思って調べてみると(調べてもらうと)、それはどーもいわゆるチャクラと呼ばれる、ヨガ的な何かの点のようなのだ、「フィクションの速さ」「速さに文句を言うヤツはいねえ」と追究していたものが、このヨガ的な何かに勝手に結実したと思われる。
このヨガ的な身体の各処の「点」というものに、一段落ついたというか、「ひととおり済んだと思う」という感覚のころから、なぜか僕がテキトーに歌を唄うと、女性が泣くようになった……というのが一連のストーリィだが、このわけのわからん話が、これでも控えめに言っているのだ、このほかにも「古代エジプト(オリジンの人々)から現代まで続く大会合」とか色々ある、僕はただ楽しく遊びたかっただけなのだが、なぜこんなことになってしまったのか、「憮然とする」とはまさにこのことなのだった。

「光」、「肉を洒脱」、「フィクションクライシス」、「喜怒哀楽」、これらのすべてをつなぐ、新しい方法はすでに見つかっており、ある女性はそれを「佳い報せ」と言った。

何か知らんが、強制的に進んでしまうのだ、特にパーティを経過するごとに進んでしまう、「体験はフィクションでありわれわれは実物(とそのイメージ)に縛られるほうが体験やこの世界の真実を見失う」「実物への思い込みから離れなさい」(あっこれはパーティのあとに見つかったことだったか、まあいいや)。
なお僕は文学者であり、オカルト風情の全般にはファックオフの態度を貫いているのでよろしく、パーティの三次会(翌日の昼だぜ)にて僕は文学者としてのパフォーマンスも披露したのだが、それについては「ひええええ」とウケたので満足している、そして僕は「僕が人よりちょっと優れているはずと自負しているのはこの文学の能力だけ」と自慢したのだった、いいだろちょっとは自慢させろよ。
そのほか | comments(0) |
パーティ報告76
のごろ、パーティというと二十四時間耐久がデフォ、というムードがあって、それはどーなのという気もするし、僕がアレなこと以上に、女性陣がちゃんとついてくるところがスゴいわな、ふつう途中でバテるだろ。
まあ人間というのはどうやら、胴体に気が正しく流れているうちは、女性でもそーとー強いモンらしい、朝からファミレスで全員ガツガツ肉食いまくりだったしな。
2013年の夏から始まった現体制のパーティも、今ここまできて、ついに「値打ちがあった」と確信できることになった、さんざんな嵐や荒れ模様を変遷してようやく……ひとつの得るべき形を得たように思う。
これはけっこう偉大なことだぜ、とわれながら思うのだが、これを土台にしてもっと拡大してゆけたらいいねえと思っている、今実現できていることのニーズは潜在的に過去よりはるかに大きくなっているはずだからだ、誰だって朝まで遊んで疲れないということの中を生きていきたいに決まっている。

たしか、冒頭は、僕のそのときの気分から、「かっこよくないのは疲れるからキラーイ」「かっこよくないと疲れるんだよおおお」ということから始まったはず。
それで、「かっこいい縛りだと、もうしゃべれないですよ~」みたいな悲鳴が上がっていたはずだ、まあ平和的でよろしい。
あと何だっけ? もう二十四時間も話し尽くして遊び尽くすと、思い出せる容量を超えるのだ、あっそうそう、フィクション講習会でどうたらこうたら、という話でひとしきり盛り上がったのだった/フィクションを手にする方法として、思いがけない秘密のやり方が見つかってきている、内容はナイショだ(文章で説明すると必ずイタい何かに誤解される)。
あとそうだ、「喜怒哀楽が行方不明説」が唱えられたのだった、「九折さんが目の前にいると、喜怒哀楽はこれだ、ってわかるんですが、九折さんが視界から消えると、あれ? って、どっかに行っちゃってワーッとなるんですよ」、そういう人は実はけっこう多いらしい、そして僕は劇団員に喜怒哀楽のエチュードを実演したのだったが、それでエーッとかゲラゲラ笑ったりとかしているとあっというまに朝になるなあ(今回は泥酔しなかったぞ!!)。

僕と出会って元気になった女もいるので、そのことだけは自慢させていただく。

その他のことはまあ、何もかもグッズグズだが、まあいいじゃないか、どうせ僕は何もしない変人になるか、余計なことをする変人にしかなれないので、まだ何か余計なことをしていたほうがマシだろう/なお僕は変人が好きじゃないのでぜひふつうの人ばっかり寄ってきますように、美人尚可。
今年はバリバリ遊びたいねえ!! そしてバリバリ遊ぶと決めて、「そう決めたろ?」と言い放ち、そのとおりバリバリ遊ぶのは、冷静でかつカッコいいと僕は思うのだ、カッコよければ人は疲れないですむ。
そのほか | comments(0) |
第76回Quali's Party[1月27日(土)]無事盛会!

1/29 Quali tweet> 遊ぶのって楽しいよな!!(あたりまえ)。 pls entry

Recent entry: ひろみ、こりん、りさ、ゆか、まなみ、つかごん、くおり
日時:2018年1月27日(土)20時〜23時
場所:原宿竹下口交差点DinningBar CLIMB


今回も無事盛会でした! 次回もよろしくお願いします!
みんな寒空に来てくれてありがとねー
九折

キラキラ次回加(2月17日[土])エントリはこちらから!キラキラキラキラキラキラ

→その他詳細はこちらから


宣伝コラム「パーティへの誘い その1」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その2」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その3」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その4」はこちらから!
宣伝コラム「パーティへの誘い その5」はこちらから!

そのほか | comments(0) |
【単発】◆日常に使えるフィクション講習会 〜フィクションクライシスに対抗する〜【突発】

ども、九折空也です。
日曜日、ちょっと板橋方面に出かける用事があるので、それに合わせて掲題以下、突発企画です。
参加ご希望の方は、こちらのフォームからエントリくださいませ。(エントリフォームのタイトルがビミョーに違っていますが転用なのでお気になさらず……)
小さな会議室で、どうせ僕のことなので、レクチャーは非常にルーズなムードで展開すると思います。
そのかわりガチでエグいマジのワザを見せてやるからな!! 面白けりゃ何でもい(ry
まあ日常に使えるフィクション技術というと、代表的には会話にこっそり入れる落語のような技術です。それ以外にも勿論あるけれど。
よろしくお願いします。
九折空也より


◆◆◆日常に使えるフィクション講習会! 〜フィクションクライシスに対抗する〜◆◆◆
日時:2018年1月21日(日)17:00-19:00
場所:東京都板橋区南常盤台1-11-6(レンタル会議室)
持参:筆記用具
費用:500円(会議室レンタル実費)

▼実用的! コミュニケーションの円滑と楽しさは、実は随所の「フィクション」の機能で成り立っている!
1.そもそも「話す」「伝える」とは? 何が重要で、本当は何が楽しいのか
2.「ウソ」と「フィクション」の違いは? なぜコミュニケーションに「フィクション」が必要になるのか
3.オドロキ実演! 実際に使われる「フィクション」の絶大な効果
4.「フィクション」を実用するコツ、これさえわかればあなたは一生「退屈じゃない人」になる
5.わざとらしい人にならないために/人は「キモチ」ではなく「見える」ことをよろこぶということ
6.「言葉」と「フィクション」、なぜあなたの会話は「ダベる」ばかりで「言葉」にならないのか

以上

そのほか | comments(0) |
No.374 平成最後のヴィーナスたち
掲題のコラム、本サイトにアップしました。

No.374 平成最後のヴィーナスたち

よろしくお願いします。正月気分が抜けません。九折空也
 
そのほか | comments(0) |
コラムNo. 373 二〇一八年の文体回帰
掲題のコラムを本サイトにアップロードしました。

コラムNo. 373 二〇一八年の文体回帰


みなさま、よいお年を!!(まだ晩飯も食ってねえええ)

九折空也
そのほか | comments(0) |
パーティ報告75(4)

し立てしてもしょうがないので正直に言うが、参加者の一人が劇団に入っていらして、たとえば次の講演で担う役のセリフとその言い回しがどんなものかというのを実演してもらった。
演劇というとフィクションだから、僕はそのセリフひとつを取り上げて、彼女がこれからやっていくのに役立つように、いくつか年長者の実演を返してみせた/「原理的にここをこうすると濃くなる」「こういうバリエーションもあるね」「ここは言霊を使いたいなあ」というふうに実演のいちいちを説明しながらする。
僕は演劇の経験なんかゼロだが、まあぶっちゃけて言えば、その場で急にやった実演のクオリティが、ぶっとびで高かったのだろう、そりゃこっちはもう十年ぐらいフィクション世界の中に生きているので……それで見ている側は言葉を失う感じになるらしい、なぜ言葉を失うのかは僕は知らない(役立ったつもりだ!!)。
「これが基本っつーか、誰でもこうしたらいいという基本であって、その上で役に魂が入るかどうかは別、そこは実際にやる人間の素質とか根性とかによるんじゃないの、そこはおれがエラソーに口出しするところじゃない」、僕は小説を書く奴であって演劇をやる奴ではないので、あくまでフィクションと胴体の接続において実演と説明をしただけだ、魂を入れるのは実際にその舞台に立つ人間がする仕事だろう(「霊」と「魂」は別物なのであった、説明はめんどくさい)。

その他、あるフィクションのネタをテキトーに作って、ウケるものだから続けていたら、女性陣は涙を流しながら四〇分ぐらい笑い続けた、それは幸福そうでよい光景だったのだが、一方で、「こうしたものに飢えているのかな」とも感じた(感じたというか確信せざるをえなかった)。
何の足しにもならん、アホが得意分野にする「フィクション」だが、誰も彼も追求していくと、この「フィクションへの飢え」があるように思う、特に自分がフィクション世界に接続して遊べないと、そのことは何か深い絶望をもたらしてしまうみたいだ、それでフィクション世界と断絶した者は、どう工夫しても眼と顔つきに「おびえ」が宿る/内部的には苦しみがあるらしい、僕にはわからない。
まあフィクションに接続できないということは、人格が自我だけで構成されて、人格にカミサマや神話世界の成分が混入しないということだから、際限なく苦しいのかもしれない、僕にはわからないが/僕にわかることは、たぶん僕自身が、フィクションへの接続という能力に関してのみは、急に「なんだこいつ」というような異常者のレベルなのだろうということ、まあそりゃガキのころからアホのキャリアが違うぜ。
今ほとんどの人は、今さら恋あいがどうこうなんて正直なところ求めていないだろう、ただ生涯に恋あいなしとかまともな仕事なしとかいうのは耐えられても、フィクション世界との接続を根絶させられることには耐えられないらしい、それで心理的に動転があって、純正フィクションに接続する人間を、あがめるか憎んで殺すかということで行ったり来たりの捻転を起こしている/僕はモテている反面、猛烈で根源的なヘイトの対象でもある、そのどちらとも無意味なのだが、どちらとも心情的に正当なようだ。

みんな、こいつはマジの「先生」なんじゃないかという疑惑を持っており、僕だけがその疑惑を持っていない。

僕は僕自身のことを、本当にゴミムシとしか感じないので、ここのところがタチが悪いのかもしれない、僕としては「ゴミムシでなきゃこんなヘンな能力を必死こいて身につけるかよwww」という言い分で、いつもひとりでハッハッハと笑うのだが、ここだけいつもウケるつもりでさっぱりウケない。
純正フィクションなんか、何も一ミリも偉くないのだし、こんなアホの得意分野なんか根こそぎバカにすればいいと思うのだが、何か「そうはいかない」らしい、僕が「一人アホ劇場」をするのはもう慣れたのでぜんぜんかまわないのだが、かまわないのは僕の側であって他の人の立場ではないらしい/しかし今さら僕がアホでなくなるのも物理的に不可能なので……誰か偉い人がこういうことはビシッと解き明かしてくれて解決するだろう、それまではお手上げということでこの話はオシマイなのだった、また来月〜ノシ。

そのほか | comments(0) |
パーティ報告75(3)
「フィクション・クライシス」と呼ぶべきシンドローム(症候群)がある。
ノンフィクションとフィクションがあるのは、頭ではわかるのに、身をもってフィクションに接続するということができないという現象だ、このことは多くカルマ的なものに関係があり、「人のことを多数バカにしてきた」「ペニスやヴァギナを侮辱してきた・侮辱されてきた」「身分や知性が下位にあるにも関わらず、上位の者に『教えよう』とした」「浅学において無神論が合理的だと主張してきた」といったことなどから、おそらく生じている。
事実、バカにするべき多数が存在して、侮辱するよりないアホ迷惑ペニスがあったとして、また「絶対にこうでしょ」と教えざるをえない状況があって、さらには合理的には無神論がアタリマエで議論を俟たないのだが、どうやらそれでもなお「やってはいけないこと」があるらしい/過去それは、きっと「戒め」と呼ばれてきたもの。
この戒めを破ってガンガンいくと、わけのわからんカルマ的な現象が起こって、自分がフィクションから切り離されるらしい、「それがどうした」ということなのだが、なぜか人は自分がフィクションから切り離されると、絶望してとても苦しいらしいのだ/この世には自分しかいないと主張してきたのに、いざこの世には自分しかいないとなるとそれが絶望らしいのだ、まったく筋違いのことなのだが、事実そういうものらしいのでここに改めて「へえ」と確認しておく。

フィクションに接続するということは、まあ微弱にも霊的なことなので、頭や胴体がカッチカチだと成立しない、高度に柔軟化した知性や身体感覚にステキな霊がするっと入り込み、「やあ」と駆動する、そのことで人はフィクションの世界につながる。
こんな説明でわかるかよ! という話なのだが、まあ本当にそうなのだからしゃあない、このフィクションへの接続機能が死んでいる場合、人は自我をぶっつけあうか、フィクションの代わりに「キャラ」を押し通すしかなくなる、それで現代の「キャラ合戦」「空気の読み合い」が生じている。
それで何が悪いねん、ということもないが、ただ先に述べたように、なぜか当人はそれで絶望するらしいので、何が役に立つのかさっぱり不明のこの「フィクションへの接続」ということを、やれるようになるといい、ノウハウはカンタンで「自我に硬直せず、知性と胴体を高度に柔軟化して、ステキな霊がするっと入り込む」ということを日常的にやれるようになればいい。
まあこんなことをやるのは、完全にアホのやることというか、事実その意味で僕は完全にアホの人間なのだが、逆にアホの人間なればこそこのことについては一日の長があるとしてアドバイスできよう、こんなことはアホがやることなので、根本的にアホから賢者に「教える」なんてことはできない、「教える」というのはあなたから僕への行為であって、僕からあなたへの行為ではないというのが僕のアドバイスだ(なんのこっちゃ)。

イケメン、キモオタ、リア充、ぼっち、インスタジェニック、勝ち組と負け組、ニートと萌えと、社会人とインフルエンサー、クリエイティブと自己実現、これらのすべては非常にリアルであり、フィクションの気配がない。

事実、おそらく僕のような極点にあるがごときアホは、これらの現代用語群の指し示すところに当てはまらない、僕がイケメンというのはウソだし、僕がキモオタというのもウソになる、僕がリア充でもぼっちでも、インスタジェニックでも勝ち組でも、全部「ウソ」になる、それがアホ特有の「フィクションの気配」という性質だ。
フィクションの現れを、ノンフィクションの側から研究考察することはいくらでもできる、でもそれは何の足しにもならないからやめておこう(単なる労力の損だ)、僕は碇シンジくんを見ると後ろから尻を蹴りたくなるが、その監督や作画者を蹴りたくなったことは一度もない。
そのほか | comments(0) |
パーティ報告75(2)

形的な報告/今回は会場の都合で、二時間のカラオケから始まり、ダイニングバークライムで飲み、けっきょく朝まで飲み、一応そこでパーティは終了、といってもその後またファミレスに行ってしまい、その後さらに宇田川カフェ系のおしゃれなカフェに行き、夜の19時までくっちゃべっていた、つまり24時間ぶっ通しで遊んだ。
だって誰もくたばらないんだもの……今さら主張するのもしつこくてつまらんが、人は正しく遊べば24時間ぶっとおしでもヘーキなのだ、もちろんその後は全員が泥のように眠ったと思うが、その後はきっと「疲れた」ではなく「回復した!!」になっていると思う。
本来こういったことは、僕のような老人が牽引することではなく、大学生のお兄さんか社会人としてまだフレッシュな若手が牽引することで、僕のような老人がこれをすることは基本的には醜鬼の感じがあってよくない/といっても僕がすっこんでいても何も利益はないので、まあぼちぼちやることに決めている、24時間のうち23時間半は僕が話していた。
何の話をしていたかは、覚えてはいるが、思い出すのがメンドウだなあ……ということで、まあ何かとてもイイ話をしていた、というのはたぶんウソだが、まあつまらん話をしていたらさすがに24時間も無理だよ、つまらん話って24分だけでも相当ツライし疲れるものな。

「男性はゲジゲジ虫みたいなもの」という僕の主張に反論があって、7分に亘る討論の末、「知性のない汚辱ペニスオバチャンが迫ってくる感じ、と捉えるほうがふさわしい」という見方が提出された。
これは何も男性だけを非難しているのではなくて、「女性側も内実は似たようなもんだわ」という見方も提出されている、だからペニスが生えているという一点だけが状態を不均衡にしていると言える/ここでペニスの切除や本質的な改変は有為な一手だということが見えてくる。
ペニスの切除や改変、つまり「オカマが救世主たりうる」「確かに! オカマが女性を教育するほうがしっくりくる」ということ、ホモセクシャルが善の一手となりうるということ/確かに、全男性がホモセクシャルになればこの世のうっとうしさは大きく改善されるし、またそうした教育を初期のころからほどこして成り立たせていくのはまったく不可能ではない。
「ただ、今のこの話、古代のアヌビス神殿の中でやれって言われたらできないよなあ」「無理! そんなの絶対、呪われるか裁きが下って、わけのわからない奇病に罹って死ぬよ」「カミサマが見てたら絶対無理」「さっきからずっと見ているけどね」、キャー怖ーイ、ということで夜は更けていき、朝は明けて来、日は照って、夜のとばりは下りてきたのだった、ずっとジングルベルが流れていた。

女が知った男性=男a,男b,男c……と並べていったとき、有限個数の男性への知識の総和をもって、「男はクソである」と断言することはできない。

女性が生涯に一万人の男性を知ったとしても、それで「男」のすべてを網羅したとはいえないからだ、古代エジプトにも男性はいたし、2018年にも男性はいる/「男はクソ」ということは統計的に推定しうるだけで、しかもその統計の母体は現代の男性に限られている、だから実は「男」とは何なのか、それがクソなのか光輝あるものなのかは、けっきょく単純体験の蓄積からでは決定できない。
かといって、妥当をきわめる統計的推定を無視もできないのだが、それでもなお男がクソなのかどうか「わからない」というのが学門であって、しかしもしカミサマがいるとするならば、たとえばアヌビス神は男がクソか否かについて「わからない」とは答えないのだろう/ところで女のことを悪くいう男はゴミ確定なので七十年に亘りごはんに同量のトイレットペーパーを混ぜて食うこと、んなこたぁ男なら言われなくてもわかっているだろ。

そのほか | comments(0) |
パーティ報告75

ッハッハッハ ハッハッハッハ ハッハッハッハ ハッハッハッハ ハッハッハッハ ハッハッハッハ ハッハッハッハ ハッハッハッハ
他に報告することがあるだろうと理解しながら、いきなりまったく関係ない話。
新しい発見、現代的な空也様、カンパニーネームとファーストネーム、霊と魂。
これからまたイケそうなことが見つかったのでよろしく、これはパーティに来てくれた人も知らんことだが、帰宅してから急に気づいたのだ、ハッハッハッハ。

現代において、「男」のキモチワルサは半端じゃない、国勢調査で男性の自殺願望を調べるべきだし、男性には公的に安楽死を認めてやるべきという気がする、結果的に国は滅ぶと思うが……
結果的に、この二十年の僕のやり方は正しかったと思うのだが、それによって現在のところ、僕は霊的に広がってほとんど女性からは霊体のカタマリにしか見えていないはず/掴みどころがなく「捉えられない」はずだ、魂を表示していないから。
霊とか魂とかいうと、またますますイタい何かになっていってしまうが、まあフィクションがどうこうという話、フィクションとわれわれの「肉」がどう関係しているかという話、肉の身は実際にあるわけだし、フィクションというと小説とか映画とかも実際にある。
僕の実力は、50%まで来たのかもしれない、これからもう半分を頑張っていくのでよろしく、果たして生きることは間に合うのであろーか!!

僕はこれから強くなる。

正直少しカッタルイ気もしなくはないが、これから東京の新しい年を切り拓いていこうとするのに、こういうダサい態度も相応じゃないかと思う、猛烈にキモい点については申し訳ない、ただ一方で「あんた誰?」とも切り返し訊いてもよさそうだ。
ハッハッハッハ ハッハッハッハ ハッハッハッハ ハッハッハッハ ハッハッハッハ ハッハッハッハ ハッハッハッハ ハッハッハッハ

そのほか | comments(0) |
<< | 3/11PAGES | >>